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閉ざされた扉の中へ、パットは緊張で少し震える声で呼びかけた。中にいるのは、女王様だと聞かされているから。失礼のないように、きちんとした言葉遣いをしなくては。
「夜の市場の、影花のお店から来ました。鏡をお届けに」
「ああ……待っていた。入るが良い」
こういうところではお付きの人が扉を開けてくれるものだと思って、パットはしばらく扉の前で立ちすくんで待っていた。
「何をしている。早く」
「は、はい……!」
でも、急かされてしまって、自分で扉を開けなければいけないのね、と気づく。同時に、二度目に話しかけられて気づいたけれど、中から聞こえる女の人の声は、パットとは違う言葉を話していた。なのにちゃんと意味が通じるなんて、夜の市場の月の魔法はここでも効き目があるのかしら。それとも、鍵を持っているからかしら。
「こんな子供を寄越すとは。いつの時代のいずこの国の子供なのか――だが、人の子なのだな」
お待たせしてはいけないわ、と。慌てて扉を開けると、中は小さな部屋だった。通ってきた廊下のように見慣れない、でも豪華な装飾で彩られていたけれど、パットの部屋と変わらないくらいの大きさだからかそれほど怖い感じはしなかった。誰もいない廊下と違って、中には女の人――女王様……? がいて、くつろいだ様子でソファのような家具に座って足を投げ出していたからかもしれない。
「控えずとも良い。こちらへおいで」
「はい!」
女王様は、とても綺麗な人だった。真っ白な頬に赤い唇。黒い瞳がきらめいて、黒い髪を結い上げている。黒い髪に黒い瞳――だからなのか、着ている服も月牙や影花が着ているのと似た感じがしていた。もちろん、もっとずっと豪華で重そうだったけれど。金糸や銀糸の刺繍の服を何枚も重ねて、宝石の飾りまでつけられていて。髪飾りも、孔雀が羽根を広げるみたいに大きなものが幾つも刺さっている。これでは、頭が痛いんじゃないかしら。それに、夜遅く、小部屋で休んでいるようなのに、こんなに綺麗な格好をしていることなんてあるのかしら。
不思議に思ったことは幾つかあったけれど、女王様に聞くのは失礼だと思って、パットは黙って影花から預かった箱を手渡した。部屋の中に入ったのはパットだけ、月牙は扉のすぐ外で待ってくれている。
「前に姿見を求めたのだが。もっと扱いやすい大きさのものも欲しくなったのだ。――検めるから、少し待っていておくれ」
箱を受け取ると、女王様は唇の端をほんの少しだけ持ち上げて笑った。まるで仮面が微笑んだみたい。見とれてしまうほど綺麗なのに、少し怖くて。パットは小さな声ではい、と答えると女王様が箱を開けるところから目を逸らして部屋の中を見渡した。
お使いを引き受けたのは、まず第一にはあの螺鈿の鏡が欲しかったから。でも、その次には女王様のお城に入ってみたかったから。調度品なんかをじっくり見るには、女王様が注文の品を確かめている今しかない。
布を張っているらしいランプが、柔らかい光で部屋の中を照らしていた。だから、廊下とは違って部屋の中の様子ははっきりと見えた。壁を彩る黒や赤は、明るいところで見るとやっぱりくっきりと目に鮮やかで綺麗。金色もあちこちに使われているのに、派手な感じは全然しなくて、ずっしりと重々しくて落ち着いた感じがする。
飴みたいな光沢の木材の家具、そこに施された彫刻。とろりとつややかな光を放つガラスの水差し。パットがよく見るのより厚みがあって重そうだけど、その分色が深く見えて空気の泡が入っているのもとても綺麗。影花のお店で出されたような取っ手のないカップも、細かく描かれた模様がとても綺麗。それに――
目の端で何か動いた気がして、パットはそちらへと目を向けた。何か、鳥とか生き物を飼っているのかと思って。でも、部屋の中はいたって静か。パットと女王様のほかには誰も何もいない。
気のせいだったかしら、とも思ったけど、でも、確かに見たようにも思える。だから、パットは女王様が鏡の箱に目を落としているのをちらりと確かめてから、その方向へと一歩踏み出してみた。何も触ったりしないから、と自分の心に言い訳して。
静かな空気を乱さないように、やっぱり華やかな模様を描いた絨毯をつま先で探るようにして部屋の隅へ近づいて行って。――そこまで気をつけていたのに。
「きゃあっ!?」
パットは、思わず大きな声で悲鳴を上げていた。
パットがそっと覗き込んだ影から、毛むくじゃらのお化けがこっちを見つめ返していたから。