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夜の扉を開く鍵  作者: 悠井すみれ
水底の鍵
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 夜の市場の不思議な鍵は、どんな扉のどんな鍵穴にも合うのだという。必要なのは、鍵を鍵穴に入れて回す、ということ。そうすれば誰でも、どこからでも夜の市場へ繋がる扉を通ることができるらしい。

 でも、海の底には扉なんてない。それは、沈んだ人間の船には彫刻をほどこした重い木の扉のある豪華な部屋もあったりするけれど。でも、それは人魚の扉ではない。だから真珠を卸しに夜の市場へ行く時は、もっと素敵な――人魚にふさわしい扉を使う。


 それは、水面に映った丸い月。人魚にとっては水の中と外を分ける水面が一番身近な()だから。女王様から鍵を預かったお姉様が、光る鍵を掲げて水面へとまっすぐに上がっていくと、白く輝く月が鍵穴になって、夜の市場との扉が繋がるのだ。


「すぐ後についてきてね。扉はすぐに閉まってしまうから」

「はい、お姉様」


 真珠がずっしりと詰まったシャコ貝を抱えて、ダーリャはしっかりと頷いた。だって、世界と世界の間の扉を通るのなんて初めてのことだから、絶対お姉様とはぐれたりしないようにしなきゃ、と思う。


「緊張しないで。一瞬のことだもの」

「はい」


 そんなことを言われてもダーリャは落ち着かなくて、小魚みたいに意味もなくその辺をぐるぐると泳ぎ回ってしまう。それでも――


「さあ、行きましょう」


 鍵を持ったお姉様を先頭に、商談をする歳上のお姉様が何人か。それから、ダーリャのように真珠を運ぶ役の妹たち。みんな海で生きる人魚だから、一度泳ぎ出せば誰も迷うことなくまっすぐに水面へと向かう。後ろに従うダーリャの目には、空一杯の星を映した水面に月の光が降り注いで、お姉様たちの髪や(うろこ)や尾ひれをきらめかせるのがとてもよく見えた。


 綺麗、素敵!


 夜の海の深い深い蒼に映えるきらめきに見蕩(みと)れながら海面を目指すと、丸い月がだんだん近づいてくるよう。やがて、お姉様が掲げた鍵が、満月と重なって。その瞬間に、かちゃり、と音がした。

 これが鍵を回す音なのかしら。水底に沈んだ人間の船は、()びつくか腐るかしてしまって、扉を開け閉めしようとしてもぎしぎしと嫌な音と感触がするだけだったけど。でもこの音は軽やかで何だかわくわくする。


 さあ、これで別の世界に行けるのね。




 すぐ後に、と言われた通り。目いっぱいの速さで水を突き破って海面から顔を出すと、潮の香りに混ざって何か甘い匂いがした。それに惹かれて匂いがする方へ顔を向けてみると、岸辺に沿ってたくさんの光が瞬いていた。月や星の白い光だけでなくて、赤や青や緑や黄色、ありとあらゆる色の渦。香りと色だけでなく、音も微かに聞こえてくる。人間が船の上で催す(パーティー)に少し似ている、でもずっとたくさんの人がいそうな賑やかな音。話し声や歌声や、時に怒鳴るような声が音楽が混ざり合った騒めき。


 こんなに離れたところから見ているのに、とても華やかで楽しそうで。ダーリャは思わず叫んでしまう。


「――あれが、夜の市場!?」

「ええそうよ。まずは陸に上がりましょう」


 陸に上がったら這って動かなければいけないのに? そんなのみっともないのに?


 そんなの嫌だわ、と思ったけれど、文句を言う前にお姉様はもう岸辺へと泳ぎ始めていた。だから仕方なくダーリャも後をついて泳いで、浅瀬に近づいて。そうすると、不意に()が砂浜に触れた。


「――え?」


 ひんやりとした砂の感触に思わず見下ろすと、ダーリャの自慢の綺麗な尾ひれは、人間の二本脚に変わっていた。五本の小さな指に、桜貝みたいな薄桃色の小さな爪。ところどころ残った鱗の色は、見慣れた青みがかった銀色だったけど。


 驚いて変な声を出してしまって、足をかわるがわる持ち上げて爪先や(かかと)やふくらはぎを見ているダーリャに、お姉様たちはくすくすと笑った。


「これも、夜の市場の月の魔法なのよ」

「言葉を介するだけではなくて、住む世界が違う者も市場に入れるようにしてくれるの」

「脚と尾ひれは感じが全然違うでしょう? 転んで真珠をこぼさないように気をつけて」


 よく見れば、お姉様たちも尾ひれの代わりに人間の二本脚で立っていた。鱗のきらめきはとても綺麗なものだと思っていたけれど、月明かりの下で見る濡れた白い肌もとても綺麗でどきどきしてしまう。


「まずは、服を着ないとね」


 人間が船の上を歩くのは何度も見ていたのに、自分で歩いてみるのは全然別の話だった。すぐに転んでしまいそうになるのをお姉様たちに支えてもらいながら浜辺を歩くと、そこは小さなお屋敷が建っていた。先頭のお姉様が夜の市場の光る鍵で扉を開けたから、ここにも何か魔法がかかっているのかしら。


 お屋敷の中には色々な部屋があったけれど、お姉様たちがまっすぐに向かった部屋は色々なドレスでいっぱいだった。前に溺れてしまった女の子が着ていたようなふわふわとしたのや、身体にぴったりとした意匠(デザイン)のもの、袖も丈も長いのや短いのがあって、どれも色々な色と生地が揃っていて。


「わあ……!」


 海の中では見ることができなかった色と形に、ダーリャはまた歓声を上げる。まだ夜の市場にも入っていないのに、こんなに驚くことがあるなんて。


「好きなのを選んで着てみなさいな」

「何も着ていないとろくに歩くこともできないのよ」

「あなたにはまだコルセットはいらないわね」


 ダーリャに声をかけながら、お姉様たちも目を輝かせてドレスを選び始めている。ドレスの次は、アクセサリー。それから髪形も整えて。

 ダーリャがお姉様たちと揃って夜の市場に繰り出すまでには、もう少し時間がかかりそうだった。

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