表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜の扉を開く鍵  作者: 悠井すみれ
鳥籠の鍵
11/44

 彼は母の生きている間も死んだ後も、離宮に入ったことはない。母は父だけのものであって、息子にさえも愛も時間も分けてもらえることはなかったのだ。

 だから、光る鍵に導かれて初めて、彼は母の住処に足を踏み入れることになった。しかし、室内の暗闇に目が慣れてそこに広がる光景を認めた瞬間、彼は呆然としてつぶやいていた。


「ここは……どこだ?」


 初めての場所ではあっても、確かに離宮の扉を潜った以上はまことに愚かな問いではあった。それでもそう口に出さずにはいられなかった。


 それほどに、その場所は不思議に満ちていた。


 まず、離宮の外から見た限りではこのように広い空間が広がっているとは思えなかった。鍵が放つほのかな光では照らしきれないほどの、広い部屋。灯りが届かない隅の方では暗闇が深く濃く澱んでいる。

 恐る恐る一歩を踏み出すと、光も彼と共に移動する。そして闇の中から現れたのは――無数の鳥籠だった。


 形も素材も大小も様々な籠。四角いもの、筒状のもの。金属でできた檻に近いものもあれば、蔓を編んだだけのような簡素なものもあった。天井から鎖で下げられているもの、壁に据え付けられたもの、床に無造作に置かれたもの――それらをまとめて鳥籠と判じたのは、全て中に鳥を収めていたからだ。


「造り物……剥製か……?」


 鍵をかざすようにしてひとつひとつの鳥籠の主を改めると、どれも彼が見たこともない種類の鳥ばかりだった。宝石のように色鮮やかな飾り羽根を纏ったものや、刃のように鋭すぎる嘴や爪を備えたもの。当たり前の鴉や鷹に見えるものさえ、額に三つ目の目があったり、通常はないはずの長い尾羽を持っていたりした。ひと際大きな檻に入れられていたのは、蛇の尾を持つ巨大な雄鶏だった。


 よくできた紛い物でなければありえないとしか思えない、異形の鳥たち――しかし、それらは鍵の光に驚いたのかあるいは鳴き、あるいは羽ばたき、確かに生きていると彼に教える。


 ここは一体どこなのか。この鳥たちは一体何なのか。


 この世のものならぬ鳥たちは恐ろしくもあり、同時に不思議な魅力もあって彼を惹きつけた。他にどのようなものがいるのか、全てこの目に収めてみたい。好奇心に駆られて、鳥たちの視線を感じながら足を進めると――これほどの奥行があるのも、離宮の外からは想像できないことだったが――、鳥籠は次第に華奢で美しい造りのものが多くなっていくようだった。そして中の鳥たちも、籠に相応しくほっそりとした体つきや王冠のような飾り羽、虹のように眩い色彩を持つものが多くなっていった。


「店、なのか」


 奥に行くほど高価な品を置く――その造りは、彼に何かの店を思わせた。この世のものならぬ鳥たちを贖うにはどのようにして代価を払えば良いのか、彼には想像もつかなかったが。そして店ならば当然いるはずの売り子の姿も見えない。まるで密かに忍び込んだ盗人のような気分だった。一抹の後ろめたさを感じながら、彼はついにその空間の最奥へとたどり着いた。


 鍵の発する光はついに壁を照らしている。その前には薄い紗が垂らされて、奥の鳥籠の影を浮かび上がらせる。この不可思議な空間、美しくも不気味な異形を並べた店の、最上の品がここにあるはずだ。


 この中には、どのような鳥がいるのだろう。どれほどに美しく妖しいものが……?


 あり得ない場所にいるという恐れと不安を、期待と好奇心が上回っていた。相変わらず鍵の光だけを頼りに、彼は鳥籠を隠す紗幕を払い除けた。


 すると、果たして現れたのは見事な(つがい)の鳥だった。


 雄の方は猛禽の姿で、しかし羽毛の色は全身燻したような金色だった。嘴や爪は刃を思わせる鋼の色、頭と尾には華やかな飾り羽が生えて、剣と王冠で正装した王者のような風格を備えている。

 雌の方は嘴も爪もやや短く丸く、貴婦人さながらの優美な佇まいをしていた。金の羽毛も柔らかな色彩で、飾り羽も職人が丹精込めて織り上げたレースのように一枚一枚が光を透かして美しい。更には、鳥にしては珍しく、つぶらな瞳は青空の色だった。


 雌の色彩――陽光のような金と、空の青に、彼は思わず鳥籠に駆け寄った。すると雄の方が翼を大きく広げ、威嚇するかのように高く鳴く。番を奪う者は許さないとでも言いたげに。手を伸ばそうとすれば、引き裂いてやる。赤い舌を覗かせて大きく開いた嘴も、見せつけるように籠の隙間から突き出された鋭い爪も、彼がそれ以上近づくのを拒んでいた。


 雄の剣幕に足を止めた時。彼の背後から(しわが)れた声が掛けられた。


「お目が高いねえ。うちで一番の品ですよ」


 冷水でも浴びせられたかのように、びくりとして振り返れば、そこに佇むのは小柄な人の姿だった。フードを深く被って顔は見えず、声からも性別は判じ難い。怪しげな風体は父を取り巻いていたという呪い師どもを思わせて、彼の顔を顰めさせた。


「品だと。この鳥は何だ。どこで捕まえた」

「いつかの時代のどこかの国、月の魔法がつなぐ夜の闇のどこかで」

「訳の分からぬことを……!」


 その者の謎掛けのような言い方も、彼を苛立たせるばかりだった。先ほどまで、彼は不思議な夢を見ているような心地だった。合うはずのない鍵が開いた扉の先に、見たこともない異形の鳥たちが並べられていた。鳥籠のひとつひとつを覗いて回るのは、心躍ることでさえあったのだ。


 だが、最奥の番を見た後では高揚も醒め、言葉にならない不快さと、不穏な――焦りにも似た感覚が、彼の心臓を掴んでいる。夢というならこれは悪夢にほかならない。


 彼の脳裏に、父が生き写しだと称えたという母の肖像が浮かんでいた。どこか遠くを見る目つきで微笑むその人は確かに美しく――陽光のような金の髪と、晴れた日の空の色の青い目をしていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ