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船の上の音楽は、海の底にも響いてきていた。ダーリャの尾ひれではダンスを踊ることはできないけれど、微かに聞こえる陽気な歌や笛の音に合わせて海面に跳ねたり、波に乗って泳ぐのはとても楽しかった。
でも、人間の船はそんなに頑丈じゃなかったみたい。どんな嵐の高波も、海の底まで届くことはないけれど、音楽を奏でていた船は波と風であっさりひっくり返ってまっぷたつになってしまった。
水の中で、人間の女の子が踊っている。長いスカートの裾を翻して、手足をばたばたさせて。口から零れる泡がとても綺麗。
女の子のまとっているドレスをよく見たくて近くに泳いで寄ろうとすると、ダーリャの目の前を黒い影が横切った。鮫のカルカロだ。
「可哀想になァ」
「ちょっと――」
そんなことを言いながら、カルカロは女の子の手を片方噛みちぎってしまった。水を濁らせる赤い靄に顔をしかめながら、ダーリャは大きな鮫に詰め寄った。
「勝手に食べちゃダメよ。お姉様たちに怒られるわ」
ダーリャたち人魚は人間のドレスを着ることはできない。でも、きらきら光る首飾りや髪飾りはまた別。大きな宝石は海の底でもよく目立つし、放っておくと錆びてしまう銀細工も、女王様が魔法をかければいつまでも綺麗なままで取っておける。嵐の時は、新しい宝石が手に入る絶好の機会なのに。
「何、姉さんたちもこれはいらないって言うだろうさ」
女の子の血で真っ赤に染まった牙を剥いて、カルカロは笑った。尖った鼻先が示すのは、女の子が吐き出した泡――ではなくて、ちぎれた首飾りのビーズだった。
「なあに、これ?」
ダーリャは素早く泳ぐと、そのビーズのひとつを指先でつまんだ。親指の爪くらいの大きさの丸い珠。透明ではないから、ガラスでも宝石でもないみたい。というか、濁った白はそんなに綺麗でもなくて、ドレスを着ていた女の子には不釣り合いにも思えてしまう。
「人間はそれを真珠って言うのさ」
「嘘! 真珠はもっと透き通って綺麗なのよ」
「そりゃ、人魚たちは真珠の採り方を知ってるからなァ」
「そうね、私もお手伝いするもの」
真珠採りの光景を思い描いて、ダーリャはうっとりと目を閉じた。
まずは、歌の上手なお姉様たちが子守唄を歌って真珠貝を眠らせる。それから女王様が魔法の鍵で貝をひとつひとつ開いて、真珠を採らせてもらうのだ。ダーリャたち子供の人魚は、大きなシャコ貝の貝殻を掲げて女王様の後をついていく役。貝殻の中に、虹色に輝く真珠が溜まっていくのを見るのは、とてもわくわくするものだった。
「人間は、真珠貝を無理矢理陸の上に揚げて貝殻をこじ開けちまうのさ」
「ほんと? 可哀想!」
「だから可哀想だって言っただろォ」
カルカロは女の子のもう片方の腕に噛みつくと、楽しそうにぐるぐると回った。そうすると腕はすぐにちぎれてしまって、血の赤い靄が暗い海の中にらせんを描く。
「貝だって怖いし痛いんだ。なのに人間どもは手加減しないからなァ、痛いのと怖いのでびっくりして、真珠が濁ってしまうのさ」
カルカロが女の子を振り回したから、人間の真珠だという濁った珠がその辺の海中に散らばっていた。海の泡だと思えば少し光って綺麗だけど、ダーリャたちが集める真珠の方がずっと綺麗で光ってる。お姉様たちもこんなのはいらないって言うかしら、と。ダーリャは鮫が言うことに納得した。
「でも、あんたが貝を可哀想って言うなんて意外だわ。アザラシなんかは悲鳴を上げてても食べちゃうじゃない」
それでも、食いしん坊の鮫なんかに教えられたのが悔しくて。ダーリャは唇を尖らせた。するとカルカロは、二本目の腕を飲み込みながらまた笑った。
「だって奴らは固くて小さくて食えたもんじゃないじゃないか。食事にもならない奴らに、人間は気の毒なことをするもんさァ」
「あっそう!」
カルカロはまだ食事を続けるようだったので、ダーリャはその場所を離れることにした。血が髪に絡みつくと洗い落とすのが面倒だから。ダーリャの髪は南の海みたいな綺麗な青なのに、赤い色で汚れてしまうなんてもったいない。
銀色がかった尾ひれをくねらせて、お姉様たちのところへ戻りながら、ふと思う。
そういえば、そろそろ真珠を集める時期じゃないかしら。ウミユリの谷の真珠貝が、良い真珠を育てる頃だって女王様が言ってたはず。シャコ貝の器いっぱいに真珠を集めたら、今度は私も連れて行ってもらえるかしら。
真珠を卸しに、夜の市場へ。あそこなら、探しているものが見つかるかもしれないから。




