第三章 4
「――うっきゃぁーっ! えぇーっ!? なにあれなにあれっ!? ――パシャッテっっ!」
若い女が屋敷の廊下を駆け抜けながら魔言を唱えた。
その白い指先に、黄色い魔法陣が瞬時に浮かぶ。
女は長い金髪を振り乱し、全速力で二階のバルコニーに飛び出した。
さらに走りながらスカートをたくし上げ、手すりの内側を踏みつけて体を固定。
即座に魔法陣を前庭に向けて、青い瞳を輝かせた。
「うっひょぉーっ! なにあの子っ! スーパーウルトラハイパー超メガかわいいんですけどぉーっ!」
金髪女の魔法陣はレンズのようにズームして、
ふらふらと疲れ切った顔で前庭を歩く人物に自動照準。
それは桃色のローブをまとった、長い桃色の髪の少女だった。
女は魔法陣をのぞきながら鼻の穴を膨らませ、黄色い声を張り上げる。
「うっきゃぁーっ! なになにっ!? あの桃色の髪っ! 初めて見たっ! 初めて見たわぁーっ! お写真ゲットーっ! ハイっ! パシャパシャパシャパシャっ!」
パシャの一言で、魔法陣から白い紙が一枚飛び出す。
次から次に湧き出る紙を、女は空いた手で器用につまみ、溜めていく。
そして桃色の髪の少女が屋敷の門から出ていくと、
魔法陣を消して、満足そうに息を吐き出した。
「いやぁ~ん、なにこれぇ~! もうサイコー! 超サイコー! エスターっ! エスターっ!」
女は手にした紙の束を次々にめくりながら廊下を走る。
紙は、桃色の髪の少女の姿を写し取った写真だった。
「いやぁ~ん! もぉ、どうしましょう! サイコーすぎるわっ! エスターっ! エスターっ! ――ふんぎゃ!」
突然、何かにぶつかって尻もちをついた。
「……まったく。前を見ていないから、そういうことになるのです」
女を弾き飛ばしたのはメイドの中年女性だった。
廊下に突っ立ったメイドは、呆れ顔で金髪女に声をかける。
「それで、どうかされましたか、ジンジャー様」
「あっ! エスターっ!」
女は廊下に座り込んだまま、エスタに写真の束を向けた。
「ねぇっ! この子だれ!? なんかもう、メチャメチャかわいかったんだけどっ!」
「……ただの荷物持ちです」
エスタは不機嫌そうにぼそりと答える。
「名前はっ!?」
「クロウと名乗っておりました。しかし、おそらく偽名でしょう。民兵ギルドからの紹介ですが、素性も不確かな下賎の娘です」
「へぇ~、変わったお名前ねぇ」
ジンジャーは写真を見てにやつきながら、くねくねと体を揺らす。
「そっかぁ、クロウ様かぁ。いや~ん、クロウ様、ちょ~かわいい~」
「あのような娘に敬称を使う必要はありません。態度も言葉づかいも乱暴な、ただの下働きです」
「わたし、クロウ様と結婚したぁ~いっ!」
「また何を馬鹿なことを……」
能天気なジンジャーの声に、エスタは思わず頭を押さえた。
するとその時、廊下をゆっくり歩いてきた背の高い女性が、
メイドの横で足を止めて首をかしげた。
黒い髪を短く切った、褐色の肌の若い女性だ。
「……どしたの、エスタさん」
「ああ、サクナ様ですか。実はジンジャー様が、また愚にもつかないことをおっしゃっているのです」
「あっ! サクナさんも見て見てーっ! これクロウ様っ! 超かわいいでしょ~」
ぺたりと座り込んだジンジャーが、写真の束をサクナに向ける。
サクナはすぐにしゃがみ込み、写真を見て、うなずいた。
「……うん。この子は強い。普通とは、ちょっと違う」
「あらまあ! エスタ、聞いた!? サクナさんがほめたわよ! やっぱりわたし、クロウ様と結婚しなきゃ!」
「ですから、二十四にもなって、そのような戯言はおやめください……」
メイド長は深々と息を吐いた。
「ただでさえ婚期を逃した行き遅れなのに、女性にばかり興味を持ってどうするのですか。早くきちんとした殿方を婿に迎えないと、伯爵家が本当に途絶えてしまいますよ」
「え~、わたし、結婚したくなぁ~い。男って、かわいくないんだもん」
「そういう問題ではないでしょう……」
エスタは再び頭を押さえる。
しかしジンジャーはメイドを無視してサクナを見上げる。
「ねぇ、サクナさん。どうやったら、クロウ様と結婚できるかしら?」
「……たぶん無理」
「やっぱり、お金に物を言わせるのが一番手っ取り早いかな? 高価なプレゼントになびかない人間なんていないはずだし」
「……それはゲスなやり方」
「そうと決まれば早速プレゼントを決めないとね。でも、クロウ様の弱点って何かしら? 現金? 宝石? お洋服?」
「……一番の贈り物は、思いやり」
「たしかにそうねっ!」
ジンジャーはいきなり声を張り上げ、目を輝かせながら立ち上がった。
さらに写真の束をメイドに押しつけ、こぶしを握りしめる。
「それじゃあ、エスタ。その写真でクロウ様の寸法を測っておいて。わたしは今から、思いやりに行ってくるから」
「はい……? 思いやりに……行ってくる?」
エスタはきょとんとした目でサクナを見た。
立ち上がったサクナも、訳が分からずに小首をかしげる。
そんな二人に、ジンジャーは自信満々に言い放つ。
「そうよ。思いやりに行ってくるの。クロウ様をこっそり観察して、何が欲しいのか調べるの。それが一番の思いやりでしょ?」
その瞬間、エスタとサクナはそろって口をぽかんと開けた。
「そういうわけでっ! ちょーっと尾行に行ってきまぁーすっ! おーっひょっひょっひょっひょっひょ!」
ジンジャーは高らかに笑いながら廊下の奥へと駆けていく。
残された二人は、遠ざかっていく長い金髪を呆然と見送った。
「……ごめん、エスタさん。思いやりなんて、言わなきゃよかった」
「いえ……。あれはいつものご病気ですから、サクナ様の責任ではございません……」
ぽつりと謝ったサクナに、エスタは力なく首を振る。
「ですが、こうなってはもう仕方がありません。お手数ですが、サクナ様。いつもどおり、ジンジャー様の警護をお願い致します」
「……うん。伯爵は、ボクが守る」
言って、サクナは一つうなずく。
それからゆっくりと歩き出し、ジンジャーの背中を追いかけた。