第二章 5
「――すいませんがメガネさんっっ! 別の仕事をお願いしますっっ!」
九郎は村役場まで全力疾走で戻り、再び相談窓口に飛び込んだ。
「おやおや、あなたは先ほどのピンクさんではありませんか。じゃがいも掘りの仕事はお気に召しませんでしたか?」
「オレはメッチャお気に召しました! でもあちらさんがオレをお気に召しませんでした! それとピンクさん言うな、コノヤロー。なんかちょっとエロいぞ、あんた」
「これは失敬。それでは桃色さん、こちらの仕事はどうですか?」
「いや、その呼び方も、ちょっとかなり微妙なんだが――どれどれ」
メガネの男性職員が差し出してきた求人依頼に、
九郎はすぐさま目を通した。
「……ふむふむ、場所はジンガの村の北北東にあるミカン畑。仕事は、ミカンの収穫のお手伝い。時間は午前中から夕暮れまで。報酬は銀貨十三枚――。おおー、なかなかいい条件じゃないですか。だけどメガネさん。じゃがいも掘りはこの服装のせいで断られたんだけど、ミカンの収穫も断られたりしませんかね?」
「はい? 服装ですか?」
メガネの職員は改めて九郎の服にレンズを向けた。
「……ああ、なるほど、大賢者様の魔法衣装ですか。だったら、仕事を断られても仕方がありませんね」
「おいこらメガネ。分かってたんなら最初から言えよ」
「ああ、すいません。実は私、メガネにはとても心を惹かれるのですが、洋服にはまったく興味がありませんので、まったく気づきませんでした。それでは、お詫びと言ってはなんですが――」
職員は席を立ち、奥の部屋へと入っていく。
そしてすぐに戻ってくると、白桃色の外套を九郎に手渡した。
「何ですか、これ?」
「それは二、三か月ほど前に、村の近くで行き倒れていた方が身に着けていたローブです。その方の埋葬は当役場で行いましたので、所持品を保管しておりました。状態のよいものだったので、月末のバザーに出品する予定でしたが、よろしければお使いください」
「えっ? まさかこれ、もらっていいんですか?」
「ええ、どうぞどうぞ。死んだ方の衣装なので、遠慮なくお使いください。そのローブを着れば、大賢者様の魔法衣装が隠せるはずです。そしたら、ミカン畑の手伝いを断られることもないでしょう」
「おおっ! なるほど! それは助かります! ありがとうございますっ!」
言われたとたん、九郎は大喜びでローブを広げた。
しかし次の瞬間、微妙に眉をひそめて首をかしげた。
「……えっと、すいません、メガネさん。何だかこのローブ、ちょっと派手じゃないですか?」
「そうですか?」
「そうですよ。だって、全体的に濃い桃色だし、袖や裾には白いつる草模様の刺繍が入っているし、これじゃ何だかオシャレくさいというより、コスプレくさい感じがするんですけど」
「さて、私にはそのコスプレというのはよく分かりませんが、たしかに保管係も、そのローブは目立ちすぎると言っていました。まあ、だから誰も欲しがらずに、いつまでも残っていたのでしょう。着る人を選ぶ服というのは、あまり人気がないそうですから」
「うーむ、なるほど……。売れ残りには、それなりの理由があるってことか……」
九郎は思わずうなったが、すぐに気持ちを切り替えた。
「だけどまあ、これで仕事にありつけるなら、文句なんか言ってらんないか……。よし。オレ、このローブを着て仕事に行ってきます。メガネさん、ありがとうございました」
「いえいえ。それでは、お仕事頑張ってきてください」
「はいっ!」
九郎は桃色のローブをばさりと羽織り、元気いっぱいに役場を飛び出す。
そして軽い足取りで、ミカン畑へと駆けていった。
*** *** ***
「――すいませんがメガネさんっっ! 別の仕事をお願いしますっっ!」
九郎はほんの四十分ほどで村役場に駆け戻り、
再び相談窓口に飛び込んだ。
「おやおや、またもや桃色さんですか。そのローブはあなたの髪の色に近いので、なかなか似合っているみたいですね」
男性職員はメガネを指で押し上げて、のんきな声で軽くほめる。
そのとたん、九郎はいきなり窓口のカウンターをこぶしで叩いた。
「それはどうもアッザースっっ! だがしかぁーしっ! あれはいったいなんなんですかっ! あのミカン畑のオッサンはっっ!」
「おやおや、どうかされましたか?」
「どうかもなにもあのハゲオヤジっ! いきなりオレの胸をもみやがったんですっ!」
「おやまあ、それはひどい」
「ひどいどころの話じゃねぇーっっ! しかもあのクソヤローっ!
おやおや、うちのミカンよりも小さいじゃないか。
なんて言いやがったんですよっっ! うっがぁーっ! もぉっ! ほんとにもぉっ! あのハゲぇ―っ! ちがうだろぉーっ! 働きにきた相手にいきなりセクハラかますなんて、ちーがーうーだーろぉーっ! フンガーっ! こんなに頭にきたヤツはあのブタ女以来初めてだっ! メガネさんっ! あいつもうヤっちゃっていいっすよねっ! 殴って倒してチョキンと切って、いろいろトイレに流していいっすよねっ!」
「まあまあ、お怒りはごもっともですが、とりあえず少し落ち着いてください」
メガネの職員はなだめるように手のひらを向けて言う。
「えー、桃色さんがナニをどうしたいのかはよく分かりませんでしたが、事情はおおよそ理解できました。仕事の依頼主に対する苦情はこちらできちんと承りましたので、次の会議の議題に上げさせていただきます。そして、どのような対応が可能なのか慎重に検討を重ね、その上で、役場としての正式な回答が決定致しましたら、広報に掲載して入口の掲示板に張り出しますので、後日そちらをご確認ください」
「こンのっ! お・や・く・しょ・し・ご・と・めぇぇーっ!」
九郎は全力で地団駄を踏んだ。
「うっがぁーっ! フンガぁーっ! ここでもかぁーっ! どこの星でもお役所はこうなのかぁーっ! ガッデムっ! ファックっ! サックっ! ビッチコックっ! バぁースタぁーっっっ!」
「まあまあ、そう興奮しないでください、桃色さん。お仕事なら、まだ少し残っていますから」
「――はい、おちゅちゅきました。じゃなくて、落ち着きました」
九郎は瞬時に平静を取り戻し、窓口に身を乗り出した。
「で、どんな仕事がありますか?」
「残っているお仕事は入口の掲示板に張り出してありますので、そちらをご覧になってください。ですが、少し急いだ方がいいですよ。先ほどから多くの方が掲示板に足を運んでおりましたので、数がずいぶん減っているはずですから」
「なんですとぉーっ!?」
九郎は反射的に駆け出した。
掲示板は役場に入って、すぐ横に設置されている。
走りながら目を凝らすと、残っている求人依頼は二枚だけ。
それを三人が眺めている。
(いっかーんっ! このままでは仕事を取られちまう! ええい! こうなったらもう仕方がない! 内容なんか読まずにどちらか一つをゲットする! それが最優先事項だっ!)
九郎は瞬時に腹を決め、全速力で掲示板の横に飛び込んだ。
そして素早く手を伸ばし、一枚をつかみ取った。
「ぃよっしゃーっ! お仕事ゲットだぜぇーいっ! ……って、うん?」
歓喜の声を上げた次の瞬間、九郎はきょとんとまばたきをした。
よく見ると、小さな指が同じ求人依頼をつまんでいる。
その指をたどっていくと、背の低い子どもと目が合った。
ダークブラウンのワンピースを着た、茶色い髪の女の子だ。
「あ……ご、ごめんなさい……」
女の子はすぐに紙から手を離し、肩を縮めてうつむいた。
九郎は求人依頼に目を通し、それからもう一度女の子を見下ろした。
仕事内容は、新しい畑を作るための地ならしと草むしり。
報酬は銀貨七枚。
女の子のワンピースは、肘や膝が黒く煤け、裾もあちこちすり切れている。
生地は厚めだが、上着を着ていないので少し寒そうに震えている。
女の子は少ししてから顔を上げた。そしてもう一枚の求人依頼に手を伸ばす。
しかし若い男が横からひったくるように千切り取り、
さっさと役場の外に出ていった。
女の子は再び肩を落として顔を伏せ、そのまま出口の方へと歩いていく。
「……おっと。ちょっと待ちな」
九郎はとっさに女の子に駆け寄った。
そして小さな手をそっとつかみ、求人依頼を握らせた。
「……えっ?」
驚いて顔を上げた女の子に、九郎は微笑みかけて口を開く。
「悪かったな。横からひったくるような真似をして。おまえは、オレより先に掲示板の前にいただろ? だから、この仕事はおまえのものだ」
「で、でも、おねえさんも、お仕事ひつようなんでしょう……?」
「ああ、もちろん必要だ。だから仕事を必要としているヤツの気持ちがよく分かる。オレは窓口のメガネさんに何とかしてもらうから、おまえはその仕事に行ってこい。それと明日からは、自分にできそうな仕事があったら悩まずにつかめ。他のヤツに遠慮なんかしなくていいから」
「えっ、でも……」
「ほら、グズグズすんな。早く行かないと、仕事に間に合わなくなるぞ」
「きゃっ」
九郎は有無を言わさずに、女の子を後ろから抱きかかえた。
そして役場の外まで運んで下ろし、小さな背中をぽんと押す。
「そんじゃ、しっかりやれよ」
「あ、ありがとうございます……」
女の子はおずおずと礼を言って駆け出した。
しかしすぐに立ち止まって振り返り、丁寧に頭を下げる。
そしてようやく、走り去った。
「……まったく。どこの星でも、いつの時代でも、生きていくのは厳しいってことか」
九郎は低い声で呟き、息を吐き出した。
そして女の子の背中を見送ってから、再び相談窓口に駆け込んだ。
「すいません、メガネさん。掲示板の方はちょっと手遅れでした。それで、まだ何か仕事は残っていませんか? ほんと、ミカン畑以外なら何でもいいんですけど」
「えっと、それが、実はですね……」
職員はわずかに困った表情を浮かべ、窓口の横に立つ女性にレンズを向けた。
それは、長い黒髪を自然に垂らした、細身の少女だった。
白いローブに身を包んだ少女は、手にした求人依頼に目を落としている。
「先ほど届いた追加の求人依頼を、たった今、そちらの方にお渡ししてしまいまして、それが本日最後の一枚だったんです」
「最後の一枚……」
九郎は呆然と呟きながら少女を見た。
すると少女も顔を上げて、感情のない黒い瞳を九郎に向ける。
そして、ふと気づいたように求人依頼を前に差し出し、ぽつりと言った。
「いるなら、あげる」
「えっ、まじっすか……」
九郎の手は反射的に紙をつかんでいた。
しかしすぐに指を離し、首を小さく横に振る。
「……いや、すいません。せっかくだけど、やっぱりいいです。気持ちだけもらっておきます。ありがとうございました」
「そう」
少女はわずかに首をかしげた。
そしてすぐに背中を向けて、九郎の前から立ち去った。
九郎は村役場を出ていく少女を見送り、一つ小さな息を吐き出す。
すると横から、メガネの職員が声をかけてきた。
「いいんですか、桃色さん。くれると言うのなら、受け取っておけばよかったのに」
「いえ、いいんです」
九郎は力なく微笑み、肩をすくめる。
「オレは曲がりなりにも、仕事を二つも紹介してもらいましたからね。その上、他の人の仕事まで取ったら、それは理不尽ってもんでしょう」
「なるほど。そういうことですか」
「はい。それに今日は、ちょっといろいろあって、心に余裕がなかったみたいです。働かなくちゃいけない、金を稼がなくちゃいけないって、頭がいっぱいになっていました。この村の仕事は、この村に住む人のものなのに、オレは自分のことしか考えていなかったって、ついさっき気づきました。だから今日は、ちょっと頭を冷やします。いろいろ相談にのってくれて、本当にありがとうございました」
「そうですか」
職員は、指で軽くメガネを押し上げた。
「それでは桃色さん。よかったら、また明日も来てください。ここは元々、行き場のない人たちが自然に集まってできた村なので、見知らぬ相手にもそれなりに寛容です。もちろん仕事の依頼には限りがありますが、あなた一人が増えたところで大した違いはありません。むしろ人手が増えれば、農地の開拓ができますから、村としては喜ばしいことです。そういうわけで、いつでも遠慮なく相談に来てください。あなた向けの仕事があったら、優先的に紹介させていただきますから」
「……はい、ありがとうございます」
職員の優しい言葉に、九郎は思わず奥歯を噛みしめた。
「……それじゃあ、たぶん明日もお世話になりますので、その時はよろしくお願いします」
九郎は丁寧に頭を下げて、役場を出た。
そして、灰色の雲が増え始めた空の下を、ゆっくりと歩き出した。