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「聞きたいことって……何?」
針を逆立てるハリセンボンみたいに全身で身構えながら、ダーリャは言った。人魚を売り買いしようとしている人たちが何を知りたがっているのかしら。女王様の居場所とか、真珠の採り方とか? 嫌な予感しかしなかった。
でも、月牙というらしい綺麗な男の人は、あくまでも優しそうに微笑んでみせた。
「君くらいの年頃の女の子は何が欲しいものなのか。友達へのお土産を見せてもらいたい」
「……なんで、そんなことが知りたいの?」
話をしている間にもダーリャは部屋の中を見渡して、やっと出口かもしれない扉を見つけっていた。でも、扉は月牙の後ろにある。色々な箱や木のようなものや、動物の牙や骨のようなものが積み重なった店の中、すり抜けて逃げるのは難しいかもしれない。
「気を惹きたい子がいるんだ。でも、何をあげたら良いか分からなくてね。この前は鏡を贈ろうかと思ったのに気に入らないようだった」
「その子に何をする気なのよ? やっぱり売っちゃうの?」
騙されないわ、とダーリャが睨むと、月牙は困ったように笑った。
「君を売ったりなんかしないと言っただろう。これは――そう、愛のためだ。君は愛を探しているとか言ってたそうじゃないか。愛とはどういうものか教えてあげたら信じてくれる?」
「それが本物の愛なら。さっきの人たちは私を騙して愛を売ってくれるって言ってたのよ?」
「本物だとも。竜の爪、一角獣の角――安い出費じゃないのは分かるだろう? それだけのものを差し出したのも愛のため。どうだ、興味が出てきたんじゃないか?」
人魚の歌ほどではないけれど、月牙の言葉は流れるように滑らかで、心地良いメロディのようだった。だからつい納得しそうになってしまうけれど、でも、あまりにも上手い言葉のようにも思える。何を信じて良くて、何を信じてはいけないのか、ダーリャはすっかり自信がなくなってしまってた。
「……大切な爪とか牙とかを払っちゃって、私を助けて。あなたに何か良いことがあるの? 私は愛なんて持ってないのよ」
まだテーブルのようなものの上に座り込んでいたのに気が付いて、ダーリャは床に足をおろした。体重をかけると爪先に痛みが走るけれど、胸の方がもっと痛い。怖いことはもう去ったのかもしれないけれど、これからどうなるか分からない不安には、息をしているだけで胸が締め付けられるよう。
「良いことがあるかどうかは分からないな。ただ、僕は彼女に少しでも長く会いたいだけ。あの子が夜の市場を気に入ってくれれば、彼女にもまた会えるかもしれない」
あの子、もこの人の目的ではないのね。そう気づいて、ダーリャはますます訳が分からなくなった。ダーリャを助けて、女の子の好きなものを聞き出したら、その子の気を惹けるかもしれない。その子が夜の市場に来るときに、彼女って人にも会えるかもしれない。かもしれない、ばっかり。何より――
「私、その子と好みが同じか分からないわ」
人魚の姉妹たちだって、色の好みとかは全然違うのに。どの世界のどんな子かも知らないのに、ダーリャの言うことが役に立つかなんて分からない。なのに助けてくれるなんて、この人はずいぶん無駄遣いをしたんじゃないかしら。それとも、やっぱり他のたくらみがあるのかしら。
「そうだね」
そして月牙はまたあっさりとうなずいて。ダーリャの眉はしかめっぱなしでくっついてしまいそう。きっと変な顔になってしまったのだろう、月牙にくすりと笑われてしまう。
「誰かを愛するということは、理屈に合わないこともしてしまうということだ。例えば君があの子と同じ色のランタンを持っていたら、あの子のことを思い出してしまう。あの子くらいの女の子がひどい目にあったら、彼女は悲しむだろうと思ってしまう」
「愛する……?」
そう、と言って月牙はダーリャの髪を撫でた。袋に出し入れされた時にすっかり乱れてしまったのを、整えるように。馴れ馴れしくてむっとするけど、優しい手つきなのは分かってしまう。
「愛は売り買いできるものじゃないんだ。まあできるかもしれないが、それは本物の愛ではないだろうね」
「市場の人も……真珠を見せたけど買えるのは偽物だけだって言ってたわ……」
「表通りの店には良心的な店も多いからね。良い助言だと思うよ」
「じゃあ愛って何なの!? 訳が分からないわ!」
ダーリャはついに癇癪を起して叫んでしまった。慎重にしなければいけないと思っていたはずなのに。今度こそ賢く立ち回って、上手く逃げださなければいけないはずだったのに。
すると月牙はにやりと笑った。それを見ると、ダーリャはまた罠にはまってしまったのが分かる。
「だから、教えてあげると言っているだろう? 君が代金をくれるなら。市場で買ったものや、友達との話題、人魚の世界での流行。あの子が気に入りそうなものやこと、できるだけたくさん聞かせて欲しい」
だって月牙の笑い方は、獲物を飲み込む寸前の鮫が思いっきり口を広げたところにそっくりだったから。