第三章 5
「――っだぁーっ、くそ。ひどい目に合ったぜ」
街を流れる小川の上の石橋で、九郎は鼻から息を噴き出した――。
荷物運びは想像以上に重労働だった。
結局、解放されたのは午後の一時過ぎ――。
市場と屋敷を四往復したあとだった。
しかも最後の品を運び込むと、
コックの男がニヤニヤと笑いながら冷えたパンを投げてきた。
九郎は反射的に投げ返し、そのままふらふらと疲れ切った顔で屋敷を出た。
すると、近くのパン屋から、美味しそうな香りが漂ってきた。
つられるように店に入り、ひよこ豆のペーストを挟んだパンを購入。
そのまますぐに街の北へと足を向け、石橋の欄干に腰を下ろしてパンを食べる。
そして最後の一口を飲み込んだ直後、唇を尖らせながらイライラを吐き出した。
「……ったくよぉ、ほんと男ってのは、これだから嫌になるぜ。何なんだよ、あのくそコックは。あんな性格の悪いヤツが作ったパンなんか冗談じゃない。たとえあいつが、有名料理学園でトップテンに入る凄腕料理人だったとしても、絶対にお断りだっつーの。むしろオトコ割りで頭からカチ割って、くっつけて、理科室に飾って『おそまつっ!』って言ってやりたいぐらいだぜ。――おっと、やばいやばい。そういや、そろそろ三時だな」
ふと時間に気づき、慌てて欄干から飛び降りる。
そしてすぐに橋を渡り、噴水広場に足を向けた。
「……おや?」
目的地が遠目に見えてきた時、九郎は思わず目を凝らした。
そこは、小さな噴水を囲むように石のベンチが四方に置かれた、
こぢんまりとした公園だった。
少し離れたところには、大理石の台の上に青銅製の日時計が置かれている。
「ちょうど、三時だよな……?」
日時計に近づいて、影の位置で時刻を確認。
それからもう一度、噴水広場に目を向ける。
「誰もいない……」
鍛冶屋の裏手の広場には、人っ子一人いなかった。
目をこすり、ゆっくりと周囲を見渡す。
噴水広場は高台にあった。
西側と南側は見晴らしのよい高所で、下の通路の植え込みから、
高さ五メートルほどの石積みよう壁になっている。
北側には石造りの建物が並び、東側には石畳の通路がまっすぐ伸びている。
九郎はその場でくるりと回ったが、やはりどこにも誰もいない。
「……時間は間違っていないよな?」
もう一度日時計に目を向けて、青い空に浮かぶ太陽を見た。
「うーん、おっかしぃなぁ……? さっき橋から見上げた時は、けっこう人影があったように見えたんだけど……」
首をわずかにひねりながら、石のベンチに腰を下ろす。
そしてそのまま、誰かが来るのをひたすら待った。
しかし――。
待てど暮らせど、誰も来ない。
ふと気づけば、日時計の影は一時間後を指している。
九郎は両膝の上に両肘をのせ、両手を組んでアゴをのせて、
床の黒い染みを見つめながらさらに待つ。
日時計の影がもう一時間進むと、
今度は鍛冶屋の石壁をじっとり見つめて、さらに待つ。
そして日時計の影が見えなくなると、
顔面に暗い影を落としながら、ふらりと立ち上がった。
「三時間待って、一人も来ない……。これが新人アイドルのファーストライブ会場なら、デビュー当日に引退を決意するレベルだな……」
見上げれば、藍色の空に一番星がまたたいた。
九郎は奥歯を噛みしめながらうつむいた。
そのままとぼとぼと歩き出し、大衆浴場で汗と涙を洗い流す。
それから宿屋にまっすぐ戻り、
骨まで柔らかく食べられるハーブ煮込みのチキンをむさぼり食って、
不貞寝した。