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夜の扉を開く鍵  作者: 悠井すみれ
鳥籠の鍵
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パットやおばあ様、月牙からは離れて、全く別の世界で夜の市場へ導く鍵を手にした人の物語を描く章です。

ご了承くださいますようお願いします。

 名君として長く善政を敷いた父王は、母に溺れて晩節を汚した。


 狩りで森に迷った際に、湖のほとりに佇む母を、父が見初めたのがきっかけだったという。淡い金の髪をなびかせてつま先を水面に遊ばせる母は、妖精が戯れに姿を見せたかのような儚げな美しさだったとは、供として従っていた者たちも口を揃えることだった。

 父にとっては幸いなことに、そして国と民にとっては恐らく不幸なことに、母は化生の者の幻ではなく、ただの人の娘だった。

 身分を明かし、驚きのあまりに恐懼する両親から攫うようにして、父は母を王宮の奥深くに閉じ込めた。


 とはいえそこまでならば取り立てて騒ぎ立てるほどのことでもなかった。


 父には既に王妃がいたし、王太子も成人していた。父は母に浴びせるように宝石などを与えはしたが、権力を与えはしなかったし、母も政に口出しすることはなかったという。

 母は父の大切な鳥だったのだ。大事に鳥籠の中にしまいこんで愛でるもの。盗まれるのを恐れてか、人前に出すこともなかったというから、王妃も当初は安心していたのかもしれない。

 母は後に男子を――彼を産んで父を大いに喜ばせたが、だからといって王太子を廃そうともしなかった。それどころか息子に母の心を奪われるのは我慢ならぬとでも言わんばかりに、彼は乳母の手に任せられた。

 次第に政も母の傍で行うようになった父のことを苦々しく思う者も多かっただろうが、少なくとも父が判断を誤ることはなかった。

 英雄色を好む。老いらくの恋――臣下たちはそのように卑俗な言い回しで、母への寵愛に目を瞑ろうとしていたようだ。




 だが、事態は変わった。母が死んだのだ。


 太陽も月も星も、母に焦がれているという妄想に憑かれていたらしい父は、母を戸外の風にあてることさえ稀だったという。自然、会う者も限られていたので病を得る機会もないはずだった。にも関わらず、母はある夜突然倒れた。操り人形の糸が切れるかのようにぱたりと倒れて――使用人が駆け寄った時には、既に心臓が動いていなかったという。


 父がいよいよ狂ったのはそれからだった。


 母の遺体が腐るのを防ごうと、最初は氷、次いで様々な薬品を高値で買い集めた。薬品のいずれかが母の美貌を損なったので父は激怒し、何人かの商人がその首を失うことになった。

 母の棺の傍を片時も離れず、寝食も忘れて窶れていった父は、しかし、悲しみに暮れるだけではなかった。その胸の裡では、母の死の責を負わせる者を求めて、怒りと憎しみが渦巻いていたのだ。

 まずは王妃が死を賜った。寵姫を妬んで殺したに違いないと責められて。生母の死に抗議した王太子も、王妃の実家も同じ運命を辿った。さらにそれに抗議した者たちも。全て、母の死に関わった罪人と看做されたのだ。


 賢王として名高かった父の変貌に臣下たちが戸惑い、遠巻きに見守るうちに、父の周囲を怪しげな者たちが固めていった。

 死者を蘇らせる秘術を修めたという異教の使徒。命のない人形に、母の魂を呼び込むのだと主張する者もいた。死の国と通じるという鏡、焚くと死者の姿を結ぶ香。まともな者ならば一顧だにしないであろう詐術やただの古ぼけた品に、父は惜しまず金を使って民を驚かせ嘆かせた。

 とはいえ父はただ国の金を詐欺師どもに投げ与えたという訳ではなかった。そこは冷徹な君主としての目も残っていたようで、口上通りの技を見せることができなかった者たちは容赦なく死を与えられた。母を取り戻せないことに苛立ったのか、罰は次第に重く、残酷なものになりさえした。


 それでも父を訪ねる者が後を立たなかったのは、稀に成功する者もいたからだろう。母の肖像を見事に描いた画家だとか、見たい夢を見せる薬を献じた呪い師など。父に母を偲ばせることに成功した者たちは――人数としてはごく僅かではあったが――多額の報酬を得て帰ることもあった。そのような実例があるからこそ、我こそはと思う者も尽きなかったのだろうが。




 母の面影だけを求めた父は、当然のように政を顧みることはなくなった。更に怪しげな者どもに惜しみなく金を与え、諫言する者には死を与えた。父が富ませた国は、父によって急速に傾けられていったのだ。


 それを、彼はどこか別の世界のことのように眺めていた。父は母だけを求め、母は常に手の届かないところにいたから。親と言っても、いずれも他人に等しい遠い人間だったのだ。

 母は国を傾けた女――しかし当人が死んでいるのでは復讐もままならない。という訳で怨みの刃が彼を狙うこともあったが、同時に守ってくれる者もいた。鳥籠に囚われるようだった母を哀れんでいた者もいたし、王太子亡き後、彼が唯一の王族となっていたことも理由だった。父の暴挙を止めるためには、彼を担がなければならなかったのだ。


 かつて名君と呼ばれた父は、臣下に命を狙われるところまで堕ちていた。しかし、幸いにというか彼が父殺しの罪に手を染めることはなかった。


 母同様に、父も突然死んだのだ。父を突き動かしていた妄執の糸がぷつりと切れたかのように倒れて、死んだ。月の輝く美しい夜のことだったというのも、母の時と同じだった。


 民も臣下も、暴君の死を喜ぶべきか、かつての名君の死を悲しむべきか分かりかねて途方に暮れた、何とも半端な幕切れだった。ともあれ国の金が浪費されることも無実の忠臣が死を賜ることもなくなったはずだった。国には平和が戻ったのだ。


 そうして彼は王位を継いだ。




 王になった彼は、国土を見渡して暗澹とした。父は好き好んで悪政を敷いた訳ではなかったが、母の面影だけを追った年月の間、政を放置し続けた。その結果、各地には不正が蔓延り多くの民が困窮していた。

 国を建て直すのに何よりもまず必要なのは、金だった。父は詐欺師どもに言われるがまま、怪しげな品や術に金を注いでいたので、国庫は空に近くなっていたのだ。


 国庫の足しにするべく、彼はまず母の離宮を開かせた。

 どれほど狂っていても――あるいはだからこそ――父は母との思い出の品に手をつけることはしなかったという。果たして母が喜んでいたのかも彼には分からなかったが、とにかく母に贈られた宝石や調度品の類は、手つかずで残っているはずだった。


 母の形見を売り払っても良いのか、と案じる者もいたが、彼は構わないと答えた。彼にとっては父も母もほとんど知らない人間で、特別な情がある相手ではなかった。それでも親だという認識はあるから、両親のせいで国が疲弊したことへは忸怩たる思いもある。母の遺品で少しでも国を立て直すことができるなら、償いにもなるだろうと考えたのだ。


 実際、母が賜った品々は質の良いものばかりで、大変良い値で売れた。父母が既に亡いからには、それぞれにどのような経緯(いきさつ)があったかは分からない。だから、彼は処分するのにいちいち許可はいらぬと申し渡した。思い出がある品だからと躊躇っている余裕は、今の国にはないのだ。ただ幾らで売れるか、考慮すべきはその値だけ。

 その命を下したきり、彼は両親のことは頭から追い払い、政に専念した。




 ところがある日、離宮の処分を任せた者が彼に謁見を願い出た。どうしても(かれ)の判断を仰ぎたい品が出てきたのだと言って。


 その品とは、精緻な細工を施された鍵だった。

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