10: 眼下の陣・その二
「お退がりあれ、御館様の御下知でありまするぞ!」
母衣衆たちが軽装甲車で疾走し、鼻息荒い武者どもの間を駆け回っていた。
「……仕方あるまい。相判った!」
母衣衆が拍子抜けするほどに、柴田勝家はすぐに手勢をまとめ、本陣方向へと退き下がりはじめた。
信長の下知とあらばこれに従う。どこまでも、忠義に徹するつもりの勝家なのである。
「やむを得ぬか」
「やつらを逃すのは口惜しいが、御館様には逆らえぬ」
他の武者どもも、不承不承ではあったが、追撃を止めて後退を開始した。
その中で――
「勝ちはすぐ目の前に落ちておるのだぞ!」
池田恒興のみが退き下がらず、使番の赤母衣衆・岩室重休の必死の説得にも、まったく耳を貸す様子がなかった。
「あれを見よ、敵勢は算を乱して逃げておる。これを逃して返れとは、御館様の御言葉とも思えぬ」
九七式中戦車の物見塔で眉をつり上げる恒興は、苛立ちと不審のこもる目で重休を見返した。
「まさか、うぬら母衣衆は、己らのみで追い討ちし、手柄を得ようとしておるのではあるまいな。わしらを邪魔に思い、この場から退かそうというのだろう」
「決してそのような腹づもりは――」
「黙れっ、御館様より母衣を頂いたことを笠に着おって!」
「勝三郎殿!」
ようやく追いついた佐々成政は、二人の間に入るよう、青紫色の軽戦車を進ませた。
「心安らかになされませ、勝三郎殿。今川の手勢が逃げ帰っておる先には、義元の本陣も見受けられます。ここは一度――」
「黙れっ、内蔵助! おぬしも此奴らの肩を持つ腹か」
鼻で笑い、成政をにらみつけてきた。
恒興の母は信長の父・信秀の側室であり、信長の乳母でもあった。主の信長とは義理の兄弟であり、乳兄弟でもある。
そうした主との濃い繋がりがあるためか、どこか自分を他の家臣とは別の高みに置きたがるところがある。
それに加え――
「おぬしらばかりが可愛がられておるからというて、思い上がるでないぞ!」
嫉妬含みの視線を射られ、成政は「やはりな」と嘆息する思いだった。
恒興も、かつては小姓として信長の側に仕えていた。それが岩室や長谷川といった若い者達が加わってからは、その任を解かれ、一部将として働いている。
お側から遠ざけられた――と、本人は思っているに違いない。
それが悔しくて、母衣衆からの言伝には従いたくないのだろう。
困った奴だ。そのつぶやきを呑み込み、成政は深く頭を下げた。
「勝三郎殿。ここは一つ、お退き下さらぬか。それとも――」
顔を上げた成政は、血走った目の恒興を冷ややかに見つめた。
「御館様の算段を、軽挙で狂わせになるおつもりか」
「ぐう……」
軽挙と言われ、こめかみをひくつかせた恒興だったが、信長の算段を台無しにすることに考えが至ったと見えて、怒鳴りかけの口を開けたままになった。
やれやれ何とかなったか、と成政が息をついたとき、背後から一輌の軽装甲車がやってきた。
「これは方々、かような所で何の談合でござるか」
明るく声を響かせたのは、前田利家だった。
「敵方は目の前ですぞ。さあ、砲身を並べて進みましょうぞ!」
阿保! と成政が怒鳴りより早く、恒興が荒げた声を轟かせた。
「やはりそうか、犬めがっ。うぬら母衣衆で手柄を丸取りにするつもりだな! 内蔵助、おぬしもそれに手を貸そうというのか!」
恒興は顔を真っ赤にしたまま砲塔内に潜り込んだ。一呼吸も待たずして、恒興の九七式中戦車が疾走しはじめる。
その後ろに池田家家臣の九七式軽装甲車と九四式軽装甲車、そして鉄砲足軽たちが続く。
「お待ちくだされ! 我らも乗り入れますゆえ――」
叫んだ利家がふり返り、そこでようやく、二人分の凍てつく視線に気がついたようで、虚を突かれたようになった。
「……なにやら、ただならぬ気配を漂わせておりますな、御両名」
「痴れ者が! 我らは追い討ちを止めさせるために出張っておるのじゃ!」
成政と、走り行く恒興車を交互に見た利家は、目を丸くして頭を抱えた。
「それを早う申してくれ内蔵助殿!」
「阿保がっ、それも聞かず飛び出していったのは誰ぞ」
「御両名、言い争っていても埒が明きませぬ」
岩室重休は軽装甲車を回頭させ、恒興を追う態勢に入った。
「承知しておるわ!」
成政も操手の戸田半右衛門に命じ、自身の九五式軽戦車を回頭させた。
その時である。
東の方角――恒興が向かった先から、雷鳴のごとき砲声が幾重にも重なって鳴り響いた。
成政たちがいる畑の周りにも次々と砲弾が着弾し、まだ湿ったままの土塊を高々と噴き上がらせた。
「止まるな!」
成政が叫ぶと同時に、その場にいた三輌は素早く動き出し、不規則な前・後進や旋回を開始した。
物見塔で身を低くした成政は、砲声が聞こえた方角を見やった。
<谷間の道>の先に、五軒ほどの掘っ立て小屋が間隔を開けて並んでいる場所があった。
その掘っ立て小屋の脇や、納屋の壁の隙間に、発砲のきらめきが確認できる。距離は四〇〇 米といったところか。
やはり今川方は道の先に陣をかまえ、こちらが踏み込むのを待っていたのである。
車内に顔を入れ、成政は半右衛門に命じた。
「合図したら、わずかの間だけ停めよ。わしが撃ったら、すぐにまた動け」
言い終わらぬうちに榴弾を掴み、装填する。
「今じゃ!」
半右衛門の肩を強く引っ張る。成政の青紫色の軽戦車が、つんのめって停車した。
一つの納屋に素早く狙いをつけ、引き金を引く。砲声が全身を叩き、残響が車内で跳ね返る。
「退がれっ」
言われずとも、半右衛門は素早く軽戦車を後退させていた。
成政の放った砲弾は納屋を直撃、粉々に吹き飛ばした。内部にあった火薬に引火したと見えて、派手な爆発の炎が膨れ上がった。
その炎を背景に、力なく垂れ下がった砲身が浮き上がって見えている。どうやら納屋の中には早打砲が隠されていたようだ。
「なれど……」
火点――砲を備えた陣地をひとつ潰しても、砲撃は止みそうになかった。
「どれほどの砲を潜ませておるのだ」
向こうの集落全体が、発砲の砲火と砲声に包まれているようにも思えた。
「勝三郎殿は?」
道の先に目をやると、恒興の手勢の混乱した様がよく判った。足軽は散り散りに逃げ惑い、戦車や装甲車は反撃しているが、秩序だった砲撃とは言い難い。
「お救いせねば……!」
利家が叫んでいる。
「判っておるっ」
だが、敵の火点の正確な位置と、その数が判らない。下手に押し進めば、ここにいる皆が討ち取られかねない。
「……ああ!」
岩室重休が悲鳴にも似た声を上げていた。
恒興の九七式中戦車が命中弾を受け、右の履帯と車輪を飛び散らせていた。
「逃れよ!」
成政の声が聞こえるはずもないが、砲塔の天蓋が開き、恒興が這い出てきて地面に転げ落ちた。それに続いてもう一人、若い従者が逃げ出してくる。
そこへ、再び砲弾が襲いきた。恒興車の砲塔と車体の数カ所で、まばゆい火花が散った。それに数瞬遅れて、車体の後部から炎が噴き上がる。生力炉を撃ち抜かれたためだ。
恒興は転げ、手をつき、それでも立ち上がった。腰帯に挿していた短刀を引き抜き、なにやら今川勢に向け叫びはじめる。
その恒興を守るように、家臣の九四式軽装甲車が射線を遮る位置へ疾駆した。
刹那、小さな軽装甲車の車体に砲弾が命中し、弾かれたように大きく浮き上がった。
軽装甲車はそのまま炎上した中戦車に衝突し、動かなくなった。砲塔上面の天蓋は開いたままだが、乗り手は逃げ出してこない。
恒興は短刀を振りつつ、まだ何かを叫んでいた。
「それがしが参る!」
その声を残し、利家の九七式軽装甲車が全速力で駆けていった。
恒興を守るのではなく、敵陣めがけて真っ直ぐに突っ込んでゆく。
「己を囮とする腹かっ」
成政は躊躇った。利家に続くべきか。だが、そんなことは御館様からは命じられていない。
しかし、ここで手をこまねいていれば、恒興を救うことはできぬ。
「阿保めっ」
成政は砲塔内に戻り、榴弾を装填した。敵の早打砲が利家を狙って発砲するのを待ち、その位置を確認してから砲撃を加える。それが利家や恒興を救う最善の策であると判断したのだ。
利家車は巧みな動きで敵方に正確な照準を許さず、まるで挑発するように畑の中を走り回った。
ああ、幼き頃、こうやって「車合戦」を遊んだなあ。犬千代は、いつも先鋒で突っ走っておった。ちっとも変わらぬ。
そんなことを思いつつ、成政は引き金を引く。
が、すぐに舌打ちをしてしまう。
外した。小屋の壁の一角は崩れたが、中の早打砲は無傷に違いない。
次弾装填を急ぎ、照準筒をのぞき込む。その時――
利家車の砲塔側面に、命中の火花が散った。小型の車体が揺れ、千鳥足のような動きを見せる。
砲塔上の利家は、両手を広げて天を見上げるように、のけぞっていた。
動かない。
「犬千代!」
成政は物見塔から身を乗り出し、声の限りに叫んだ。
それに反応したように、むくりと利家が起き上がる。車内に向け、何かを叫んでいる。
放たれた矢のように、利家車は再び走り出した。
真っ直ぐに、自分を撃った早打砲が潜む小屋をめがけ、真っ直ぐに――。
「やめぇ!」
成政が叫んだときには、利家車は正面から小屋に突っ込んでいた。
何も起こらない。誰も小屋から出てこない。
「早うせぇ、早う逃げよ!」
直後、その小屋の辺りで爆発音がした。
「何をやっておるのじゃっ」
やはり誰一人、小屋からは出てこない。
「犬千代!」
その叫びに、さらなる爆発音が重なった。たちまち小屋は炎に包まれた。
呆然として、成政はその炎を見つめ続けていた。それでも容赦なく、敵の砲弾が唸りを上げて飛翔してくる。
半右衛門がとっさの判断で、成政車を納屋の陰に後退させた。
納屋の壁に視線を遮られても、成政は燃える小屋の方角をじっと見ていた。
「うつけじゃ……おぬしは。御館様以上のうつけじゃ」
性分の違いから衝突することも多かったが、心から憎んだり、邪険に思うことはなかった。腕のいい同輩であると認めていた。
その男が、先に逝った。
わしの手抜かりのせいか? あのとき、わしも進み出ておればよかったのか。
砲声が聞こえている。盾にしている納屋も、至近弾の衝撃で徐々に崩れていた。それでも成政は、懊悩にとわられ、動けずにいた。
「あれは、犬の装甲車に相違ないのだな……」
自分の声がかすれ、消え入りそうなことに、信長は気づいていた。
こんなことでは将士の意気は下がる。だが、それがどうしたというのだ。
「相違ござりませぬ」
沈痛な面持ちで、河尻秀隆が答えた。
「あの赤母衣衆の色、砲塔に挿した折れた旗……又左衛門の車でございましょう」
信長は、小さく頭を振っていた。
なぜこんなことに? 誰がこんな馬鹿げた戦さを始めたのだ。
織田家など、条件次第でくれてやったのだ。欲しいなら、なぜそう言わぬ。
傍にいて欲しいなら、なぜわしは素直にそう言わなかった。
そうか……わしが悪いのか。
織田家など、とっとと今川にくれてやり、犬千代を呼び寄せ、安穏と暮らせばよかったのだ。
いや、待て。果たしてそれで、本当に安穏と暮らせたのか?
「ぐぅぅ……」
信長は頭をかきむしっていた。なぜこんな面倒なことになった。誰がわしを、かように苦しめるのだ。
誰が――。
ふいに、その目が鋭い焦点を結んだ。
――あいつだ。
信長は、東の丘陵をにらみ見た。
今川義元の本陣。
あそこに、すべての元凶がいる。奴さえいなければ、奴さえ葬れば……。
「陣押しじゃ」
ぽつりと、信長が漏らした一言に、本陣の刻が止まった。
「なれど、いかようにして……?」
今川方の堅陣ぶりを目の当たりにしたばかりの将士は、不審げな眼差しで顔を見合わせている。
「五郎八!」
「ここに」
馬廻衆の一人、金森五郎八 可近の九五式軽戦車は、信長車の左にいた。
「うぬは後ろから付いて参れ。返ってくる権六郎らを取りまとめ、共に押し出してこい」
それから信長は、脇に控える馬廻、母衣衆に声をかけた。
「われに続け。今川の陣、蹴破るぞ」
一瞬の間ののち、
「おおぉ――!」
信長が寵愛する若武者たちは、地鳴りのような声で応じた。
「続けぇ!」
信長の九七式中戦車を筆頭に、馬廻と母衣衆の軽戦車、装甲車が動き出す。
まるで雪崩のように、群れをなした機械の馬が斜面を駆け下ってゆく。
永禄三年(西暦1560年)五月十九日、未の刻(午後二時)頃――。
そのとき、織田勢の攻勢が開始された。




