第三章 1 : 異常者も 普段は普通の 労働者
「――くそっ! あの守銭奴の銀髪娘めっ! 思い出すだけで腹立たしいっ!」
九郎は分厚い木のテーブルに、白いこぶしを叩きつけた――。
ジンガの村を出て南西に足を向けた九郎は、大きな街道に出て西に進み、
独立自治区の交易都市であるラッシュの街に到着した。
アルバカン王国とサザラン帝国、そして独立自治区の境い目にあるこの街は、
立地条件のよさから人や馬車の往来が多く、交易の拠点として発展してきた。
街の北側には深い森が生い茂り、南には広大な平野が広がって、
北から流れる太い河がどこまでも緩やかに伸びていく。
日が沈み、青い月と星が煌めき始めたころ――。
ようやく街の門に到着した九郎は、
高い石の壁を見上げてほっと胸をなで下ろした。
それからすぐに街に入り、ケイに紹介された宿屋『オリビア亭』のドアを叩く。
一階が酒場になっていたので、麦のホットジュースを飲みながら夕食を済ませ、
そのまま一泊。
そして翌朝、街の中心部にある民兵ギルド会館に足を運び、
パーティーメンバー募集の求人依頼を掲示板に張り出してもらった。
しかし――。
ギルドホールの隅のテーブル席で応募者をひたすら待つが、
誰も声をかけてこない。
しかも、ホールは朝から大勢の人で賑わっているのに、人っ子一人近寄らない。
それどころか、なぜか近くの席には誰も座らず、
誰もが珍しいモノでも見るかのような目つきで遠巻きに眺めている。
そのため刻一刻とイライラが募り、
腹立ちまぎれに怒りをサーネにぶつけてグチをこぼした。
「……くそ。せっかくこっそり旅に出てバックレようと思ったのに、何でバレたんだ? おかげで手持ちの金がいきなり四十パーセントも減っちまったじゃねーか。戦争でそれだけの戦力が消えたら敗北確定だぞ、まったく……。オレは不敗の魔術師でもないし、第十七皇位継承者でもねーんだよ。手持ちの金で強い傭兵を雇うしか、生き残るすべがないっつーの。それなのに、その金を笑いながら搾り取るとは、あのクソアマ。マジで悪魔そのものじゃねーか……」
「――おい、ネーチャン。さっきから何を一人でぶつぶつ言ってんだよ」
「あ?」
不意に野太い声が聞こえたので、思わず全力でにらみ上げた。
見ると、テーブルの横に中年男性が突っ立っている。
肩当、胸当て、小手、具足など、
いかにも使い込まれた感じの防具を身につけた、筋肉質な男だ。
「おいおい、そうにらむなよ」
男は九郎の向かいに勝手に腰かけ、一枚の紙を置いた。
「俺はガヨクだ。一応、この街のギルドホールでは古株になる。それで掲示板を見てちょいと気になったんだが、この求人依頼を出したクロウってのは、ネーチャンのことだよな?」
「……ああ、そうだけど」
(まさかこいつ、応募者か? 強いヤツなら誰でもいいと思ったが、まさかこんな、こてこての雑魚っぽいオッサンが来るとはな……。どうしよう……。チェンジって言って、意味通じるかな……?)
九郎は内心の落胆を隠さずに、中年オヤジをじっとりと見た。
するとガヨクは、求人依頼を指で叩きながら九郎をにらみつけて言う。
「だったら言わせてもらうけどな、何なんだ? この内容は。
『二週間以内に、サザランの魔王を倒せる勇者募集。早い者勝ち一名様。成功報酬は金貨一枚。必要経費はあなた持ち。怪我や死亡は自己責任。各種保険はありません。ハイリスクでローリターン。実質的に得られるのは、魔王を倒した栄誉のみ。集え、腕に覚えのあるツワモノよ。勝って故郷に錦を飾れ。勝てば官軍、負ければ荒野で鳥のエサ。オレのために、死力を尽くして魔王を倒せ。死んでも倒せ。絶対倒せ。プリーズヘルプミー。by‐クロウ。PS――ギルドホールの隅で座っている美少女がオレですが、ナンパ目的はおことわリンリン♪』
――って、アホかおまえは。こんな内容で応募するヤツなんかいるはずねぇだろうがっ!」
「何だとコラ」
言われたとたん、九郎も目を剥いてにらみ返した。
「おうこらオッサン。それのどこが悪いって言うんだよ」
「どこも何も、ぜんぶ悪いに決まってるだろうが。だいたいおまえの言うサザランの魔王って、本物の十三魔王じゃなくて、サザランの皇帝だろ? それをたったの二人で倒せるはずがねぇじゃねぇか。そんなことも分からない世間知らずの高枕が、こんなところに来てんじゃねぇって話だよ」
「あぁ? ざけたこと言ってんじゃねぇぞ、視野の狭い知ったかぶりの中年オヤジが。このオレを誰だと思ってる。結婚してから半年以上も、あのブタ女の面倒を見てきたこのオレが、世間知らずのはずがねーだろうが。むしろ同年代の三倍は経験値急上昇してるっつーの。あんこ入りパスタライスだって食ったことあるわ、ボケ。いいか? よく聞けよ?」
九郎はガヨクの鼻面を力強く指さした。
「オレだってなぁ、たったの二人で魔王を倒せるなんて、はなっから思っちゃいねーんだよ。だがな、だったら何人いれば勝てるんだ? 十人か? 百人か? 千人か? 一万人か? 詳しくは知らないが、サザランの魔王ってのはアルバカンと戦争してたんだろ? つまり、アルバカンの軍人どもが雁首そろえて戦っても、魔王は倒せなかったってことだ。そんな相手に対し、単純に人数を集めたって意味がねーんだよ。つまり、人数を問題視している時点で、オッサンはお呼びじゃないってことだ。戦力外通告確定なんだよ」
「なっ! なんだとぉっ! この俺が雑魚だって言ってんのかテメーっ!」
「当たり前だっ。ボケ・タコ・ナスビっ。テメーは自分にできないからって、何でもかんでも不可能だって決めつけてんじゃねーよ。この世にはなぁ、タイマンで魔王を倒せるヤツが確実に存在するんだよ。少なくともオレはその一人を知っている。だからこの依頼を出したんだ」
九郎は求人依頼を手のひらで叩いた。
「いいか? この文章をよく読んでみろ。誰が読んでもおかしな依頼だと思うはずだ。そしたら誰だって、『依頼者は、いったいどんなヤツだ?』って疑問に思うに決まってる。そして、好奇心をかき立てられてオレの姿を見ようとする。そしたらどうなる? 真面目で可愛らしいオレの姿を一目でも見たら『おや? もしかしたらこの依頼は、本気かも知れないぞ?』って思うはずだ。
そして、ここからがミソだ。
もしも、魔王をタイマンでぶち殺せるヤツがそう思ったら、『よーし、ここはいっちょ一肌脱いで、いいとこ見せてやろうかな』って、庇護欲と名誉欲に目がくらみ、オレを手助けするに決まってんだよ。ソロでネトゲやってる廃人プレイヤーってのは、だいたいそういうモンだって相場が決まってるからな。たとえば、全身黒ずくめの二刀流剣士がこの張り紙を見たら、こう言うに決まってる。
『おいおい、おまえか? あんな無茶な依頼を出したのは。力になれるかどうか分からないけど、とりあえず事情を話してみろよ』
――ってな。それで、オレが哀れな身の上話を語って聞かせると、連れのエルフっぽい女の子がこう言うんだ。
『お兄ちゃん、助けてあげようよぉ。この人、可哀そうだよぉ』
――ってくるわけだ。すると、妹以外にも女キャラをぞろぞろ引き連れたお兄ちゃんは、めんどくさそうに頭を軽く押さえながらこう言うんだ。
『……ったく、仕方ないなぁ。とりあえずやってみるけど、あんまり期待しないでくれよ』
――ってなるわけだ。しかも、そんな感じに、ちょっと自信なさげに言っておきながら、いきなり惑星を爆砕する勢いで二本の剣を振り回し、ライフゲージが尽きるギリギリで魔王を倒してくれる展開になるんだよ。分かるか? オレはそういう、美少女限定で見返りを求めない、最強クラスのソードマスターを募集してるんだ。間違ってもオッサンみたいな、『なんでやっ! なんでなんやっ!』とか言いそうな、口だけアラフォーオヤジはお呼びじゃねーんだよ。ほら、ここまで事細かに説明すれば、どんだけヒャッハーなアホでも分かっただろ。とにかく、オレの話が理解できてもできなくても、さっさとどこかに消えてくれ。オレは細マッチョは大好きだが、ゴツいだけのオヤジは大嫌いなんだ。特にテメーみたいな説教するふりをして、本音は可愛らしい美少女とおしゃべりしたいだけのゲスヤローは、ヘドが出そうになるほど嫌いなんだよ」
「んなっ……!?」
口を大きくぽかんと開けて聞いていたガヨクは、急に目を血走らせた。
そしてテーブルを拳で強く叩きながら怒鳴り散らす。
「なんだとぉっ! このクソアマぁっ! 黙って聞いてりゃ偉そうにしゃべりやがってっ! 女のくせに生意気な口叩いてんじゃねぇぞコラぁっ! テメーっ! この俺にケンカ売ってんのかぁっ!」
「はあ? バカかテメーは。そっちが勝手に話しかけてきておいて、何だ、その態度は。自分の思いどおりの会話にならなかったら激怒するって、そんなのただの逆ギレじゃねーか。どんだけ自己愛性人格障害なんだよ。いい年こいて、みっともないにもほどがあるだろ。まったく……。どこの星にも、差別主義の面倒くさいヤツってのはいるんだな。――あーあ、めんどくさい、めんどくさい」
「おっ! おいっ! どこに行くっ! まだ話は終わってねぇぞっ!」
九郎は不意に立ち上がり、ガヨクを無視して隣のテーブル席に向かっていく。
そして、興味津々な顔で見物していた若い女性に声をかけた。
「――あのー、ちょっといいですか?」
「えっ!? あっ、あたし!?」
「ええ、そうです。すいませんが、そこの睡眠導入剤を貸してもらっていいですか?」
「えっ? す、睡眠導入剤? あたし、そんなの持ってないんだけど……?」
「いえいえ、そこにあるじゃないですか。ちょっとお借りしますね」
九郎はさっさと手を伸ばし、水が入ったカップと、
テーブルに立てかけてあった大きな剣を手に取った。
「おい! テメー、このクソアマぁっ! なにコソコソやってんだっ! 逃げてんじゃねーぞコラぁっ!」
「はいはい、逃げてない、逃げてない。――アタターカ」
呟きながらカップの水を沸騰させて、九郎はゆっくり戻っていく。
そして、立ち上がってこぶしを握りしめていたガヨクの顔に熱湯をぶっかけた。
「あっっちぃぃーっ! あつっ! あつっ! あっあっあっあっ――」
ガヨクはごつい両手で顔を覆い、熱さに悶え苦しみ出す。
その隙に、九郎は大剣を振り下ろしてガヨクの足を薙ぎ払った。
さらにそのまま横にくるりと一回転。
足下に倒れたガヨクの首筋に剣の腹を叩きつける。
ガヨクは瞬時に意識を失い、その場にどさりと倒れ込んだ。
その醜態を見下ろしながら、九郎はぽつりと言葉をこぼす。
「……戦いは、機動力を奪った時点で八割がた勝利する。ラノベやマンガの常識だ。そういった真理を獲得するために、どれだけの作家が貴重な時間を散らしたと思っている。オッサンの敗因は、自分の知らない世界を侮ったことだ」
九郎はカップと大剣を女性に返し、
ガヨクの足首をつかんで引きずりながら運び出す。
そしてそのままギルドホールの裏に転がした。
それから――夕方までギルドホールで粘り続けた。
しかし、話しかけてきたのは四人の男だけだった。
しかもそのすべてが、ガヨクと同じような話をした。
当然、問答無用で二人目、三人目、四人目と、
男たちを次々に裏口から叩き出す。
そして五人目をギルド会館の裏に転がすと、もう日が暮れていた。
「……十時間待って、パーティーの応募者ゼロか。これがネトゲなら、窓からパソコンを投げ捨てているところだな……」
はるか彼方の山に沈む夕日を眺めながら、九郎は遠い目をして呟いた。
それから大衆浴場に足を運び、うつむきながら湯に浸かる。
そして宿屋にまっすぐ戻り、
豆とかぼちゃのポタージュでパンを食べて、不貞寝した。