10
「代金はどれだけもらえる?」
「生きた人魚と代えるとなると――竜の爪、一角獣の角、麒麟の血。これくらいなら釣り合うか?」
「足がつきにくい方が良い。金や宝石なら幾ら出せる?」
「すぐに、となるとこれくらいか。だが、足がつかないように捌くのもそちらの腕じゃないか?」
ダーリャの値段を決めるやり取りが淡々と進められている。お姉様と地底の小人が真珠の取引をしているところを眺めるのはあんなにわくわくしたのに、自分自身が売られてしまうと思うとたまらなく怖い。逃げ出したくてたまらないのに、今のダーリャには指先ひとつ自分の意志で動かすことはできないなんて。
「――まあ、こんなところか」
「うん。うちに持ち込んでくれて感謝している」
ああ、とうとう商談が終わってしまった。この綺麗な声の怖い人とふたりきりにされたら、いったい何をされてしまうのかしら。
「ああ、声を置いていくのも忘れるな。この子の荷物も。こちらで処分してやろう」
「ふん、抜け目ないな」
「声も含めての値段だからな。上手くやったと思っていたか?」
「あんたが騙されてくれてるはずはなかったな、月牙」
がさごそと、色々なものが交換されている気配がした。ダーリャの代金の金や色々な生き物の色々な部分。それに、ダーリャの声! あの真珠のような粒を吐き出してから、声が全然出せなくなってしまった。歌うことはもちろん、悲鳴を上げて助けを求めることだって。
人魚の声も、売られてしまうのかしら。ダーリャは自分の声が大好きだったのに。どこかにやられて、もう二度と歌うこともできないのかしら。そう思うと、瞬きもできないダーリャの目から涙がこぼれて止まらなかった。
「さて――」
ダーリャを攫ってきた人たちが去ると、お店の人、綺麗な声をした男の人が覗き込んできた。うっすらと微笑んだその人は、声と同じにとても綺麗な姿をしていた。黒い髪に黒い瞳、白い肌。刺繍をびっしりと施した服がとてもよく似合っている。こんなに綺麗な人なのに、実はダーリャを売ろうとしている怖い人なんだ。
「愛を買いたいなんて言ってる子が、人魚の真珠をちらつかせてたって、評判になってたよ。真珠を取られるくらいならまだ良いけど、こうやって攫われてしまうかもしれないのに。姉さんたちはちゃんと教えてくれなかったの?」
声を出せないダーリャは心の中だけで答える。ううん、お姉様は教えてくれてた。ダーリャが言うことを聞かなかっただけで。優しそうな人に見えたからって、大通りから逸れたりしてはいけなかったのだ。
これからどうなってしまうのか怖くて、でもそれを見せるのは悔しくて。ダーリャは必死に目を開けて月牙と呼ばれていた男の人を睨もうとした。すると、やっぱり形の良い唇がくすりと笑う。
「そんなに怖い顔をしないで。ひどいことはしないから」
その言葉が聞こえると同時に、視界の端で何か光るものがきらめいて、ダーリャの首筋にちくりとした痛みが走った。
「君に使われたのはバジリスクの石化の毒。うちは薬屋だからね、これで動けるようになるはずだ」
そういわれて、ダーリャは恐る恐る身体を起こしてみる。本当だわ、さっきまでぴくりとも動けなかったのが嘘みたいに手も足も思った通りに動かせる。でも、売ってしまうなら動かないままの方が良いはずなのに。絶対に逃げられないとでも思っているのかしら。
「そしてこれが君の声。飲み込んでごらん。そうすれば元通りに馴染むから」
油断してはダメ、と。痛んだ足でも走れそうか、どこかに出口は見つからないか、きょろきょろもぞもぞとしていたダーリャに、月牙という人は光る珠を差し出した。さっきダーリャが吐き出した、ダーリャの声だという真珠のような白い宝石。
「大丈夫だから。ほら」
怪しい薬を飲まされた時の喉の痛さや熱さを思い出して顔を顰めたダーリャの口元に、月牙は強引に声の宝石を押し込んだ。喉を、また焼けるような熱い感覚が襲ったのも一瞬のこと。丸い石は瞬く間にダーリャの喉のあたりで溶けて。熱さが収まった時には、ダーリャの声は元通りになっていた。
「――どうして? どうして返してくれたの?」
「声も出せない動けないままの方が良かった?」
久しぶりに出すことができた声は、必要以上に大きくて怒ったような感じになってしまったかもしれない。だって、この人が何を考えているか分からないから。何をされるか分からないのは、怖いから。
「嫌だけど……でも、私を売るつもりなんでしょう? どうして動けるようにしたりするのよ!」
「確かに僕は君を買ったけど。でも、ひどいことはしないと言っただろう?」
「……さっきは肉とか鱗とか言ってたわ……!」
にっこりと笑う月牙の笑顔は綺麗で優しそうで、つい信じたくなってしまうけれど。でも、優しそうな人に騙されるのは、ダーリャは二度とごめんだった。
「あれは、あいつらを納得させるための嘘。攫った人魚をみすみす逃がすなんて、あいつらには信じられないだろうからね」
「だって、あの人たちにたくさん払ったんでしょう? それじゃあなた、損してしまうじゃない」
夜の市場は商人の場所。誰も損なんてしたくないはず。それは、ダーリャみたいな子供でも知っていること。月牙が支払った品物は、よく分からないけど絶対に珍しくて高価なもののはず。それを惜しげもなく差し出したからには、まだ何か目的があるんだと思う。
「うん、だから助けた分の代金はもらうよ。――君に、少し聞きたいことがあるんだ」
あっさりと言ってきた月牙の笑顔はあまりにも綺麗すぎたから、ダーリャは絶対に信用しないことに決めた。