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「嘘を映す、鏡……?」
「そう」
女王様の言ったことの意味が分からなくて。ただぼんやりと繰り返すと、女王様はくすりと笑った。今度は仮面のような微笑みではなくて、ずっと自然な――人間らしい微笑みだった。その表情で、パットは初めて気づく。女王様は――とても綺麗な方だけど――若い方ではないみたい。
大きく笑うと目尻や口元には少し皺が寄って、おばあ様ほどではないけれど、お友達のお母様よりも年上に見える。でも、口元を少し曲げるだけの冷たい笑顔よりも、今の方がずっと綺麗で感じが良かった。
「若い娘も老婆の姿に。背の高い者は低く。太った者は針のようにやせ細って。時に、毛や鱗や羽根が生えた姿に映る者もいるようだ」
パットが少し失礼なことを考えているなんて思ってもないのだろう、女王様は歌うような調子で教えてくれた。夜の市場のことを教えてくれた時の月牙を思い出す、滑らかな口上。夜の市場に関わることを言う時は、必ずこんなふうに素敵な歌みたいになるのかしら。
鏡の中と外で、女王様のお顔が同時に微笑んで同時に口を動かしていて、パットはくらくらと目が回ったような気分になってしまう。
「でも、どうして私だけ……?」
毛むくじゃらのお化けをできるだけ見ないようにして、パットは女王様に問いかけた。女王様も月牙も、鏡には元の綺麗な姿で映っている。パットだけ不気味なお化けになってしまっているのは、とてもひどいことのような気がした。
「わたくしもその者も、もともと嘘の姿で生きているもの」
女王様の赤く染められて尖った爪が、まっすぐに月牙を指していた。
「――嘘の姿?」
女王様と月牙を見比べて首を傾げるパットに、女王様はまた歌うように教えてくれた。
「夜の市場には妖しい者が多いだろう。人の姿をしているからと安心などできるものか。そしてこのわたくしも、偽りの姿をまとっている。人に恐れられ敬われるよう、常に美しく冷たくあらねばならぬのだ。そして嘘をつくことができていると確かめるため、わたくしにはこの鏡が必要なのだ」
「嘘の、姿……」
同じ言葉ばかりを繰り返すことしかできないパットには、自分がとても馬鹿になってしまったような気がした。
女王様の言葉がすべて分かった訳ではないけれど、でも、よく見れば本物の女王様と鏡の中の女王様は、もう違うお顔で笑っていた。本物の女王様は、いたずらっぽい明るい笑顔。鏡の中の女王様は、さっきまでと同じ、冷たいお人形のような笑顔。――こちらは、嘘の姿ということなのかしら。
「注文通りの品だと確かめるには、真の姿をした者を映さねばならぬが、めったな者に知られる訳にもいかないし――だから、人の使いを寄越せと言ったのに、こんな子供を選ぶとは」
「私が言い出したんです。影花のお店の鏡が欲しいから、代わりにお使いをするって」
女王様が少し怒ったように月牙を睨みつけたので、パットは慌てて説明した。女王様が見ていないからって、部屋の中をうろうろしてしまったのが悪かったのだもの。女王様が言う通り、説明されてからだったらパットだって泣き叫んだりしなくて済んだはずなのに。
謝らなくちゃ、と息を吸い込んだパットの頬を、女王様は不思議そうに首を傾げて手のひらで包んだ。
「こんなに若くて愛らしいのに、偽りを求めるとは不思議なこと」
パットに対しては全然怒っているような口調ではなくて、拍子抜けしてしまう。
「あの……?」
「まあ、わたくしが口を出すことではないけれど。……でも、あまり幻に溺れなくても良いと思う。そなたは真の姿で生きることができているのだから」
何て答えたら良いか分からなくて。困ってしまってパットが黙っていると、女王様はす、と髪から飾りをひとつ抜き取った。
「驚かせた詫びと、使いの礼に取っておきなさい。影花には内緒にするのが良いだろう」
「でも、あの」
パットに差し出されたのは、真珠がついたピンだった。女王様の髪飾りの中では一番小さなものだけど、でも、夜の市場の鍵で扉を開けて、ほんのちょっと廊下を通って届け物をしただけなのに、しかも大騒ぎをしてしまったのに、お詫びやお礼をもらってしまうなんて良いのかしら。
「良いんじゃないかな。パットはよくやったんだから」
でも、女王様は伸ばした手を引っ込めようとしないし、月牙もにこやかに微笑んだ目で促してくれる。だから、パットはおずおずと手を伸ばして柔らかい光を放つ真珠を受け取った。
「ありがとうございます、女王様」
「いいえ。可愛い子供と話すのは楽しいもの。気をつけてお帰り」
「はい。ありがとうございます」
これでパットのお使いは無事に終わったということみたい。パットはスカートをつまんでお辞儀をすると、女王様のお部屋を後にした。
最後にちらりと振り返った時、女王様はパットが届けた鏡を見下ろして微笑んでいた。とても満足そうなその笑顔は、最初に出会った時と同じ冷たいもので――だから、鏡に映っているのもきっと同じ表情なのね、と。パットは少し悲しく思った。