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第三章 8



「――おはようございます。……おや? あなた、ちょっと臭いますね」



 朝の中央通りで九郎に声をかけたエスタが、

 鼻を突き出しながら顔をしかめた。



「えっ? マジっすか?」


 九郎は慌ててローブとセーラー服の臭いを嗅ぐ。


(うーん、やばい、どうしよう。マジでちょっと汗臭い……。風呂には毎日入っているが、服は替えていないからな。そりゃあ臭うのも当然か……)


「すいません……。風呂には入っているけど、服はこれしか持ってなくて……」


「まあ、どうせ、そんなことだろうと思いました」


 エスタは呆れ顔で天を仰ぎ、言葉を続ける。


「まったく。最近の若い娘はどうかしてます。服装に無頓着だとは思っていましたが、替えの服がないだなんて、驚きを通り越して呆れ果てるばかりです。……ですがまあ、そこまで言うほど汗臭いわけではありませんので、今日はそのままでかまいません。どうせ、あなたの仕事は今日で終わりですからね。それでは、荷車を引いてついていらっしゃい」


「はぁーい……」


「返事は『はい』と言いなさい。まったく。挨拶がだらしないから、すべてがだらしなくなるのです。ほら、さっさと行きますよ」


 エスタはぴしゃりと言い捨てた。

 そして、馬車と人の往来が激しい通りをすいすいと進んでいく。


 その背中を、九郎は目を三角にしてにらみつけた。


(きぃーっ! このクソババアーっ! どんだけ上から目線なんだぁーっ! テメーはオレのおかんかぁーっ!? おかんなのかぁーっ!? あーっ! もぉっ! くやしいっ! くやしいけど荷車引いちゃうっ! だってそれが仕事だもんっ!)


 心の中で怒鳴りながら、九郎は大股で荷車へと向かう。

 そして全力のふくれっ面で中年メイドを追いかけた。



 エスタは交易商人の露店で足を止め、コーヒー豆の樽を一つと、

 茶葉が詰まったブリキの缶を二つ購入して荷車にのせた。

 

 そして、九郎にしばらく待つように言い残し、近くの建物へと入っていく。



「――ぬぅ。エスタさん、遅いな」



 九郎はぽつりと呟いた。


 五分経っても、十分経っても、エスタはなかなか戻って来なかった。


 おかげで、手持ち無沙汰であくびが出た。

 ほとんど空の荷車に尻をのせ、呆然と中央通りに目を向ける。



 幅の広い石畳の左右には、木組みの露店が所狭しとひしめき合っている。

 簡素な屋台も数多い。

 二人一組の警備兵たちは、あくびをしながら巡回している。

 

 無数に通り過ぎていく馬車を見ると、

 男の御者たちが巧みに馬を操り、自在に街の中を駆けていく。



 露店で買い物をしているのは女性が多い。

 女たちは腕に提げたカゴに野菜や果物を詰めながら、

 店を次々と渡り歩く。


 石造りの建物沿いには、

 大きなカゴに洗濯物を詰め込んだ女性たちが歩いている。

 ほとんどが幼児を連れた母親だ。

 誰もがのんびり世間話をしながら、川の洗濯場に向かっていく。



(……なるほどね)


 九郎は無言でうなずいた。


(御者と警備兵は男ばかり。買い物客は女が多く、洗濯は女性だけ。つまり、社会制度が未発達だと、風習や子育ての観点から、男女の役割がはっきり分かれるということか。しかしそれでも、夢やロマンや、戦いを求める女性も一定数存在する。そういう女たちが、民兵ギルドに入るってわけだな。


 しかし、だとしたら、

 どうしてオレのパーティーメンバー募集に誰も来ないんだ……? 


 やはり、サザランの魔王討伐という条件がネックだったか? いやいや、それでも、自立心と好奇心が旺盛な女性なら、ちょっとは興味を惹かれるはずだ。そしたら話だけでも聞きに来るに決まってる。それなのに、ただの一人も来ないというのは、やはりどう考えてもおかしい。……ふむ。これは一度、ギルドホールに足を運んで、メガネさんに相談した方がいいかも知れないな……)



「――お待たせしました」



 物思いにふけっていると、エスタがようやく建物から出てきた。


「ああ、エスタさん。おかえり。そんじゃあ、次は何を買いに行くんだ?」


「いえ。必要なものはすべて揃いましたので、もう屋敷に戻ります」


「へっ? たったこれだけ?」


 九郎は呆気に取られて荷車を見た。

 昨日までは山のように荷物を積んだのに、今日はたった三つしかない。


 しかしエスタは九郎の驚きなど気にもかけず、さっさと横を向いて歩き出す。


「さあ、ぼやぼやしないで行きますよ」


「あ、はーい」


(いえーい、ラッキー)


 九郎は思わずガッツポーズ。

 そして、ほとんど重さを感じない荷車を引いて、エスタのあとについていった。




「――うん? 何だありゃ?」




 屋敷の門が見えたとたん、九郎は思わず首をかしげた。

 武装した四人の男と、幌のない馬車が止まっている。

 どうやら四人とも、街の治安を維持する警備兵のようだ。



「あなたが気にすることはありません。さっさと中に入りますよ」


 エスタはぴしりと言って、すぐに門の中へと入っていく。


(はて、何だろ? ここは伯爵の屋敷だから、誰か偉い人でも来てんのかな?)


 九郎は疑問に思ったが、無言で警備兵の脇を通り過ぎる。

 そして昨日までと同じように、

 屋敷の裏で待っていたコックの前に荷物を下ろす。

 中年男はいつもどおり、ニヤニヤと九郎の尻を眺めている。



 するとその時――不意にエスタが、コックに向かって淡々と通知した。



「ギルバート。今日付けで、あなたを解雇します」



「……はい?」


 そのとたん、コックの顔が固まった。


(えっ? なんだなんだっ?)


 突然の解雇通告を耳にして、九郎は目を丸くした。


 コックのギルバートも目を見開きながら、エスタに両手を向けて口を開く。


「ちょ……おいおい、メイド長さん。そいつはなんの冗談だ? 面白くもなんともねぇんだけど」


「冗談なのは、あなたの行いです。そして、面白くないのはこちらの方です」


 エスタは冷えた目でギルバートをまっすぐ見据え、さらに言う。


「お聞きなさい、ギルバート。門の前に迎えの方たちが来ています。荷物はあとで届けさせるので、あなたは今すぐ、その方たちと一緒に行きなさい」


「はあ? 迎えだと? なんのことだ? いったいなんのことだがわけが分からねぇぞ? だいたい、俺がいなくなったら料理はどうするんだよ。コック長がいなかったら、あんただって困るだろ」


「困りません。むしろ、あなたがここにいる方が問題になります。ここまで言えば、さすがにもう分かりますね?」



「なっ……なんだと……?」


 

 ギルバートはごくりとつばを飲み込んだ。

 さらにふらりと二、三歩下がる。


「もう観念なさい、ギルバート。三か月前、先代のコック長が亡くなりました。そしてあなたは、彼の跡を継いでコック長になりました。それからの三か月間、あなたがいったい何をしていたのか、この私が気づいていないと本気で思っていたのですか?」


 エスタは九郎が置いたコーヒー豆の樽に近づき、軽く触れた。


「こういったコーヒー豆や、茶葉などの嗜好品しこうひんだけならまだしも、塩とコショウにまで手を出されたら、さすがに見過ごすわけにはいきません。あなたは、私が仕入れた食料品や調味料の二割以上を盗み出し、闇商人に売り払って私腹を肥やしました。そうですね?」


「い、いや、ちっ、違う! お、俺はそんなことしちゃいない! 俺はコック長だぞっ! コック長がそんなバカな真似をするはずがないだろっ!」


 ギルバートはたじたじと後ろに下がる。

 そして背中が屋敷の壁に当たったとたん、びくりと体を震わせた。


「そんな馬鹿な真似をしたから、こういう事態になっているのです」


 エスタは小さく首を振る。


「よいですか、ギルバート。先代のコック長は、あなたの素行の悪さを知った上で、あなたを雇っていたのです。あなたもそれが分かっていたから、これまで真面目に働いていたのでしょう。それなのに、先代が亡くなったとたん、こんな馬鹿なことを仕出かすとは、言葉で言い表すことができないほど残念でなりません」


「ふ、ふざけんなよ、メイド長さん。そんなの、ただの言いがかりじゃねぇか。俺が食料を横流ししていたっていう証拠はあるのかよ。証拠もないのに盗人扱いするなんて、いくらあんたでも許さないぞ」



「……おまえさぁ、証拠とか言ってる時点で、犯人確定じゃねーか」



 九郎が不意に、呆れ顔でギルバートを指さした。


「うるせーな! テメーには関係ねーだろ! 荷物持ちはすっこんでろ!」


「ああ、すっこんでるよ。だけどさぁ、おまえの方こそあと十分もしたら、ただの犯罪者として警備兵に捕まるんだろ? そしたら荷物持ち以下じゃねーか。ぷぷぷ、だっせーの」


「なんだとぉっ!」


「おやめさない」


 ギルバートが怒りの形相で一歩踏み出したとたん、

 エスタが一声発して制止した。

 そしてすぐに、裏庭にある倉庫に向かって片手を上げる。



 すると倉庫の中から一人の男が姿を現し、何かを引きずりながら近づいてきた。



「えっ? あいつは……」


 九郎は男を見て目を見張った。


 その人物は、赤茶けた長い髪を

 頭のてっぺんで噴水のようにくくったメイレスだった。


「はぁーい、クロちゃん。一昨日ぶりだねぇ」


 インバネスコートをまとったメイレスは、

 片手を上げながらゆっくりと近づいてくる。

 そして引きずっていたモノをエスタの横に放り投げた。



 それは、縄で縛られた中年男性だった。



 地面に転がった男は逃げようともがいている。

 しかし、がんじがらめに縛られているので、立ち上がることもままならない。


「おいおい、あんたいったい、こんな所で何してんだよ」


 九郎が近づくと、メイレスはニヤリと笑いながらギルバートを指さした。


「実はメイド長さんの依頼でね、そこのコックが食料を横流ししている証拠を集めていたんだよ」


「えっ? 何それ? おまえ、探偵だったのか?」


「まあ、そんな感じかなぁ」


 続けてメイレスは、縄で縛った男を指さす。


「それで、そっちの男はコックの仲間ってわけ。クロちゃんが必死こいて運んだ食料品の一部を、コックの手引きでこっそり持ち出していたから捕まえてきたんだ。もちろん、食料品の隠し場所と、密売相手も確認済みだよぉ」


「へぇ。あんた、裏でそんな仕事をしていたのか」


「まあねぇ。実は先月から調べていたんだけど、そこのコックは意外に慎重でさぁ、二週間前にボクの仲間が食料品を運んだ時は横流しをしなかったんだよ。たぶん、見知らぬ相手だったから警戒したんだろうねぇ」


「……はあ? 荷物運びなんて、別に誰がやっても同じだろ」


「それが大いに違うんだよねぇ」


 首をかしげた九郎に、メイレスはコーヒー豆の樽を指さした。


「横流しされたことが分かるように、購入する食料品には、あらかじめ目印をつけておく必要があるんだよぉ」


「目印って……ああ、そういうことか。そうしないと、盗まれた証拠にならないってことか。だけど、そんなのやっぱり、誰が運んでも同じじゃねーか」


「うーん、どうやらクロちゃんは知らないみたいだけど、荷物運びをする人ってのは、けっこう手くせの悪い人が多いんだよねぇ」


 メイレスは指を一本立てて、クイッと曲げながら言葉を続ける。


「ここの屋敷みたいに大量の品物を運ぶ場合、一箱や二箱くすねても、うやむやになることが多いんだよ。だから、どんなに信用の高い配達業者に頼んでも、必ずと言っていいほど誰かが盗むんだ。だけどそうなると、そこのコックが横流ししたかどうか分からなくなってしまう。だから民兵ギルドのメガネさんに頼んで、街に来たばかりで、信用できそうな人を探してもらっていたんだよ」


「ほぉ~、なるほどねぇ。そういえばオレの国でも『当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます』っていう何かのキャンペーンの景品を、宅配業者がパクった事件があったな……。それで、どこからどう見ても誠実なオレが荷物運びに選ばれたってわけか。……いや、ちょっと待て」


 九郎はじろりとメイレスを見上げた。


「あんた、たしかさっき、二週間前は横流しされなかったって言ったよな? じゃあなんで、オレが荷物を運んだら、あのクソコックは横流ししたんだよ」



「そんなの決まってんだろうがっ!」



 不意にギルバートが声を張り上げた。


「テメーみたいな頭の悪い小娘に、この俺が騙されるはずねぇからなっ! 実際テメーは何も知らないただの荷物運びだったじゃねぇか! それをよくも、こんな卑怯な罠にかけやがって! いいか小娘っ! テメーだけはゼッテー許さねぇからなっ!」


「はあ? おい、クソコック。おまえ、言ってることが支離滅裂だぞ。メイレスの調査のことをオレは知らなかったのに、何でオレにだけ怒ってんだよ」


「うるせぇーっ! 黙れ小娘っ! 俺がこうなったのもぜんぶテメーのせいじゃねーかっ!」


「何だそりゃ? そんなの、完全に逆恨みじゃねーか」


 壁にへばりついているギルバートを見ながら、九郎は深々とため息を吐いた。


 するとメイレスも一つうなずき、口を開く。


「どうやらあのコックは頭がイカれているみたいだねぇ。しかもあいつは盗賊ギルドのメンバーで、筋金入りの悪党だから、あまり相手にしない方がいいよぉ」


「盗賊ギルド? この街には、そんな物騒な組織があるのか?」


「そりゃもちろん。大抵の街には付き物だからねぇ。だから今回の調査には、けっこう苦労したんだよ」


 メイレスに目を向けられたギルバートは、ギクリとして目を逸らした。


「盗賊ギルドは、街のあちこちに独自の情報網を持っているからねぇ。この屋敷の使用人たちだって信用できないから、気づかれずに調べるのは骨が折れたよ。だから、この街に来たばかりのクロちゃんに荷物運びを任せたんだ。おかげで横流しの証拠を押さえることができたから、これでもう、あのコックは言い逃れできない。一件落着ってヤツさ」


「何だそりゃ? それじゃあまるで、オレが囮に使われたみたいじゃねーか」


「ま、一言で言えば、そういうことになるかもねぇ」


「あー、そうかよ。だったら、メシをおごるって話はナシだからな」


 九郎は軽く頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いた。


 メイレスは微笑みながら肩をすくめ、メイド長に向かって手を向ける。


 エスタは一つうなずいて、ギルバートに向かって淡々と口を開く。


「……と、いうわけです、ギルバート。あなたはなかなか上手に横流しをしていました。おかげで証拠を揃えるのに、こちらも手間と時間がかかりました。ですが、悪事は必ず暴かれます。罪を認めて、表にいる警備兵のところに行きなさい。この場で取り押さえないのは、この屋敷で働いていたあなたに対するせめてもの情けです」



「ふ、ふざけんなぁーっ!」



 ギルバートはエスタをにらんで声を張り上げた。



「元はと言えば、そっちが悪いんじゃないかっ! 毎日まいにち、多くの料理を食べ残しているくせに偉そうなことを抜かすんじゃねぇっ! ゴミにするくらいなら、カネに換えた方がよっぽどマシじゃねぇかっ! そうだよっ! 俺は残飯をカネに換えていただけだっ! それのどこが悪いって言うんだよぉっ!」


「ギルバート。たしかにあなたの言うことには一理あります。ですが、それは盗人の屁理屈です。残飯を金に換えるのはよいことでしょう。しかしあなたは、新品の食料を盗みました。それを残飯の話で正当化しようとするのは筋が通りません。


『いずれ残飯になるのだから、新品を盗んでもいい』


 と言うのであれば、


『あなたはいずれ死ぬのだから、何も食べるな』


 と言われて、おとなしく従いますか? あなたは間違いなく従わないでしょう。つまり今のあなたは、『物事の道理』を、自分の都合のよいように捻じ曲げて言い張っているだけです。その証拠に、あなたは食料品を夜中にこっそり盗み出していた。それは、自分が悪いことをしていると認識していたからです。そしてあなたは悪事を行っておきながら、この場で明るみに出たとたん、責任の所在を誤魔化そうとした。そうやって自らをかえりみない人間は、死ぬまで悪事に手を染めます。分かりますか、ギルバート。あなたは永遠の悪人なのです。そして今のあなたにできることはただ一つ。自分が救いようのない悪人だということを心に刻みながら、牢屋の中で朽ち果てなさい。それが、我らが母なる星バステラに対する、せめてもの恩返しです」



「ふっざけんじゃねぇぇーっっ!」



 ギルバートは吠えながら、じりじりと横に動き出す。



「誰が永遠の悪人だぁっ! 俺はただっ! 自分の人生を楽にしようとしただけじゃねぇかっ! それのどこが悪いっ! なにが悪いっ! 誰だってそう思うだろっ! 普通はみんなそう考えるだろっ! 盗みぐらい誰だってやってるじゃねぇかっ! ドロボウなんてそこら中にゴロゴロいるじゃねぇかっ! それなのにっ! なんで俺だけが捕まらなくちゃならねぇんだっ! そんなの不公平じゃねぇかぁっ!」



「おいおい、おまえ、ちょっと待てよ」



 不意に九郎がギルバートを指さした。


「その理屈でいったら、ここでおまえが捕まらないと、今まで捕まった他のドロボウたちも不公平だと思うんじゃないのか? 自分たちは捕まったのに、何でおまえだけ捕まらないんだよって」


「あぁっ! テメーはいちいちうるせぇんだよっ! このクソガキがぁーっ!」


 ギルバートは目を血走らせて九郎をにらんだ。


「他のドロボウなんか知ったことじゃねぇんだよっ! 俺は自分が捕まらなかったらそれでいいんだっ! 誰だってそう思うだろうがっ! 荷物持ちの分際でナメた口利いてんじゃねぇぞコラぁーっ!」


 中年コックは怒鳴りながら、

 腰に提げていた荷解き用のナイフを九郎に向かって投げつけた。

 同時に地面を強く蹴り、裏庭目がけて一目散に逃げ出した。



 瞬間――九郎は一歩横に跳んだ。



 同時にメイレスがサーベルを抜き放ち、ナイフを瞬時に叩き落とす。


「おやぁ? 余計なお世話だったかなぁ?」


「いや、助かったよ。あんた、けっこう強いんだな」


「いやいや、それほどでもないよぉ」


 メイレスは微笑みながら、抜き身のサーベルを地面に突き立てる。

 そして空の鞘を腰から引き抜き、

 ギルバート目がけて猛烈な勢いで投げつけた。

 

 鞘は高速で回転しながら走り去るギルバートの足に飛ぶ。



 直後――ギルバートは反射的にジャンプして鞘を避けた。



「――へっ! そんなモン当たるかよぉっ! ぶぁーかっ!」


 憎々しげに顔を歪めてつばを吐き、コックコートの男は裏庭に走り去っていく。



「……おやおや。避けられちゃった」


「おいおい、何やってんだよ。あんた、けっこう間抜けだな」


「まぁねぇ。何たって、ボクはカブキモノだからねぇ」


 九郎のじっとりとした視線に、メイレスはしれっとした顔で言う。

 それからすぐに、転がった鞘に向かって歩き出す。


「それで、エスタさん。あのコックはどうすんの? まんまと逃げられちゃったけど」



「放っておいていいでしょう」



 エスタは小さく息を吐いた。


「こんなこともあろうかと、警備兵の詰め所に立ち寄り、屋敷の周囲に人員を手配しておきました。たとえギルバートが逃げ切ったとしても、あとは警備兵の仕事です」


「ああ、オレを待たせて入っていった建物は、警備兵の詰め所だったのか」


「そういうことです。それより――」


 不意にエスタが小さなトレーを差し出してきた。

 見ると、金貨が一枚のっている。


「こちらが今回の報酬になります。どうぞお納めください」


「お、やったー。それじゃ、遠慮なくいただきまーす」


 とたんに九郎の顔がぱっと輝いた。

 九郎は金貨をつまみ上げ、巾着袋にそそくさと突っ込んだ。


「それと、あなたの宿はオリビア亭でしたね?」


「え? うん、そうだけど」


「それでは、もう一つお話があります」


 エスタは不機嫌そうに顔をしかめて、言葉を続ける。


「おほん。今回はギルバートを捕まえるためとはいえ、あなたには事情を説明せずに協力していただきました。そのことに対するお詫びとして、追加の報酬を用意しました。そちらは宿の方に届ける手はずになっていますので、戻ったら確認してください」


「えっ! マジで!?」


「はい。これは当家のあるじからの好意です。私は追加報酬など不要と申し上げたのですが、それでは筋が通らないとの仰せでしたので、特別にご用意しました」


「へ? 当家の主って、屋敷の主人のことか?」


「そうです。現当主のイカリン伯爵は、特別に心のお優しいお方なのです。あなたのような汗臭い小娘にも分け隔てなく接することができる、大変奇特なお方です。ちなみに奇特なお方というのは、気高くて優しい心を持つ素晴らしいお方、という意味です」



「……悪かったな、汗臭い小娘で」



 言われたとたん、九郎はアゴを引き、頬を膨らませた。

 

 すると戻ってきたメイレスが、サーベルを鞘に収めながら首をかしげた。


「おやおや、どうしたのかなぁ? そんなにふくれちゃって」


「何でもねーよ。それよりほら、報酬もらったぜ」


 九郎はすぐに気を取り直し、巾着袋を軽く叩く。


「おお、それはよかったねぇ。お疲れ様でしたぁ」


「ほんとに疲れたよ。ま、金貨一枚は五万円ってところだから、報酬としては悪くないからな」



「――メイレス様」



 エスタがメイレスにもトレーを差し出した。


「こちらが今回に報酬になります。どうぞお納めください」


「お、ありがとぉ、メイド長さん。それじゃあ、遠慮なくいただくねぇ」


 メイレスはトレーの上の巾着袋を指でつまみ、軽く微笑む。

 

 それを見て、九郎はふと訊いてみた。


「そういや、あんたの報酬はいくらなんだ?」


「ん? ボクは金貨二十枚だよぉ」



「にっ!? にじゅっ!?」



「前金を合わせると、三十枚だけどねぇ」


「三十枚って……マジかよ……」


「当然です」


 驚いて目を剥いた九郎に、エスタがぴしゃりと言い放つ。


「ギルバートが加入していた盗賊ギルドは、暗殺グループにも太いパイプを持つ、危険な相手です。メイレス様には命がけの仕事をしていただいたのですから、これでも安い方です」


「へぇー。ってことは、あんたやっぱり、けっこう強いんだな」


「いやいや、それほどでもないよぉ」


 メイレスは微笑みながら、巾着袋をコートの懐に突っ込んだ。


「それよりクロちゃん。よかったら、今夜、ご飯でも食べにいかない? 報酬が入ったから、ご馳走するよぉ」


「お、そいつはありがたいな」


 瞬時に乗り気の笑顔が浮かんだが、九郎は残念そうに肩をすくめる。


「だけど、今夜は遠慮するよ。タダメシはマジでありがたいんだが、ちょっと野暮用があるんでね。悪いけど、また今度誘ってくれ」


「そっかぁ。それじゃあ、また今度ねぇ。メイド長さんも元気でねぇ~」


 メイレスは軽い調子で別れを告げて、二人に手を振って去っていく。


「……さてと。それじゃ、エスタさん。オレもそろそろ行くよ。また何か、いい仕事があったら声をかけてくれ。暇だったら、すぐに駆けつけるからさ」


「そうですね。あなたが汗臭くなくなったら、またお願いするかも知れません」


「はいはい。汗臭くて悪かったな。それじゃ、いろいろお疲れさん」


 九郎はメイド長に一つ微笑み、すぐに屋敷をあとにした。



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