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パットとおばあ様に焦点を戻した新エピソードです。
パットはおばあ様のお屋敷に遊びに行くのが大好きだ。
銀色の髪をきっちりと結って背筋をしゃんと伸ばしたおばあ様は、厳しいようにも見えるけど本当はとても優しい人。何をするにもゆっくりと丁寧な振る舞いで、貴婦人のマナーを教えてくれる。
薔薇の咲く庭園も、ぱりっと白いエプロンの料理人が作ってくれる色々なお菓子やお料理も。黒いお仕着せが素敵なメイドたちも、入れてくれるお茶の香りやカップの繊細な模様も。みんなみんな、違う世界に迷い込んでみたいで好き。
でも、お屋敷が楽しみなのはそれだけじゃない。おばあ様は素敵な鍵を持っている。夜の闇の中で光る綺麗な鍵。本当に違う世界への扉を開く鍵。どの世界、いつの時代でも、月の魔法で繋いでくれる不思議な鍵。
夜の扉の向こうの世界には、不思議な市場が広がっている。空にはいくつもの月が輝いて、いつも星が流れていて。遠い時代の人たちや、違う世界の――小人やドラゴンや妖精にだって会える世界。もちろん、売り物もパットの知らないものばかりで。
そんな世界に連れていってくれるから、パットはおばあ様のところへ遊びに行く日をいつも指折り数えて待っている。
「やあ、小さいパット、また来てくれて嬉しいよ」
「私も。ずっと楽しみだったの!」
扉が開いた瞬間に、パットは月牙に飛びついていた。月牙――おばあ様の古いお友達。月の世界にぴったりの、鋭く尖った三日月の名前を持っているとても綺麗な男の人。パットのお母様も知ってるらしいのに、夜みたいな黒い髪はつやつやだし月みたいな頬は滑らかだし、やっぱり普通の人ではないみたい。でも、とても綺麗で優しいから、パットは月牙も大好きだった。
「今日はどこへ行こうかしら」
「この前は形に残らないものばかりだったね。今度は何かお土産を持たせてあげたいな」
若々しい月牙とおばあ様が楽しそうに話しているのは、とても不思議な感じがした。見た目の年齢だけでなくて、何もかも違うふたりなのに。落ち着いた臙脂色のドレスのおばあ様に対して、月牙は細かな刺繍が華やかな長い裾の服を着ている。南の国の鳥みたいに華やかで、造りも見たことがない服を。
話す言葉も、パットやおばあ様と月牙とでは実は違う。パットたちの言葉は、ひとつひとつの文字に意味を持たせたりはしない。月牙と話ができるのも、月の魔法が全てを照らす世界だから。
そう思うと、本当に不思議。月牙は、本当はいつの時代のどの国の人なのかしら。おばあ様とは、いつどうやって知り合ったのかしら。月牙のお店に並んだ、色んな素材の箱や籠や見たことのない花、見たことのない動物の剥製。それらを眺めながら、パットは不思議に思う。異国の香りがするこの店で、おばあ様は月牙と何を話してきたのだろう? お母様も月牙に会ったことがあるみたいだけど、やっぱりパットみたいに連れてきてもらったのかしら。お父様が何も知らないようなのはどうしてかしら。それに――
「パットは女の子だから。可愛い手鏡なんてどうだろう?」
「え?」
あまりにも沢山の知りたいことが頭の中に渦巻いて、夢中になってしまっていたから、不意に聞かれてパットはぽかんと月牙を見上げてしまった。月牙はにっこりと笑いかけてくれていたけれど、上手く返事をすることができなくて、バカみたいに口をぱくぱくさせているのが恥ずかしい。代わりに答えたのは、おばあ様だった。
「あのお店? あの、不思議な鏡の――」
「そう。面白いんじゃないかと思って」
「……パトリシアにはまだ早いのではないかしら」
「そうかな」
少し眉を寄せたおばあ様と、なだめるように困ったように笑う月牙。おばあ様がどうして反対しているのかは分からないけれど、どうもパットを子供扱いしているみたい、ということは分かった。月牙が、せっかく考えてくれたのに。
「私、そこのお店に行きたい」
だから、よく考える前にパットはそう言っていた。パットだってもう十歳になったんだから。お洒落だってしてみたいし、可愛いものなら大好きだ。早すぎることなんて絶対ないはず。……それに、月牙には綺麗な晴れやかな笑顔でいてほしい。
「おばあ様、だめなの?」
怖がっていた最初の時と違って、おばあ様におねだりだってできるようになった。怖いどころか、きちんとパットのお話を聞いてくれる人だってことも分かってる。いつもなら、子供だからってだめだって言ったりはしない人なのに。
「……そうね。あなたが行きたいならそうしましょうか」
困ったように笑ったのは、今度はおばあ様だった。反対に、月牙はうっとりするほどにこやかに、嬉しそうに笑ってくれる。
「では、決まりだね」
その笑顔に、パットの心も一層浮き立つ。夜の市場に来られただけでも素敵なことなのに、今夜は月牙がパットのために考えてくれたところに行けるのだから。