第十章 12
「――よし。それじゃあマガクさん。やってくれ」
目を赤く腫らした九郎が鼻をすすり、マガクを見上げて口を開いた。
九郎の隣にはオーラに支えられたマータの体と、メイレスが並んでいる。
マータの前に立ったマガクは一つうなずき、両手を前に差し出した。
「――パドロール」
巨人の手の前にどす黒い魔法陣が浮かび上がり、
九郎とマータとメイレスの胸から光の球が抜け出した。
球はすぐに契約書に形を変えて、それぞれの胸の前に浮かんでいる。
「それでは、召喚の儀式によって結ばれた魔法契約の変更を始めます。救世主を召喚した契約者は、アルバカン王国の前王、ゴルブデール・チャブル・パーキンから、王位と契約を継承したハイメイレース・アラル・パーキンに変更となります」
マガクが目を向けると、メイレスは一つうなずく。
「そして、召喚された救世主はクロウさんです」
九郎もマガクも見上げながらアゴを引く。
「以上、双方の申請をもちまして、ただ今より契約変更の手続きを執り行います。召喚の儀式を実行した大賢者マータは仲介者であり、契約の変更に異議を唱える資格を持ち得ません。また、現在は意思の疎通が困難であるため、魔法ギルド・サザラン帝国支部、筆頭法魔のマガクが代理を務め、同時に契約の変更を実施致します」
「えっ!? マガクさんって法魔だったの!?」
九郎は思わず声を張り上げた。
「はい。やはり、ギガン族の法魔は意外ですか?」
「ああ、いや、オレはこの星の人間じゃないから、そういう偏見はないよ。ただ単にびっくりしただけだから。でも、言われてみればそうだよな。一流の魔法学者ってことは、誰よりも魔法に詳しいわけだから、むしろ法魔で当然か」
「いえ。私は人殺しの魔法しか知らない、半端者ですから」
「ごめん、マガクさん……。そんなこと言われると、マジでちょっと怖いんだけど……」
「それは失礼しました」
巨人は一つ咳払いして、話を戻す。
「それでは話を続けます。まずは手続きの説明と確認です。今回は、契約の報酬をクロウさんが既に受け取っていますので、契約の解除は出来ません。そのため、契約の変更を行います。変更箇所は一点。契約内容の履行・不履行にかかわらず、クロウさんの命が消滅しないように文章を書き換えます。双方とも、それでよろしいでしょうか」
「ええ。同意します」
メイレスがうなずき、九郎も首を縦に振る。
「オレも、もちろん同意する。それでよろしくお願いします」
「分かりました。それでは双方の合意のもと、魔法契約の変更を実施致します。――コンクラーリ」
法魔の巨人は即座に契約魔法の魔言を唱えた。
すると灰色の人さし指に、銀色の魔法陣が浮かび上がる。
マガクはメイレスの契約書に魔法陣を近づけ、文章をゆっくりなぞる。
文字は銀色に輝きながら、瞬時に書き換わっていく。
続いてマータと九郎の文章も書き換えると、
三通の契約書は銀色の光となって宙に消えた。
「――以上で、魔法契約の変更は完了致しました」
巨人は指先の魔法陣を消して、淡々と告げた。
「そ……それじゃあ、これでもう、オレは死なないで済むんだよな……?」
「はい。厳密に言えば、時空間の整合性を保つ魔法的な手続きが現在進行中ですが、それもほんの数分で終了します。これでもう、召喚の儀式からは完全に解放されました。クロウさんは自由の身です」
「ぃぃぃぃいやぁったぁぁーっっ!」
九郎は思わずこぶしを握り、赤い空に歓喜の声を響かせた。
「おうっ! クロウ! やったなっ!」
後ろに立つオーラがにっかり笑い、九郎の肩をこぶしで突いた。
するとコツメも九郎のこぶしにこぶしを当てる。
クサリンは九郎の腰に力いっぱい抱きついた。
「うむ。今夜は美味い鶏肉でパーティーだな」
「クロさんっ! おめでとうございますぅ!」
「ああっ! ありがとうっ! ありがとうっ! みんなのおかげだっ! マジでみんなのおかげだぜっ!」
九郎は満面の笑みでクサリンを抱きしめ、
コツメとオーラのこぶしを握りしめた。
「マガクさんもありがとうっ! わざわざこんなところまで来てくれて、ほんっとうに助かったよっ!」
「おめでとうございます、クロウさん」
言って、マガクは急に表情を曇らせる。
「……ですが私は、クロウさんに謝らないといけないことがあります」
「ああ、大丈夫、大丈夫」
九郎は手を振り、巨人の話を遮った。
「マガクさんの言いたいことって、あれだろ? あのメガネさんの正体が大法魔で、裏でいろいろ仕組んでたってことだろ?」
「やはり、気づいていましたか」
「まあな。だけど大丈夫。オレはメガネさんに操られたなんてこれっぽっちも思ってないし、マガクさんには本当に感謝してるんだ。オレなんか生きていたって死んでいたって、世界には何の影響もないごく普通の人間なのに、マガクさんはわざわざ馬車に乗って、こんな遠くまで一緒に来てくれた。オレが住んでいた国には、こんなに優しい人なんて滅多にいないし、損得抜きで誰かを助ける人なんてほとんどいない。こんなによくしてくれて、ほんとにもう、涙が出るほど嬉しいよ。だからさ、マガクさんには引け目とか、そういうことは感じてほしくないんだ」
「そうですか……。クロウさんは本当に、懐の広い方ですね」
嬉しそうに微笑む九郎に、マガクは目を閉じて頭を下げた。
「さぁーて、それじゃあボクも、祝いの言葉を贈らせてもらおうかなぁ」
メイレスが一歩近づき、軽くおどけた表情で口を開く。
「おめでとう、クロちゃん。ラッシュの街では暗殺しようとして、ほんとにごめんねぇ。あの時はあれが最善だって思ったんだけど、ちょっと浅はかだったよ」
「ああ、いいって、いいって」
九郎はにっこり微笑み、メイレスの鎧をこぶしで軽くノックした。
「おまえがここに駆けつけてくれなかったら、オレはマジで死んでたからな。これでおあいこってことにしてやるよ」
「いやいや、クロちゃんがこの星に呼ばれたのは、アルバカンの責任だからねぇ。こんなもんじゃ、とても借りは返し切れないよ。だから、困ったことがあったらいつでも声をかけてほしい。できる限りの協力を約束するよ」
「おおー、マジか。おまえ、けっこういいヤツだったんだなぁ」
九郎はわざと意地悪そうに顔を歪め、若き新王の前に右手を差し出す。
メイレスはその手を握り、固い握手を交わして微笑んだ。
「そりゃあ、もちろん。ボクはこれでも、お人好しで有名なカブキモノだからねぇ。クロちゃんみたいに苦労している人には、それなりに――」
笑顔で話すメイレスの言葉が不意に途切れた。
「え……?」と呟き、九郎もきょとんとまばたいた。
見ると、メイレスの胸に何かがある。
分厚い銀色の鎧に、いつの間にか黒い鋼の矢が突き刺さっていた。
「あ……れ……?」
メイレスは呆然と、自分の体を見下ろした。
その瞬間――鋼の矢が二本、三本と腹に刺さった。
「てっ……敵だぁぁーっっ!」
九郎はとっさにメイレスを押し倒した。
そのまま背中にかばい、あらん限りの声を張り上げる。
「狙撃だぁーっっ! メイレスが矢で撃たれたっっ!」
「――アラル様ぁーっ!」
クンナが素早く駆け寄り、メイレスの体に覆いかぶさった。
周囲の騎馬隊も反射的に動き出し、大きな円陣でメイレスを囲んで守る。
「くそっ! 敵はどこだっ!」
九郎は目を怒らせて周囲を見た。
しかし、周りの騎兵が邪魔でよく見えない。
「クサリンっ! ハトバクの準備だっ!」
「はいっ!」
クサリンもステッキを握りしめ、血眼で狙撃手を探している。
オーラとコツメも左右に散って、必死に視線を周囲に飛ばす。
「マガクさんっ! メイレスの治療を頼むっ!」
「分かりました。ですが、この矢はもしかして――むっ!?」
既にメイレスの怪我を調べていたマガクが、九郎を見て目を見開いた。
さらに、常に冷静沈着な巨人が驚愕の声を張り上げる。
「クッ! クロウさんっっ! それはっっ!?」
「どうしたっ!」
取り乱したマガクの声に、九郎はとっさに振り返る。
マガクは愕然とした表情で九郎を指さした。
「かっ! 体っ! 体がっ!」
「からだ!? 体がどうした――って、なんじゃこりゃあああっ!?」
九郎は自分の体を見て目を剥いた。
いつの間にか、体中が様々な色の光に輝いている。
赤、青、黒、銀、そして金色――。
目まぐるしく変化する光の色に、九郎はただひたすら愕然とした。
そして唐突に、はっと気づいて空を見上げた。
すると、茜色に染まった天空の四方八方から、
光の筋が九郎に向かって降り注いでいる。
「こっ! こここっ! これはまさかぁぁーっっ!? マガクさんっっ!」
「はいっ! そうですっ! おそらくアレですっ!」
マガクも空の彼方を素早く見渡し、声を飛ばす。
「ですがっ! 七本ですっ! こんな数は聞いたことがありませんっ!」
「ンなっ!? 七本!? 七本だとぉぅっ!? アレがっ! 光の柱が七本だとぉぅっ!?」
「――クロっ!」
「おいクロウっ!」
「クロさんっ!」
コツメとオーラとクサリンがとっさに駆け出し、九郎に向かって手を伸ばした。
九郎も無我夢中で駆け出しながら手を伸ばす。
「ぜんぶ夢だと言ってくれぇぇぇーっっ!」
九郎は全力で叫んだ。
叫びながら三人に向かって飛び込んだ。
コツメとオーラとクサリンも、九郎の手に全力で腕を伸ばす。
そして四人の手が触れた刹那――九郎の体は光と化して、消え失せた。
第一部 ―― 魔法契約 * ますたーまいんど ―― (おしまい)