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影花のお店の中に入ると、そこは外にもましてまばゆい光が踊っていた。中の壁にも鏡が張り巡らされていて、向かい合った鏡と鏡が終わることなく光と影を反射し続けていたから。
少しでも身動きをするたびに、たくさんのパット、たくさんの月牙、たくさんのおばあ様がついてくる。ずっと向こうでは顔も分からないくらいに小さくなって。――今、何か違う姿も通った気もするけれど。鏡の中の妖精? それとも悪魔? 夜の市場にならそんなのがいてもおかしくはない。
店の中は、影花の着ている服と同じで月牙のお店とよく似た空気が流れていた。見たことのない意匠の椅子やテーブル、施された彫刻は何の動物か分からないし、椅子のクッションを飾る刺繍も、パットには見慣れない色使い。たくさんの鏡に見つめられているからというだけではなくて、全然違う遠い国にお邪魔しているみたい。それは、少しどきどきするけれど、でも、同時に何だかわくわくする気持ち。艶々した木でできたテーブルを前に、刺繍の布張りの椅子に通されたけれど、パットは立ち上がってあちこち見て回りたい気持ちで落ち着かなかった。
「とりあえずお茶でも飲んでておくれ。口に合うと良いのだけど」
影花の言葉と同時に、取っ手のないカップがふわりと飛んできた――ように見えたのは、パットよりももっと小さな女の子がお盆を捧げてどこからか出てきたからだった。
「どうぞ、ごゆっくり」
月牙や影花と似た感じの服を着て、髪をふたつのお団子に結っている女の子は、にこりと笑うとお茶をおいて、またどこかへ消えていった。出てきたのも帰ったのも、小さい割りにしっかりとした言葉遣いだったのも。普通の子供ではないようで少し不思議だったけれど。でも、可愛い女の子だったし、出されたお茶も美味しかったから、パットは気にしないことにした。夜の市場には色々な人がいて、中には怖いこともあるそうだけど、月牙が連れてきてくれたところならきっと心配いらないと思う。
「素敵……」
女の子が出してくれたお茶は、眺めるだけでも綺麗だった。カップの白い内側に映える赤は、パットがいつもいただくお茶より鮮やかで。しかも中には花びらが揺れていて、花を丸ごといただいているような華やかな香りも楽しかった。
「化粧なんてまだだろうからそんなに大きな鏡はいらないよねえ。持ち歩いてちょっと髪を直したりするくらいの、小さなのが良いだろうねえ」
月牙とおばあ様の間に座って、カップの模様を比べ合っては笑ったりして。そうしているうちに、影花は次々とテーブルの上に小さな鏡を並べている。外の鏡と同じように、丸いのや四角いの。まだ鏡の面は見えない代わり、外側の装飾がどれも綺麗で見移りしてしまう。いぶしたような金や銀でシックな彫刻を描いたもの。ぴかぴかするエナメルで鳥や花を描いた色鮮やかなの。少し厚みがあるものは、白粉なんかを入れることができるのかもしれない。
「気に入ったら開いてごらん。映るのものも気に入ったら買ってけば良い」
中は鏡ではないのかしら……?
不思議に思いながら、パットはじっくりと並べられた鏡を見比べた。あれもこれもと試すのは、何だかお行儀が悪い気がして。おばあ様だけでなくて、月牙も見ている前なのだし。
「これ……良いかしら?」
ずいぶん長いこと迷って考えて、パットはやっとひとつの丸い鏡を手に取った。黒い地に、真珠みたいな光沢の白い欠片をちりばめて、モザイク模様になっている意匠。黒を夜空に見立てているのだろう、真珠の欠片が月や星を描いていて、夜の市場にぴったりだと思ったから。
「螺鈿細工というのよ。素敵だと思うわ」
「君のものだから君が選べばよい。さあ、パット――」
おばあ様と月牙の声に後押しされて。それでも初めて手に取る高価な壊れ物にどこか気おくれして。すう、と深呼吸してから、パットはその鏡をそっと開いた。
「わ……!」
吸い込んだ息はすぐに歓声として吐き出すことになった。影花が言っていたことも、やっと分かった。夜の市場の売り物なら、ただの鏡でなんかあるはずがなかったもの。
小さな鏡の中に映ったパットは、いつも普通の鏡に映る女の子ではなかった。頬も目元もすっきりとして、子供っぽいところはなくなって。お化粧なんてしていないはずなのに、唇も薔薇のように色づいて。それこそ花が咲いたみたいに――鏡の中のパットは、年頃の綺麗なレディになっていた。