5
花が綻ぶような綺麗な笑顔を見せてくれる影花に対して、パットは少し身構えながら答えた。
「お使い……どうすれば良いの?」
おばあ様も月牙も心配そうな顔をしている。それでも、口を出さないでいてくれるのは、影花はパットに話しかけているからだと思う。パットは子供だとしても、人の話に割って入るのは失礼だもの。会う人が皆、ちゃんと一人前に扱ってくれる――そこも、パットが夜の市場を好きな理由のひとつ。
「何、そう難しいことじゃないさ」
でも、それは同時にちょっと怖いことでもある。前に来た時は、梟に攫われないように、なんて言われた。おばあ様も裏道には入ってはいけないと言っていたし。竜は子供の肉が好きだなんて言っていたし。……それは、子供だからって守ったり庇ったりしてもらえないってことではないのかしら。
影花が何でもないことのようにさらりと言うのも、騙そうとしているのではないかしら。
「うちの品をお客様に届けて欲しくてねえ。一見の方じゃない、前にもお買い上げいただいた方だから安心だよ」
「さっきの子じゃダメなの?」
お茶を出してくれた女の子のことを思い出して、それにちゃんとものを見て考えることができるって見せたくて、パットは鋭く聞いてみた。
「あの子はこの店から離れられなくてねえ。お客様は人間以外が嫌いな方だし」
「……どこまで行くの?」
やっぱりあの子のことを普通の子供じゃないと思ったのは当たっていたみたい。何となく気づいていたからそんなに驚きはしないけれど。もっと気になるのは、お届け先のお客様のことだ。パットは夜の市場の道をよく知らないし、ずっと起きていられるわけでもないのに、そんなに遠くまでは行けないと思う。
「近いといえば近いねえ。ほら、夜の市場へ来る時には鍵を使っただろう? それとは逆に、お客様のところへ通じる鍵もあるのさ。お得意様のところへは、そうやって店と行き来できる鍵を作っておくもんなんだ」
「……別の世界に行くということ?」
お屋敷の暗い廊下から扉を開けると、眩しい夜の市場が広がっていた――あの瞬間のことを思い出すと、パットの胸は高鳴った。今まで生きてきたのとは全然違う世界に足を踏み入れることができるということに、とてもわくわくしたから。
市場で会った色んなお店の色んな人たち。あの人たちがどんな世界から来たかも、とても気になっていた。夜の市場もとても素敵なところだけど、さらに別の世界に行くこともできるなんて、もっともっと素敵なような気がした。
「さあ、私はお嬢ちゃんのもと来た世界を知らないから。でも、めったに行けないとこなのは間違いないだろうねえ。お城にお住いの女王様だからねえ」
「お城!」
影花はパットをお使いに行かせたがっているのね、ということは分かっていた。それでも、これが何かの仕掛けなのだとしても、パットはすっかり行く気になってしまっていた。女王様のお城なんて。パットの国にも女王様がいらっしゃった時代があるけど、もちろんお城には偉い人しか入れないから。
「お使いをしたら、この鏡をもらっても良いの?」
このやり取りの間にも、パットは螺鈿の鏡を抱きしめていたから、すっかりぬるくなってしまっていた。でも、鏡に映る未来の自分の姿に夢中になったパットには、それはむしろ熱いくらいに感じられる。持っているだけでも心臓がどきどきして、絶対に欲しい、絶対に持って帰りたいと思わずにはいられない。
「ああ。大事なお客様の大事な品だからね。それくらいお安いことさ」
「じゃあ、行くわ!」
勢いよく頷いて叫んだ時、おばあ様が立ち上がってパットと影花の間に割って入った。
「パトリシア。簡単に約束をしてはいけないわ」
「もう遅い。この子はもう行くって言った。ここは夜の市場だからね。言葉だけでも取引は取引だ」
おばあ様のお顔が険しかったので、それに、影花が何かずるそうに笑ったので。パットはすぐに不安になってしまった。気を付けていたつもりなのに、上手く騙されてしまったのかしら。手の中の鏡が急に重くずっしりと感じられて、地面に沈みこんでしまいそうな気分。
「大丈夫。僕が途中まで一緒に行こう」
「あんた……」
「客に渡すのは小さいパットがしなくては。でも、絶対何かされたりしないように、僕が近くで見張っていよう。大きいパットも、それなら良い?」
パットの肩に手を置いて、頼もしいことを言ってくれたのは月牙だった。おばあ様も影花も、それぞれ少し驚いて、少し嫌そうな顔をして。それでも、ふたりとも頷いた。
「……お客様に失礼はしないどくれよ」
「本当に、パトリシアをちゃんと見て守ってくれるなら」
「もちろん、そうしよう」
月牙はふたりの女の人に対してしっかりと笑顔で請け合って。
「じゃあ、お嬢ちゃん。落としたりしないように――頼んだよ?」
そして、パットは影花からずっしりした鍵と四角い平たい木の箱を預かった。