第三章 11
「――はうあっ! でっ! でしゅぽぽしゅっ!?」
赤毛の女性は目を開けたとたん、ベッドから跳ね起きて周囲を見渡した。
「……おい。いきなり起きると、また倒れるぞ」
椅子に座っていた九郎が呆れ顔で声をかけた。
しかし女はわき目もふらずに壁に走る。
そして、立てかけてあった赤い鞘の剣を抱きしめ、
その場にどさりと倒れ込んだ。
おい、どうした、と九郎が近寄ると、若い女は白目を剥いて気絶している。
「だから言わんこっちゃない……」
思わず口から、ため息一つ。
九郎は女を引きずってベッドに寝かせ、ついでに赤い剣を脇に添える。
すると突然、女が勢いよく体を起こした。
九郎は慌てて肩をつかみ、ベッドの上に押さえつける。
「でっ! でしゅぽぽしゅっ!」
「あー、はいはい、赤い剣ならおまえの横にあるから、そのまま寝てろ」
「あぁ~、よかったぁ~。あたしのデスポポスちゃぁ~ん」
女は横を向いて剣を抱きしめ、ほっと安堵の息を漏らす。
「デスポポスって、そのやたら重い剣の名前か?」
「おうっ! そのとおりっ!」
椅子に座りながら訊くと、女性は嬉しそうに微笑んだ。
「ふーん。よっぽど大事な剣みたいだな」
「まあなっ! それより、ここはどこだ?」
「北門近くの宿屋だ。思ったより傷が浅かったから、オレが運んできたんだ」
「傷?」
女はふと首をかしげる。
直後、目を見開きながら跳ね起きた。
「そうだっ! あいつぶっ殺すっ!」
「あー、はいはい。ぶっ殺すのはあとにしろ」
「――ふにゃん」
九郎が女の顔面をつかんで枕に押し込んだ。
「とりあえず、話を聞かせてもらおうか。オレは九郎だ。おまえは?」
「あたし? あたしはオーラだ」
「そうか。そんじゃ、オーラ。おまえは何で、あの噴水広場で、あの黒いヤツとやりあっていたんだよ」
「さあな。あっちがいきなりケンカを売ってきたんだ」
「何だそりゃ」
九郎は椅子に座り直し、まじまじとオーラを見た。
「それじゃあ、何であの噴水広場にいたんだよ」
「それはもちろん、女性限定パーティーに入るためだ」
「なに?」
反射的に九郎の目が見開いた。
オーラは九郎の頭を指でさして口を開く。
「長い桃色の髪ってことは、ギルドホールでガヨクのオッサンをぶっ飛ばしたのは、おまえだな?」
「ガヨク? ……ああ、あいつか。一番最初に声をかけてきた、あのオッサンか」
「その時、おまえに剣を貸した女がいただろ? そいつはあたしの知り合いなんだ。それでおまえの話を聞いて、パーティーに入ろうと思ったんだ」
「おおっ! マジかっ!」
「おうっ! マジマジっ!」
思わず身を乗り出した九郎に、オーラはにっかり笑ってみせる。
「あのオッサンは、女にやたらと絡むスケベオヤジだからな。女の傭兵はみんなあいつを嫌っているんだ」
「だろうな。あのクソオヤジ、怒鳴りながらオレの尻をチラチラ見てたからな。あー、気持ちわる」
「だろ? だから、あいつをぶっ飛ばしたヤツがいるって話を聞いて、久しぶりに胸がスっとしたんだ。それでかなりの女がおまえのパーティーに入りたがって、あの噴水広場に集まったんだよ」
「ちょっと待て」
九郎はとっさに手のひらをオーラに向けた。
「かなりの女が噴水広場に集まっただと? そいつはいったいどういうことだ? オレは一人も見てないぞ?」
「だから、あの黒いヤツがいきなり襲ってきたんだよ」
「……はあ? ちょっと話が見えねーな」
九郎は手を引っ込めて腕を組み、オーラを見下ろす。
「よし。それじゃあ、一つずつ確認だ。おまえがあの噴水広場に初めて行ったのはいつだ?」
「一昨日だ」
「時間は?」
「え~っと……たしか、昼飯のすぐあとだ」
「なるほど。三時よりかなり前ってことか。それじゃあ、おまえが噴水の前に行った時、何人ぐらい集まっていたんだ?」
「ん~、たぶん、四十人ぐらいかな?」
「よっ!? 四十人だとぉっ!?」
九郎の口があんぐりと開いた。
オーラは真顔で一つうなずく。
「おう。傭兵だけじゃなく、ヒーラーっぽい薬師も来ていたぞ」
「な……何てこったい……。それじゃあやっぱり、ガールズパーティーの需要はあったってことか……。でも、それじゃあ何で、オレは誰にも会えなかったんだ?」
「だから、あの黒いヤツがいきなり現れて、全員ぶっ倒されたんだよ」
「はぃぃ!?」
驚愕の声が部屋に響いた。
オーラは不機嫌そうに天井をにらんで口を開く。
「あたしも油断していたからな。あんな街中で襲われるなんて、思ってもいなかった。だから全員、何が何だか分からないうちに倒されて、広場の下の植え込みに投げ捨てられたんだ」
「植え込み? それってまさか、あの五メートルぐらい下のヤツか? ってことはまさか、オレがあそこのベンチに座っていた時、何人かは植え込みの中に転がっていたってことか?」
「たぶんな。あたしも気がついたら植え込みの中で、とっくに日が暮れていたし」
「おいおい、マジかよ……。それじゃあ、あの石畳の黒いシミは血の跡だったのか……。だけど、何であの黒いヤツは、そんなことするんだよ」
「さあな。知らない。だけど次の日に集まったヤツらは、みんな気合い入っていたからな。あたしを含めて六人しか来なかったけど、全員が本気装備で、あいつをぶっ倒そうと待ち構えていたんだ」
「次の日って、まさか昨日も戦ったのか?」
「おう」
オーラは手のひらにこぶしを叩きつけた。
「だけど結局、六人全員ボコボコにされて、植え込みに捨てられたんだ」
「おいおい、嘘だろ……。本気装備の傭兵が六人がかりでも倒せないって、どんだけ強いんだよ……」
「あいつの動きはやたら早いんだ。たぶん、移動速度を上げる魔法を使ったんだと思う。剣で戦ってる時に魔法を使う暇なんか普通はないのに、あいつは上手く立ち回っていた。この辺では見かけたことがないけど、あれはきっと新月グループのヤツだと思う」
「新月グループ?」
首をひねった九郎に、オーラはきょとんとした目を向ける。
「何だおまえ、知らないのか? 民兵ギルドには三つのグループがあるだろ?」
「三つのグループって、戦闘とか、護衛とかってヤツか?」
「そうそう、それそれ。戦争とか荒っぽい仕事を引き受けるのが戦闘グループ。商人のキャラバンなんかを護衛するのが護衛グループ。そんで、暗殺や情報収集を請け負うのが新月グループだ。あの黒いヤツは、どう見ても暗殺者だからな」
「ああ、たしかにあの不気味な衣装は暗殺者っぽいな。だけど、何で暗殺者が、オレのパーティーメンバー募集を邪魔するんだ?」
「おう、それは分からない」
オーラは急に、にっかり笑って九郎を見上げる。
「だけど暗殺者ってのは、依頼がないと絶対に動かない。だからきっと、誰かがおまえの邪魔をしろって依頼したんだよ」
「いったい誰だよ、そんなはた迷惑な依頼をしたヤツは」
「そんなの、あたしに分かるはずないだろ。だけど、おまえの募集条件には、サザランの魔王討伐って書いてあったからな。それを邪魔するってことは、きっとサザランの関係者だろ」
「サザランの関係者? だけどここは独立自治区だろ? サザラン帝国のヤツらがこの街にいるのか?」
「おう、いっぱいいるぞ。この街は今でこそ独立自治区に加わっているけど、少し前まではサザランの領土だったからな。だから、サザランの皇帝を倒すなんて言われると、腹が立つヤツがいるんだろ」
「はあ……なるほどねぇ。そんな歴史があったのか」
九郎は深々と息を吐き出した。
「それじゃあ、ここの領主のイカリン伯爵ってのは、元はサザランの貴族だったのか?」
「おう、そういう話だ」
「だから独立自治区なのに、伯爵なんて称号を使っているのか」
「いや、独立自治区の領主ってのは貴族ばかりだぞ。まあ、実態はガメつい商人ばかりだけどな。そんなことより、あたしはどうなんだ?」
「へ?」
不意にオーラが自分の顔を指さした。
九郎は軽く首をかしげて訊き返す。
「どうって、何が?」
「だから、おまえのパーティーだよ。あたしを入れてくれるのか?」
「あっ、そういうことか」
「そういうこと、そういうこと」
オーラは期待を込めた眼差しを向けている。
(そうだった。それが一番の目的だったな)
九郎はアゴに手を当てながら、
ベッドの上で剣を抱きかかえる赤毛の女をじっくり眺めた。
(ふむ、言葉づかいは男勝りだが、赤毛のショートボブで、顔はなかなか可愛い。身長はオレより少し高くて胸もけっこう大きいが、やや細身なところが高ポイント。よし、合格)
「いいだろう。おまえは今から、オレのパーティーメンバーだ」
「えっ?」
九郎がほんの数秒で結論を出すと、オーラはきょとんとまばたきをした。
「どうした? そんなぽかんと口を開けて」
「ああ、いや、こんなにあっさりオーケーされたのは初めてだから、ちょっと驚いたんだ。普通はもっとこう、どこの戦争に参加したかとか、どこのダンジョンに行ったことがあるかとか、そういうことをいろいろ聞かれるからな」
「なるほど。つまり、面接がないから拍子抜けしたってことか。まあ、たしかに普通はそういうことを聞かれるかもな。だけどオレは、別におまえの素性なんか気にしないし、おまえのやる気や実力については聞くまでもない」
言って、九郎はオーラの赤い剣を指でさす。
「さっき、おまえと一緒にその剣を運んだんだが、そいつはちょっと信じられないほどの重さがあった。そんなに大きな剣じゃないのに、おそらく二十キロ近い超重量級だ。あの黒い暗殺者には攻撃を避けられていたが、そいつを振り回すおまえの腕力とバランス感覚は、素人のオレから見てもすごいと分かる。そういう脳筋タイプの前衛は、パーティーには不可欠だ。それに、噴水広場には四十人ほど集まったって言ってたが、残ったのはおまえ一人だろ? つまり、面接なんかするまでもなく、文句なしに合格ってことだ。だからさ、今日からよろしくな」
九郎はオーラに右手を差し出す。
そのとたん、オーラは顔を輝かせ、すぐにその手を握りしめた。
「おうっ! もちろんだっ! これからよろしくなっ! モモクロっ!」
「はーい、ちょっと待てー」
九郎は急にじっとりとした目つきでオーラを見据えた。
「悪いけど、その呼び方はやめてくれ」
「えぇ~、何でだよ~。桃色の髪のクロウなんだから、モモクロでいいじゃん」
「いや、別に普通にクロウでいいだろ」
「えぇ~、それじゃつまんなぁ~い。じゃあ、モモクロを言い換えて、ピンクダークだったらいいか?」
「おまえそれ、いきなりデンジャーゾーンに突っ込んだぞ。それはマジでやめろ。もっと短いヤツにしろ」
「それじゃあ、クロロとか」
「何でさらに危険な領域にぶっ込んでんだよ。それはダメを通り越して完全にアウトだ」
「じゃあ、モグロ」
「はい、ダメ、ドーン」
「だったらモモちゃん」
「それもトラブるの元になりそうだからダメだ」
「それじゃあ、モロク」
「ROプレイヤー様の琴線に触れるからダメだ」
「えぇ~、だったらもう、桃色の髪のクロウだから、モモイロクローっ!」
「バーカか、おまえは。めっちゃ一番最初に戻ってるじゃねーか。むしろ悪化してるぞコラ」
「だったらモモイロブラック」
「長い」
「なら、モモブラ」
「何かエロい」
「じゃあ、モブ」
「何でアニメの通行人キャラみたいに言われなきゃならないんだよ」
「あーっ! もぉーっ! 分かったよっ! クロウって呼べばいいんだろっ! クロウっ! クロウっ! クロウっ! クロウっ!」
オーラは急に声を張り上げ、不貞腐れた顔で九郎を見上げた。
「だから、最初からそう言ってるじゃねーか」
九郎は軽く唇を突き出しながら、オーラの膨らんだ頬を指で押した。