第三章 7
「――なぜだ……」
星がまたたく夜空の下。
九郎は遠い目をしながら呟いた――。
イカリン伯爵邸を出た九郎は、
昨日のパン屋で豆とひき肉を包んだ揚げパンを二つ買い、
そのまますぐに噴水広場に足を向けた。
しかし、小さな広場は昨日と同様、無人だった。
日時計を見ると、影は二時半を指している。
九郎はそそくさと石のベンチに腰を下ろし、
そわそわとパンを食べながら応募者が来るのを待った。
しかし――。
三時を過ぎても誰も姿を現さなかった。
さらに四時を過ぎても誰も来ない。
そうしていつしか五時を過ぎ、六時を回って、日が暮れた。
「なぜだ……」
九郎は頭を抱えて、石畳に目を落とす。
(……おかしい。こいつは絶対におかしいぞ……。どんなに過疎ったネトゲでも、掲示板にパーティーメンバー募集を書き込めば、必ず一人か二人は来るはずだ。それなのに、募集を開始してから三十時間以上が経過して、ただの一人も姿を見せないだと……? こいつはいったいどういうことだ……?)
暗い星空の下、
九郎は石畳の黒い汚れを見つめながら思考を高速回転させる。
(……うん。この状況はどう考えても、やはりおかしい。なぜならば、この世に生きるすべての人間が『同じ常識の軸』を持つということはあり得ないからだ。最大多数の『一般人』というカテゴリーは、厳密に言えば、少しずつズレた『常識』を持つ多数派のことだ。そして、常識の軸が『一般人』から大きくズレた人間は『異常者』という。そういう『異常者』からすれば、一般人の方が異常に見えるのだが、『異常者』は少数派だ。マイノリティの立場が弱いのは、人類存続の観点から見れば必然だから仕方がない。
……しかし、オレが募集したのはそんな少数派の『異常者』ではない。
人類は男と女で構成されているから、男女比は根本的に半々となる。そしてオレは、民兵ギルドに在籍する『女性』という、非常に大きなカテゴリーに狙いを定めて募集をかけた。たしかに、魔王討伐という条件は厳しいが、それでもただの一人も顔を見せないなんてことは逆にあり得ない。なぜならば、こういった目新しい試みには、ガヨクのオッサンみたいに冷やかしを入れたがる人間が必ず存在するからだ。それなのに、そういった見物人すら一人も来ないなんて、逆に異常すぎる。なぜだ……? いったいなにが、なにゆえ、なぜに、どうして、こんなことになったんだ……?)
九郎は両目を見開いた。
そして、石の床にこびりついた無数の黒い染みを
無意識に目で追いながら、さらに思考を加速させる。
(……ぬぅ。なぜだ? ほんとにマジで、こいつはいったいどういうことだ……? ROでもプソ2でも、ハイハンでもダークエでも、バハムーでもグラブルでも、マビでもヒデオでも、メイポーでもトスでも、こんなことは一度もなかった。それがなぜ、こんなに人が集まらないんだ? ……って! はうあっ!? そうかっ! 原因はあれかぁーっ! 女性限定にしたから、直結厨だと思われたのかぁーっ!)
「――ぐあああああああああああああああーっっ!」
人が来ない理由に思考が到達した瞬間、
九郎は頭を掻きむしって身悶えた。
(うおおおおおおおぉーっ! やっべぇーっ! そうだぁーっ! そうに違いないっ! きっとおそらく名前のせいだっ! あの求人依頼に『by‐クロウ』って書いたじゃねーかっ! ああっ! なんてこったっ! クロウなんて、どう考えても男の名前じゃねーかっ! そんな名前で女性限定のメンバー募集なんかしたら「おいおい、何だよこいつ。どんなハーレム狙いのおっさんだよ。ぷげら」って思われて当然だろうがぁーっ!)
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」
九郎は頭を抱えながら立ち上がり、石畳に飛び込んだ。
さらにそのまま全力でゴロゴロと転がり出す。
「ふんぐおおおおおおおおおおおおおぉぉーっっ!」
羞恥心が胸の奥から湧き出して止まらなかった。
あまりの恥ずかしさに全身全霊で声を張り上げ転がり続ける。
しかし不意にぴたりと止まり、むっくりと立ち上がる。
そして、闇の中で目を光らせた。
「……よし、こうなったら致し方ない。名前を変えよう」
九郎はローブの汚れを手で払い、背すじを伸ばして星を見上げる。
「……そうだ。今日からオレはクロコになる。クロウではなく、クロコちゃんだ。影の薄いバスケ選手でもないし、砂を操って国を乗っ取ろうとする黒幕でもない。ハンドアックスを持つワニ男でもないし、第一七七の風紀テレポーターでもない。金髪にもしないし、トンガリ頭にする気もない。今日からオレは、ただのクロコちゃんだ。……よし、そうと決まれば、早速求人依頼の名前を変えに行こう。とにかく話はそれからだ」
次の瞬間、九郎は全力で駆け出した。
そのまま怒涛の勢いで民兵ギルド会館に飛び込んだ。
そして素早く求人依頼の名前を『クロコ』に訂正。
すぐにその場を離脱する。
それから大衆浴場で汗を流して、宿屋に戻り、
川魚のキノコあんかけをぺろりと平らげ、ベッドに潜って目を閉じた。