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第二章 6



「――ごめんなぁ。おまえのメシ代も稼げないダメなヤツで……」


 九郎はマータの家に戻り、カバンから出した子猫の頭を優しくなでた――。



 役場をあとにした九郎は、三時間ほど村の中を散策した。

 すると次第に空が陰り、冷たい風が吹き始めた。

 雨の気配を感じた九郎は、せめて子猫だけでも帰してやろうと思い立ち、

 マータの家のドアをくぐった。



「にゃぁ~ん」


 テーブルにのせた子猫が一声鳴き、九郎の手に体をすり寄せてきた。


「そうかそうか。おまえ、オレのことを慰めてくれるのか」


 小さく呟き、九郎は誘われるように椅子に座る。

 そしてそのまま楕円形のテーブルに頭をのせて、

 青い毛の子猫を見つめた。


「……なあ、猫よ。いったいどうして、こんなことになっちまったのかなぁ……。オレはただ、いつもどおり朝起きて、あのブタ女を実家に返品したら電車で痴漢にされかけて、通勤快速にグーパンしたら謎の光に拉致されて、宇宙ステーションに激突して木っ端微塵に体が砕けて、気づけば魂みたいになっていて……って、ああ、ほんとにもう、何が何だかわけが分かんねぇよ……。しかも、スーパーイケメン細マッチョになれると思ったら、アニメでは一番人気がないピンク髪の美少女に成り果てて、しかも謎のババアは、なぜかいきなり鉄になって首がごろりともげやがった……。さらに外に出てみたら、いきなり村人たちに拝まれて、酒場の姉ちゃんにはクソ高い授業料をぼったくられて、ハゲオヤジにはセクハラされて、結局仕事にありつけなくて、そんでスタート地点で子猫とおしゃべりって……ああああああああ……オレはいったい何してんだよぉ……」


 九郎の目から、不意に涙がぽたりと垂れた。


 すると子猫が一声鳴いて、九郎の指をぺろりと舐めた。


「おお、そうかそうか。おまえ、そんなに小さいくせに、オレのことを慰めようと……ううっ……ううううぅ……うううううううぅ……」


 九郎の顔がくしゃりと歪む。


 とたんに涙があふれ出し、ぼろりぼろりとこぼれ落ちる。


「ううううぅ……ううっ、うぐ、うぐぐっ、うぐううう……うわああああああああああああああああん……」


 九郎はたまらず、声を上げて泣き出した。


 すぐに両手で顔を覆い、テーブルに額を押しつけた。

 しかし泣き声は押さえ切れず、部屋中に響き渡る。

 しかも泣けば泣くほど、涙は次から次にあふれ出す。


 それでさらにみじめになった。

 いっそう大きな声で泣き叫んだ。



 するとその時――奥の部屋から一人の女がひょっこり姿を現した。



 背の高い、茶色い髪の若い女性だ。

 鮮やかな青い色の上着とズボンには、

 金色の魔言が模様のように刺繍されている。

 その上に裾の長い白衣をまとった女性は、赤茶色のブーツで静かに歩き、

 無言で暖炉のある居間に入ってくる。

 そして、桃色の髪を広げて泣き続ける九郎を間近で見下ろし、

 落ち着いた声で話しかけた。



「どうしたの、お嬢ちゃん。どうしてそんなに泣いているの?」



 しかし、泣き叫ぶ九郎の耳に、女性の声は届かなかった。

 しかもさらに声を張り上げ、わんわんと泣きわめく。


「うーん、困ったわねぇ……」


 長い髪の女は眉をひそめて呟いた。

 位置を変えて顔をのぞき込もうとしたが、

 テーブルに突っ伏したまま泣きまくっている相手とは目も合わせられない。


「はあーい、お嬢ちゃーん、泣かないでぇ~」


 腰を屈めて両手を振って、明るい声で話しかけた。


 しかし泣く子のトーンはさらに跳ね上がり、泣き散らかして手に負えない。


「うーん、これはちょっと重症ね……」


 女は軽く呆れ顔で呟き、テーブルに座る子猫を見ながら肩をすくめる。

 すると子猫も「にゃぁ~」と困ったような声で小さく鳴く。


「ぃよーしっ。それじゃあもう、あれしかないか」


 女は肩を回して気合いを入れながら、奥の部屋へと足を向けた。


 そして、寝室のドアの手前で足を止めて振り返る。

 さらに白衣の裾を腰の辺りまでつまみ上げる。


 それから表情を引き締めた直後――爆発的にダッシュした。



「――きてはぁぁぁーっっ!」



 気合い一閃――白衣の女は一気に天井近くまで跳び上がった。


 さらに、全身に青いスパークをまといながらハイスピードのドロップキック。

 一瞬で楕円形のテーブルの端を蹴り下ろした。


 瞬間――テーブルがシーソーのように跳ね上がった。


 突っ伏して泣いていた九郎が宙高くぶっ飛んだ。


 

「――っぶしゅっぱっ!」



 九郎は鼻血を噴きながら天井に激突。

 衝撃で目に星が走り、肺の空気が強制排出。

 さらに反動で床にダイブ。

 そのまま勢いよく転がり、壁に突っ込んで動きを止めた。


 女はくるりと回ってスパークを振り払う。

 そして宙に浮いたテーブルを素早くつかみ、静かに下ろした。


「……さてと。これでようやく泣きやんだわね」


 女は倒れた九郎の体をひっくり返す。

 九郎の顔は、涙と鼻水と鼻血でぐちゃぐちゃだった。

 しかも白目を剥いて、完全に気を失っている。


「ハイよし、オッケー。やっぱり、泣いている女の子は放っておけないからね」


 女は自慢げな顔で親指を立てた。


 そしてすぐに九郎の足首を片手でつかみ、近くの長椅子まで引きずった。



            ***   ***   ***



「――ぜんぶ夢だと言ってくれぇーっ!」


 目を覚ましたとたん、九郎は悲鳴のような声を張り上げた。


 するとすぐ近くから、女性の声が返ってきた。


「はいはい、ぜんぶ夢よ。ぜんぶ夢」


「えっ!? だっ、だれっ!?」


 長椅子の上で寝ていた九郎は、とっさに体を起こして顔を向けた。


 見ると、目の前の椅子に白衣姿の女性が座っている。

 女はすぐに身を乗り出し、九郎を再び横に寝かせた。


「まだ動かないで」


「え? えっと、あ、はい……」


 女の声は優しかった。

 

 九郎はおとなしく体の力を抜いて横になり、改めて女性を見上げた。


(……はて? 何だ、この人? 白衣を着てるから医者っぽいけど、どう見てもハタチ前後だよな……? そんなに若い医者なんているのか? まあ、白衣の下に大賢者っぽい青い服を着てるから、マータの弟子ってところかな……?)


「その……すいません。あなたはいったい……?」


 九郎はおそるおそる訊いてみた。


 すると女性は、自分を指さしながら口を開く。


「私はケイよ。このジンガの村に暮らすヒーラーで、大賢者マータの孫娘。あなたは?」


(ああ、なるほど、ヒーラーだったのか。言われてみると、たしかにそんな感じがするな)


 相手の素性が分かって安心した九郎は、表情を和らげながら口を開く。


「えっと、オレは九郎って言います」


「クロウ? 女の子なのに、ずいぶん変わった名前ね」


「ああ、いえ、実はオレ、男なんです。どうしてこんな見た目になったのかは分からないけど、間違いなく男ですから」


「え? 男の子?」


 ケイはとっさに立ち上がり、九郎の上着の裾を素早くつかんでめくり上げた。


「ちょっ!? おまっ!?」


 九郎はとっさに体を起こしてケイの手を弾き飛ばした。

 さらに太ももの間に両手を突っ込み、裾をがっちりと押さえ込む。


「何よ。別にいいじゃない、見るくらい」

「いやいや、無理無理。だって今、パンツはいてないから」


 その瞬間、ケイは九郎の裾を両手でつかんで引っ張り上げた。

 しかし九郎も全身全霊で完全に防御した。


「はあはあ……あなた、そんな細い体なのに、なかなかやるわね……」

「そりゃあね……はあはあ……オレはそんなに、安い人間じゃないからな……」

「あ、そう。まあ、いいわ」


 ケイは、ふっと息を吐き出し、再び椅子に腰を下ろす。


 九郎も長椅子に座り直し、裾を押さえながら白衣の女に目を向ける。

 

 するとケイが話を切り出した。


「さてと。それじゃあ、クロウ。私は今日、とても奇妙な噂を耳にしたの」


「は? いきなり何の話だ?」


「あなたの話に決まっているじゃない。いい? 私がいつもどおり、中央広場の診療所で診察をしていたら、やって来る患者さんが口をそろえてこう言うの。


『若い大賢者の女の子が、村の中を走り回っている』


 ――ってね。いったい何の話だかチンプンカンプンよ。だけど、大賢者っていうぐらいだから、マータが関係していると思って、わざわざここまで様子を見に来たの。そしたらマータの服を着たあなたが、なぜかわんわん泣いているからびっくりよ。それでちょっと飛び蹴りで黙らせて、ここで介抱していたってわけ」


「はい? ちょっと待て。飛び蹴りだと? あんたまさか、オレを蹴っ飛ばしたのか?」


「まさか。私が蹴ったのはテーブルよ。あなたはテーブルにぶっ飛ばされて気絶したの。だから私は何も悪くないわよ? それに怪我の手当だってちゃーんとしたから、どこも痛くないでしょ?」


「いやいやいやいや、その理屈はちょっとおかしいだろ」


 九郎は手と首を同時に振った。


「あんたがテーブルを蹴ったからオレが気絶したんだろ? それに、あとで手当てするからとりあえず蹴り飛ばすって、何だそりゃ? あんたの第一外国語は肉体言語か? それはヒーラーと言うより、バーサーカーじゃねーか」


「あら。肉体言語って、なかなかいい表現ね。私にピッタリかも」


 ケイは嬉しそうに微笑みながらこぶしを握り、派手に骨を鳴り響かせた。

 その仕草に、九郎は思わず背中を丸めて目を逸らした。


「生意気言ってすいませんっした……。だからもう、蹴り飛ばさないでください……」


「はい、素直でよろしい。それじゃあ、クロウ。私はちゃんと自分のことを話したんだから、次はあなたの番よ。あなたはいったい何者で、どうしてマータの家にいるの?」


「はっ! そうだっ! そうだったっ!」


 訊かれて、はっと思い出し、

 九郎は立ち上がってヒーラーの手をがっしりつかんだ。


「ケイさんって、マータの孫って言ったよなっ! だったら、オレに何が起きたのか分かるんだよなっ! なっ! なっ!」


「えっ? えっ? 何のこと? 話を聞かないと、分かるかどうかも分からないんだけど」


「いっやぁーっ! ああ、もぉ、ほんっと! ああ、もぉ、ほんっとぉーにっ! 今朝からいろんなことがあって、一番大事なことを忘れていたよっ! ああ~っ! いっやぁ~、よかったよかったっ! あぁ~、よかったっ! もぉ、ほんっと助かったぁ~っ!」


「え? え? だから何? 何のこと?」


 ケイは訳が分からずきょとんとする。


 しかし九郎は一人で安堵の息を吐きまくり、

 ケイの手をつかんで縦に振りまくる。

 そしてすぐに手を離し、瞬時に顔を引き締める。

 さらに両手を前に出して手首をくっつけ、いきなり深々と頭を下げた。



「――すんませんっしたぁーっ! オレがマータさんを殺しましたぁーっ!」



「……はい?」


 ケイはぽかんと口を開けた。


 そしてしばらくの間、

 目の前にだらりと垂れさがる桃色の髪を呆然と見つめ続けた。



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