第三章 10
「――ンなっ!? なんだこれはっ!? これはいったいなんの騒ぎだっ!?」
目の前で繰り広げられる激しい斬り合いを見て、九郎は愕然と息を呑んだ――。
森の奥でこっそり全裸洗濯を完遂した九郎は、ラッシュの街にすぐに戻った。
すると、北の門の近くにある『ココカラ亭』という酒場の看板が目についた。
天を仰ぐと、青い空の真ん中に太陽が輝いている。
ちょうど昼時か――。
一つ呟き、九郎は店に足を踏み入れた。
店内は食事客でかなり賑わっていた。
九郎はカウンター席に腰を下ろし、隣の客と同じ料理を注文。
大きな白いソーセージを、千切りキャベツの酢漬けと一緒に煮込んだ料理と、
栗かぼちゃとひき肉を包んだパイがすぐに出てきた。
(おっ! これは美味いっ!)
キャベツとソーセージを一口食べたとたん、九郎の目が輝いた。
(なるほど。こいつはいわゆる、ソーセージとザワークラウトの煮込みだな。この街にはけっこういろんな料理があるけど、この店はドイツっぽい料理がメインなのか)
九郎はナイフとフォークを忙しなく動かし、
またたく間に料理を平らげる。
そして食事を終えて店を出て、ふらりと歩き出しながら思案する。
(さて、どうするか……)
空を見ると、太陽はまだまだ高い。
(時間はおそらく、一時半ってところか。三時までにはまだずいぶんと間があるが、今日は最後の三日目だし、ちょっと早めに行ってみるか)
すぐに腹を決め、噴水広場に足を向ける。
すると広場が遠目に見えたとたん、何やら激しい音が聞こえてきた。
石を砕くような重い破壊音だ。
(……うん? 何だありゃ? 何やってんだ?)
唐突な音に首をかしげながら目を凝らす。
どうやら噴水の前で、誰かが何やら動き回っている様子だ。
九郎は少し足を速める。
直後、目を丸くして呆然と立ち尽くした。
小さな噴水広場では、二人の人間が戦闘行為を繰り広げていた。
「――うおおおおおおおりゃあああっっっ!」
赤い革ジャケットの若い女性が、裂ぱくの気合いとともに剣を振り下ろした。
しかし敵にひらりとかわされ、剣は石畳を砕いてめり込む。
真っ赤な金属の鞘に収まったままの剣を、
短い赤毛の女剣士は力任せに引き抜いた。
そして再び降り上げながら、敵に向かって突進していく。
(お……おいおい、何だよ、あの相手は……)
赤い剣士の敵を見て、九郎は思わずつばを飲み込んだ。
その敵は、本能的な恐怖をかき立てる黒装束をまとっていた。
顔を隠す黒仮面。
ゆったりとした上着とズボン、それにショートブーツも黒地の素材。
しかもそのすべてに、独特な魔言と魔円が暗い緋色で描かれている。
明らかに、恐怖を与える意匠を凝らした格好だ。
全身黒づくめの敵は、長い黒髪を揺らしながら素早く走る。
さらに細身の体で矢のように飛びかかり、
無言のまま赤い剣士に小太刀を振るう。
「おおおおおおおおっしゃあああーっっっ!」
赤い剣士は剣を抜かずに、鞘のまま振り回す。
その猛攻を、黒い敵はすべて紙一重でかわしていく。
同時に小太刀を疾風のように突き出し、剣士の足や腕に切りつける。
剣士は簡素な鋼の小手で小太刀を払った。
すかさず距離を詰めて剣を振るう。
黒い敵はくるりと回って素早く避ける。
振り下ろされた赤い剣は石のベンチを打ち砕く。
さらに陽の光を煌めかせ、再び黒い敵へと振りかざされる。
(うーん……これはどう見ても、赤い方が劣勢だな。黒いヤツは真剣で戦っているのに、何であいつは鞘から剣を抜かないんだ……?)
赤い剣を見つめながら、九郎はわずかに眉を寄せた。
そのまっすぐな赤い鞘は、大人の歩幅よりも少し長い。
幅は握りこぶしほどもある。
リーチは短めだが、石畳をあっさり砕く重量級だ。
鍔は頑丈な十字型。
柄は長く、両手で握っても余りが出るほどの造りになっている。
(あれはたしか、片手でも両手でも使えるバスタードソードってヤツだな。剣を鞘から抜かないのは、石畳にぶつけて刃こぼれすることを防ぐためか。たしかにああいう動きの速い敵には、鈍器として思い切り振り回した方が効果的かも知れないけど……うん?)
九郎が黒い敵に視線を向けると、仮面の奥の瞳と一瞬だけ目が合った。
直後――黒装束が後ろに大きく跳び下がった。
黒い敵は走り出しながら腰の鞘に小太刀を収め、
広場南の手すりを飛び越える。
そしてそのまま下の通路に飛び降りて、あっという間に走り去った。
「ちょっ!? ちょっと待てぇぇーっ!」
赤い剣士も手すりに駆け寄り、黒装束の背中に吠え上げた。
「勝ち逃げなんてずるいぞコラぁーっ! 逃げずにさっさと戻ってこぉーいっ! そしてあたしに倒されろぉーっ! この卑怯も……のって、はら……?」
赤い剣士が急にへたりと尻もちをついた。
そしてそのまま横に倒れて動きを止めた。
「えっ!? おっ! おいっ! どうしたっ!?」
九郎は慌てて駆けつけた。
赤毛の女は、完全に白目を剥いて意識を失っていた。
よく見ると、鋼の小手と胸当て以外のあちこちに切り傷があり、
かなりの血が流れ出ている。
「おっ、おいっ! あんたっ! しっかりしろっ!」
九郎は大声で呼びかけながら、手ぬぐいを裂いて傷口を片っ端から縛っていく。
しかし、赤毛の女は目を覚まさない。
「くそ。仕方ねぇな」
傷口をあらかた塞いだ九郎は女性を背負って歩き出した。
そして、やたら重い赤い剣を引きずりながら、その場を去った。