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夜の扉を開く鍵  作者: 悠井すみれ
水底の鍵
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 人魚は売られてしまうこともある。お姉様に言われたことがよみがえってダーリャの心臓はどくどくと痛いくらいに脈打った。売られるってどういうことなのかしら。夜の市場で見た鳥みたいに籠に入れられてしまう? 馬とかみたいに鞭打たれてしまうのかしら。痛いのも閉じ込められるのも怖いけど、何より海に戻れなくなるのが怖い。


 嫌! 助けて!


 やっと叫ぼうと息を大きく吸い込んだけれど、声を出すことはできなかった。大きな手に口を塞がれてしまったから。最初の男の人の声だけじゃない、何人かの声が耳元でささやき交わす。とても嫌な、恐ろしいことを。


「まず声を取ってしまおう」

「ここで?」

「騒がれる方が面倒だ」


 鼻の辺りまで手で覆われて息もできなくて、心臓がばくばくと脈打つ音がやけに耳にうるさく聞こえた。そしてやっと口を塞ぐ手が離された時、ダーリャはまた悲鳴を上げようとしたのだけど――


「おっと、叫ぶなよ」

「――――!?」


 口の中に何かを入れられて、また手で塞がれてしまう。思わず飲み込んでしまったのは、とろりとした甘くて少し苦いもの。何かのお薬のようなそれは、喉を通り過ぎようとしたと思った瞬間に熱くなって。ダーリャは陸に上げられた魚のように口をぱくぱくさせてしまった。


「ぁ……あっ、かはっ」


 熱い何かを吐き出したくてたまらないけど、なかなかできない。喉の内側に貼りついたようなそれは、だんだんもっと熱くなって、そして固く丸まっていって。


 目に涙を浮かべながらせき込むと、ついにダーリャの唇から()()がぽろりとこぼれ落ちた。小さく丸く輝く、まるで人魚の真珠のような。それが地面に落ちてしまう前に、横から伸びた手がひょいと得意げに掴んでいく。まるでカモメが水面から跳ねた魚を攫っていくみたいに。


「人魚の声だ。役者や歌姫――幾ら積んででも欲しがる奴は多いだろうな」


 路地裏から現れた人のひとりが真珠のようなダーリャの()を掲げると、月が地上に降りてきたみたいにきらきらと眩しく輝いた。


 私の声? それが? 返して!


 ダーリャは叫ぼうとして――でも、決してできなかった。息はできるし、口を動かすこともできるのに声がどうしても出なかった。優しそう()()()男の人に担ぎ上げられたまま、手足をばたばたさせるしかできないダーリャは、きっとおかしくてみっともなかっただろう。


「仲間を呼ばれると厄介だからな」

「さあ、おとなしくしていろ」


 また何かを飲ませられそうになって、必死に顔を背けて口を結ぼうとする。でも、鼻をつままれるとどうしても口を開けてしまって。今度は苦いだけの水が喉に注ぎ込まれる。


 何なの。怖い。帰りたい。


 目に盛り上がった涙で月が歪んだ。瞬いて涙のしずくを振り払おうとして、ダーリャは目蓋(まぶた)も動かせないことに気付く。それどころか手も足ももう動かせない。まるで身体が石になってしまったみたい。


「二本脚でもちゃんと鱗はあるんだな」

「でもこれじゃあ作り物っぽいなあ。人魚はやっぱり尾ひれがないと売り物にならん」

「魔法を解けば良いんだろう。そういう店に行けば良い」


 ダーリャを捕まえた人たちが、ドレスの裾を勝手にめくって言い合っているのが腹立たしかった。でも、それ以上に売り物、なんて言われてしまっているのが怖い。

 悲鳴を上げることも涙を流すこともできないまま、ダーリャは袋に入れられてしまって。そうして、何も見えなくなった。




 どこをどれだけ運ばれたのだろう。あの月はまだ出ているのかしら、お姉様たちはもう帰ってしまったのかしら。何も分からないまま、ダーリャを抱えた人たちはどこかのお店に上がり込んだようだった。

 袋から出されると、ダーリャは何かテーブルみたいなものにあおむけに転がされる。見えるのは、木のタイルを組み合わせた天井の模様。何を売っているお店なのかはとても気になるところだけど、首どころか目を動かすこともできないからただ天井を見上げていることしかできない。


「人魚の子供……? 確かにそろそろ人魚の真珠が出回るころだったか」

「ああ、運良く捕まえてね。だが、この脚じゃ話にならない」

「だから僕に尾ひれに戻せということか」


 また勝手にドレスをめくられても、もう怒る気力も湧かなかった。身動きひとつできないで荷物みたいに扱われるのが、こんなに怖いことだなんて。これから何をされるのか分からないから怖い思いは増すばかり。どうか痛いことはされませんように、と思うのだけど。


「上手く売れたら値段の三割でどうだ?」

「人魚の恨みを買う値段にしては安いな。それなら丸ごと譲ってくれた方が良い」

「丸ごと? いや、それは……」

「市場をうろついているところを攫ったなら、買い手が決まっている訳でもないだろう? 在庫を抱えるのは面倒なんじゃないか?」


 運び込まれたお店の人は、人魚みたいに綺麗な声をしていた。といっても男の人の声だったし、言っている中身はやっぱりとても怖かったけど。丸ごと、なんて。(サメ)が小魚を丸飲みしてしまう時みたい。


「……あんたの店で人魚は扱わないだろう、月牙(ユエヤア)

「そうでもないさ。人魚の肉も(ウロコ)も、骨だって。貴重な材料になるからね」


 綺麗な声が歌うようにとても残酷なことを言ったので、ダーリャの動かせない目から一粒の涙が転がり落ちた。

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