第三章 9
「――よし、誰もいないな」
大きな木の陰から顔を出した九郎は、
周囲に人がいないことを念入りに確認した――。
イカリン伯爵邸を出た九郎は、早足で市場に戻った。
時刻は午前十時前――。
雑貨の露店をいくつか回り、大きな手ぬぐいを二本と、石けんを購入。
そしてすぐに街を出て、北の森に足を向ける。
森の中をしばらく進むと、薄暗い河原を発見。
すぐさま薪を拾いに走り、たき火を熾す。
そして大きな木の陰で服を脱ぎ、胸と腰に手ぬぐいを巻きつける。
それからおそるおそる周囲を見渡したとたん、小さなクシャミが飛び出した。
「うぅ……寒い……。これは手早く済ませないと、マジで風邪をひきそうだ……」
九郎は脱いだ服をすべて抱えて河辺に走る。
そして石けんを握りしめ、片っ端から洗い始めた。
「うっひぃーっ! つめたっ! さむいっ! やべぇーっ! 秋の全裸洗濯マジパねぇーっ! こいつはガチで凍え死にそうだっ!」
全身鳥肌で、歯を噛み鳴らしながら、
九郎は一心不乱に洗いまくる。
下着や靴下などの小物は丁寧に、ブラウスやズボン、
セーラー服やローブなどはがっつりと洗っていく。
そして洗濯が終わると、たき火のそばに駆け戻り、
石の上に濡れた服を並べて両手をかざす。
「り……理論上は、たぶん大丈夫なはずだ。よし、いくぞ。――アタターカ」
手のひらの前に黄色い魔法陣が浮かび上がり、
濡れた服から薄い蒸気が立ち始める。
「おっ! いいぞぉ、いい感じだ。料理を温めるのと同じように、服が燃えないように気をつけながら、水分子だけを振動させて、蒸発させればいいんだからな」
九郎は慎重に手を動かし、すべての服にまんべんなく魔法陣を向ける。
すると数分ほどで、すべて柔らかく乾燥した。
「おおっ! やったぁっ!」
九郎は喜びの声を上げながら、乾いたローブをすぐに羽織る。
そのまま体を隠しながら手ぬぐいを脱ぎ、手際よく服を着る。
するとその時、どこかで何かの音がした。
小枝が折れたような小さな音だ。
「何だ……?」
九郎は急いで服を着ながら視線を飛ばす。
音がしたおおよその方角は分かるが、周囲はすべて薄暗い森。
確信は持てない。
「だれかいるのかぁーっ!」
森に向かって声を張り上げ、目を凝らす。
しかし、動くものは見当たらない。
「気のせいか……」
呟きながら、河の方へと体を向ける。
直後、素早く振り返って森を見た。
すると音がした方向で影が走った。
薄暗くてよく見えない。
しかし、間違いなく何かがいる。
「待てっ!」
九郎は駆け出しながら小石を拾い、影に向かって投げつけた。
すると、鈍い音がかすかに聞こえた。
動物のうめき声に似た音だ。
しかし、音のした方に駆けつけてみると、影はもう消えていた。
耳を澄ましても、森の中は完全に静まり返っている。
「……くそ、こんな場所でのぞきかよ。やっぱケチらずに安い服でも買って、街で洗濯すればよかったな」
九郎は唇を尖らせながら元の場所に足を向けた。
そしてたき火に手をかざし、クシュン、と小さくクシャミした。