第6話 試合膠着
追加点を狙う南長州大学の4回の表の攻撃は、先制点のきっかけを作った3番の政から。速い球に対応するために左打席のキャッチャー寄りいっぱいに立ち、いつも通りのオープンスタンスで構える。
マウンド上の高橋は初回こそ不安定性を欠いたものの、ここまでのアウト9個中6個が三振と言う驚異の勢いで押し切りにかかる。
「ストライーク」
アウトコース低めいっぱいのストレート。気迫のこもった投球に政がバックスクリーンを見てみると、
『157㎞/h』
高橋の現役時代最高球速タイ記録を計測。
「あらら。政の初回の説教でプッツリきちゃったかな? 大学野球の最速タイ記録じゃん」
まるで他人事のようにつぶやく慶は、どことなく呆れている様子も醸し出す。
「ボール」
続く156キロストレートを空振りして追い込まれた政だが、相変わらずボール2つほど外れたチェンジアップを見切ってワンボール。
『(チッ。こいつ、なんつう選球眼してんだよ。さっきからボール球、ぜんぜん振らねぇし)』
第1打席のハーフスイングしかり、今打席の2球目空振りしかり、スイングに出ている以上は全球見逃しと決め込んでいるわけではない。だが、ボール球はことごとく見逃しているのだ。
『(だが、こいつで、終わりだっ)』
高橋の第4投。真ん中へのハーフスピード。絶好球とばかりに振りにでるが、
「ストライクバッターアウト」
低めに落とされバットは空を切る。期待のトップバッター政も空振りの三振。ところが高橋は浮かない顔。
『(今のも見逃せばストライク。やっぱり見切られてるな。打てる打てないは抜きにして。面倒くせぇな。こいつ)』
さらに厄介な事に政に続くのは、高橋のストレートを唯一まともに捉えている4番の十河。
「十河。あいつの変化球、初回以上にキレるぞ」
「俺、変化球、超絶苦手なんだけど」
政のアドバイスに、まるで打てなかった時の予防線を張るがごとく漏らす十河。
『(たしかこの前のゲームだと、高橋の持ち球はカーブとフォーク、スライダーの3種類だったよな)』
思い出しながら打席に入るが、意外と厄介なチェンジアップがデータにない当たりがゲームの限界である。
バッターボックスに入った十河。マウンド上の高橋は平素を装うが、当然気にならないわけがない。なにせ、アマチュアのくせして元プロからまともにヒットを放ち、打点を挙げたバッターである。
元プロのプライドとして負けたままにしてはおけない。歯を食いしばり、つり目をさらに吊り上げて睨みつける。威圧よりも恐怖を感じる目ではあるが、鈍感な十河はそのようなことは特に気にせず、こちらは装っているわけではなく、根っから普段通り。
そんな十河から目を離さず、大きくワインドアップモーション。
高橋の右腕から放たれた全力ストレートはインコース高め。ストライクゾーンに入っている投球にスイングしにいくが、間に合わない。辛うじてキャッチャー寄りのポイントで詰まり気味に捉え、1塁側フェンスへとぶつけるファールボール。
『155㎞/h』
「うわぁ。1年生2人を目の仇にしちゃってるねぇ。あれ」
表示される球速に驚きと呆れの混じった声を漏らす慶。その横で原因の一端となった政は、何も知りませんとばかりにライトの方を向いている。
続く2球目のアウトコース低めストレートにも振り遅れ、またも辛うじて1塁側へのファールとする十河。ファールとは言え対応できている点は評価すべきであろうが、既にカウントが2ストライクである点。そして未だに変化球を見せていない点は、間違いなく高橋のアドバンテージだ。
『(カーブ、フォーク、スライダー。いずれも三振を取れるレベルの一級品。どれで来る?)』
三振狙いの変化球。ストレートで押し切る。高めつり球。
あらゆる可能性を考え、そのすべてに対応する必要がある。だが、全てを待ってすべてに対応できるほどの力量は十河にない。ここは1つに絞る。それ以外なら潔く諦めるか、その時に無理やり対応する。
『(狙うは……ストレートっ)』
3球連続のストレートに張る。果たして高橋の選んだ球種は?
勝負の3球目。
『(高橋に遊び球はない。ストライクにせよ、ボール球にせよ、勝負球だ。打てよ、十河)』
『(お願い。十河ちゃん)』
期待の視線を向ける政に、その横では祈るような思いの慶。
その1球が今、放たれた。
『(ストライク。入ってる――っつ)』
遅い。ストレートとは違う。
『(チェンジアップかっ)』
完全にタイミングをずらされた投球だが、見送ることはできない。
そこで、スラッガータイプの十河に似合わない柔軟なバッティング。ミートポイントはピッチャー寄り。せめてファールにしようと、泳ぎながらバットの先に当てる。
「しまったっ」
打球はフェアグラウンド。完全に勢いの死んだ打球は、ショート真正面へと転々。むしろ勢いがない分、内野安打になる可能性もある。諦めず全力疾走の十河。一方でマウンド上の高橋も、投球後の不安定な体勢を立て直し打球へ猛ダッシュ。
「くそっ」
届かない。高橋の守備範囲外であったが、そこは十分にショートの守備範囲内。鈍足の高橋なら十分に刺せる。
はずだった。
「あっ」
広島工科の工学部2回生ショート・木暮がボールを弾いた。跳ね返った打球は運よく外野へは抜けず、内野を転々。それを拾い上げた高橋はすぐさま1塁へと送球する意思を見せるが、間に合わないと判断して送球を諦める。
『E』
電光掲示板にはエラーを表すEの文字。
「た、高橋、すまん」
「気にすんな」
謝る木暮に対し、普段通りの冷たい声でつぶやきマウンドに戻る。戻るなり、周りに聞こえない程度の距離をとった当たりで舌打ち。
『(くそっ。三振、取れなかったか)』
エラーは気にしない。ランナーを出そうが、次のバッターを抑えれば無失点だ。それよりも三振に取れなかったことに腹が立つ。普通なら打ち取った当たりの時点で投手の勝ちだが、高橋は元プロで、相手はアマ。フェアゾーンに飛ばされた時点で投手の負けだ。
「よぉし、十河が出たぞぉぉぉ。全員、続けぇぇぇぇ」
盛り上がりながら打席へと向かっていく5番の槙島。その態度に眉間にしわを寄せる高橋。
『(調子に乗るなよ。雑魚ども。俺は、お前らみたいに遊びで野球をやっていた連中とは違うんだよっ。そう簡単に打たれてたまるかっ)』
次第にボルテージの上がっていく高橋を前に、5番の槙島、6番の東は2者連続の三球三振に切って取る。4回にして三振は9個目。立ちあがり不調であった高橋だが、さすが元プロを象徴する結果である。
4回の裏は、1アウトから広島工科の2番・島崎がチーム初ヒットで出塁するも、続く3番・細野がショートへの併殺打に打ち取られ無得点。下位から始まる5回の表・南長州大学の攻撃は凄まじく、7・8・9と三者連続三振に打ち取られる。
そうして試合はほぼ中ごろの5回の裏。広島工科先発の高橋は5回1失点で、被安打1、12奪三振の好投。一方の南長州大学の先発・福野も4回無失点で被安打1、奪三振3と好投を続ける。広島工科はエース・高橋の圧倒的な実力で、南長州大学はむしろ相手の貧打でお互いに点の与えない、俗に言う『投手戦』である。
「試合をなんとか動かしたいんだけど」
「難しいだろうねぇ。相手はなにせ高橋だし。もしも、試合が次に動くとすれば……」
守備につく前につぶやいた政に、慶が明確な答えを濁す反応。
その先は少し考えれば分かること。相手が相手なだけに、まず南長州大学サイドの攻撃によって試合が動く可能性は低い。逆説的に言えば、この試合は広島工科大学の攻撃にのみ動くということ。つまり次に試合が動くとすれば、それは南長州大学の実質的な負けを意味するのだ。
よって南長州大学にできるのは1つ。
先行逃げ切りである。
「頑張って守り抜いてね。勝ったら、今日の夕食は好きなもの作ってあげるから。何がいい?」
「すき焼きで」
「OK」
彼女と夕食の約束を交わしてベンチを飛び出す。やはり自分の好物がかかっていると言えば、元気が出るものである。
「先輩、この回もしっかり無失点でいきましょう」
「なんだ三好。いつも以上にうるさいぞ」
「今日はすき焼きです」
「は?」
言いたいことはなんとなく伝わるが、それが本当に伝えたいことなのかどうかは確信が持てないほどの伝言力。結局は先輩の頭に『?マーク』を乱立させるだけさせて去って行った。
『(な、なんなんだあいつ。嵐のように現れて嵐のように去っていきやがった。ゴールデンウィークは1か月前もだぞ)』
マウンドの福野は、某在阪球団において、契約した年のゴールデンウィークに帰国した助っ人外国人を思い出す。もちろんかなり昔の事であり、彼にとっては物心が付いているかいないかと言ったあたり。その当時の事を知っているわけではないのだが、それを知っているのは、やはり某在阪球団のファンにとってはそれだけ伝説的な事象であることの証明である。
『5回の裏、広島工科大学の攻撃は、4番、サード、戸倉』
政がウキウキになったこの回の攻撃は4番から始まる打順。
福野はセットポジション。変に意識したりはしない。今まで通りを心がけてモーション始動。
「ボール」
アウトコースへとボール2つ分ほど外れるボール球。バッターはスイングするそぶりを全く見せず見送った。慎重にボール球から入ったように見えるが、相手に打ち気がなかったことから考えるに、少々慎重すぎたとも言える。
外の球は見せた。今度は逆にインコースへと食い込ませ、内野ゴロを狙う。ストレートの握りであったが、人差し指をわずかにずらす。そしてモーションに入り第2球。
『(インコース、いっぱい)』
絶好球とばかりにスイングに入るバッター・戸倉。しかしその投球は手元で小さくイン側へと食い込むカットボール。わずかに芯を外してしまうも、なんとか力で無理やり振り切った。
「やべっ、サードっ」
球足が速い。抜けるかもと判断しながらも福野は振り返る。
「ちょっ、無理ぃぃぃぃ」
サードの田神は、ボールへと飛びつくも届かず。豪快な前転を見せる。さらにその後ろのショート・政も飛びつくが、そちらは辛うじて届く。が、グローブを弾いてレフト前へとボールは転々。レフト前ヒットでランナー1塁打。
「と~れ~よ~」
「無茶言わんでください」「無茶言うなっ」
先輩にトンデモ発言をされ、猛反論の後輩と同級生。特に政はグローブでバックスクリーンを示し、
『H』
ヒットを意味する赤い字での表示をアピール。
「ヒットって出てるじゃないですか」
「分かった。分かった。ほんの冗談だから」
必死の後輩を適当にあしらう福野。田神を中継して外野から返ってきたボールを受け取り、マウンドの足場を整える。
『5番、ファースト、石川』
ノーアウト1塁で続くバッターは、いかにも「ホームランバッターです」と言わんばかりの巨体を見せて右バッターボックスへ。
『(これは内外野後退守備をっと?)』
3年生が不在のため、代理でキャプテンを務めているキャッチャー、情報工学部2回生・小林。明らかに打ってきそうなその体格に内外野交代のフラッシュサインを出そうとしたが、バッターの動きにその手を止める。
『(バント?)』
その巨体に似合わぬバントの構え。それも2つの足をピッチャーに対し平行に置いており、ここからバットを引いて打つのは至難の業。100%バントを示すスタンスだ。
『(これは九分九厘バント。内野、バントシフトっちゃ。1年も恐れず突っ込んで。ヒッティングに切り替えられても面倒やけぇ、やらせてしまうけぇね)』
ファーストは1塁牽制のためにベースから離れないが、サードはゆっくりと前進。セカンドは1塁、ショートは2塁に近づいたシフト。
セットポジションから1塁への牽制を1球挟んだ福野。ファーストからの返球を受け取って5秒後、クイックモーション始動。ランナーはスタートの意思を見せるも、盗塁ではなく第2リードを広げる程度にとどまる。
「ボール」
やや高めに浮いたストレートにバットを引いたバッター。ボールを受けた小林は、すぐさま1塁へと牽制球を放った。バントシフトで前進したファーストの代わりに1塁へと入ったセカンドが、ボールを受けて帰塁してきたランナーへとタッチ。
「セーフ」
割と余裕の帰塁。やはり盗塁を仕掛けようといったことはなく、またバッターのバットの引き方からしてバスターはない。
『(結果的に外れてしまったけど、いいデータが集まったっちゃ。次、やらすっちゃーね)』
引き続くバントの構えに、ど真ん中から少し外す程度のストレートのサイン。
先ほどもやらせるつもりだったが、今度は確実にやらせてしまう。
第2球。サインよりやや高めに浮いたコースを、確実にバントし転がす。ボールはサード真正面へと転がっていく。
「サード、ボール1つ」
1塁ランナーのスタートが良く間に合わない。そう判断した小林は、田神に対し1塁送球の指示。田神は素手でボールを拾い、指示通りに1塁へと送球。なんの問題もなくアウトで、1アウト2塁。スコアリングポジションにランナーを置くことになる。
『(ウチの外野は存外肩いいし、下位打線なら前進守備を敷ける。ワンヒットで同点ってことはあまりないとは思うけど)』
逃げ切れば南長州大学の勝ち。追いつけば広島工科の勝ち。
それを分けるのはわずか『1点』のため、なんとなく心配ではある政。例えば2塁ランナーが突入できないあたりでも、外野がボールを弾いてしまえば分からないし、前進守備の間を抜かれれば一巻の終わりだ。南長州大学が高橋から1点を奪ったように、『絶対』があり得ないのが野球だ。安心・油断はできない。
チャンスで打順が回ってきた6番、舞浜は左バッターボックスへ。
『(ここは左対左じゃけぇ、外へ逃げる球を多用して抑え込むっちゃーよ。OK?)』
アウトコースへのカーブを指示する小林に福野は頷く。そのサイン通り、初球はアウトコースへのカーブでワンストライク。さらに2球目もアウトコースへカーブを放るが、こちらは外れてワンボール。徹底したアウトコース攻めに気付いたようで、バッターはアウトコースを意識してホームベース寄りに立ち位置を変える。
『(ここまで明らかに外に張られているとなると厳しいっちゃーね……インハイ、ストレート)』
『(ブラッシング……)』
珍しく穏健な小林から攻撃的なサイン。ややその攻撃的な小林に恐怖心を感じながらも、そのサイン通りを意識する福野。
セットポジションから第3球。福野の放ったストレートはインコース高め。そこから大きく外れ――
『(あっ)』
『(福野っ)』
小林も大きく逸れたボールに思いっきりミットを伸ばすが、ボールはバックネット前へと転がっていく。そのワンプレーに球場全体が凍てついた。
「デ、デッドボール」
すぐさま主審がプレーを止め、広島工科のベンチからは監督や、救急キットを持ったマネージャーも飛び出してくる。ブラッシングのつもりが、大きく狙いを外した結果の頭部デッドボール。バッターは頭を押さえてうずくまっている。が、監督が近くまで来たところで、痛みも引いたのか立ち上がる。
「だ、大丈夫なのか、舞浜。無理するな」
「大丈夫。いけます」
問題ない旨を伝えるバッター・舞浜に、監督はそれならばとマネージャーと共にベンチに下がる。その後でキャッチャー・小林は彼に駆け寄り、
「すまん。本当に大丈夫っちゃ?」
「ええよ。これも野球じゃけぇ。そういや、本当に山口って『ちゃ』を付けるんじゃなぁ。アニメみたい」
「山口は『だ』を付けんけぇ、そこは差っちゃね」
山口弁と広島弁。夢の競演。もっとも地理的に近いが故か、お互いに似たような方言ではあるわけだが。
「ほら、大丈夫なら1塁へ」
「「は~い」」
方言ネタで盛り上がりつつあった2人は強制的に審判に解散させられる。しかしこれは非常に大きな盛り上がりとなった。頭部デッドボールなんて危険な球を放った後だと、バッターへの心配があったり、次は当てないようにしたりと、ピッチャーは力を御してしまう事がある。だが少なくとも、方言ネタに盛り上がることができる程度には大丈夫である、と言う事がはっきりした。
『(見た感じ大丈夫みたいじゃけぇ、気にすることはないみたいっちゃね。気にせんと、しっかり腕を振らないけんよ?)』
考えようでは1アウト1・2塁。1塁を埋めた事でゲッツーが取りやすくなったとも考えられ、次のバッターは7番。当てたバッターには悪いが、南長州大学にとっては怪我の功名である。
7番の市川が右バッターボックスへ。監督からのサインを受け取った市川は、早くもバントの構え。案の定、足の置き方はピッチャーに対し平行。バスターの可能性が早々と消滅する。
『(ツーアウト2・3塁にするつもりなんかな? スモールベースボールのつもりなんかと思うけど、ツーアウトで9番に回すとか、わやじゃのぉ?)』
既に小林の頭の中にこの状況を抑え込むための算段は立っていた。
「ファーストっ。ボール1つ」
初球は様子見でアウトコースに外し、カウント1―0からの2球目。アウトコース高めへのストレートでバントさせる。ファースト真正面の打球に、一瞬はサードでランナーを殺せるかと迷ったが、小林は無理せず1塁へ送球指示。これで2アウトながらランナー2・3塁。
「タイム」
タイムを掛けてマウンドへと駆け寄る小林。政はマウンドを指さし、「内野手、集まる?」と目で問いかけるが、「来なくていい」とミットで合図され待ちぼうけ。
「福野」
「コバ、なんだ?」
「歩かせん?」
「9番勝負ついでの満塁策、ってこと?」
頷く小林は、3塁側ファールグラウンドへと目をやる。そこでは6回の表に備えてキャッチボールをする高橋。疲れている様子も見せず、むしろ肩が温まってきたような雰囲気。出来上がりは上々とでも言いたそうだ。
「川嶋先輩は?」
「キャッチャーに任せる、って試合前に。1点取られたらもうリードできんけぇ、敬遠するっちゃ」
「相手が相手だし……分かった」
あまり敬遠は心地いものではないが、勝つためには仕方がない。しぶしぶ了解を示した福野に、小林は胸のあたりをミットでタッチして喝を入れ、元の場所へと戻る。
「いいですよ」
「プレイ」
主審のプレイ再開宣告と同時にアウトコースへと寄る。キャッチャーを立たせての敬遠は意外に難しいため、ここは座らせたままでの敬遠である。
「ボール」
はっきりと外すボール球に、内外野、ベンチ、スタンドにも作戦が伝わる。
「ボール、ツー」
ボールカウントが重なるに連れ、スタンドからは騒がしい声が上がる。なにせ初回にした高橋による大胆な敬遠拒否に対し、こちらは容赦のない敬遠策。「敬遠」は「逃げる」選択であるという事に対して嫌悪感が残るのは、もはや仕方のない事であろう。
「ボールフォア」
その喧騒の中、4球を投げ終えフォアボール。
1点勝負は相手方も分かっている事。千載一遇の大チャンスに、ネクストの9番に代打が送られる可能性も考えられたが、まだイニングも浅くないにせよ深くないため送られず。そのまま9番がバッターボックスへ。
『(たしか、1打席目はストレートに振り遅れての空振り三振。じゃけぇ、ここもストレート攻めでええと思うけど……)』
相手はストレートにタイミングが合っていないのだから、わざわざ変化球で攻める必要性などない。使うとすれば、ストレート一本に絞られた時に裏をかくくらいだ。
「ストライーク」
インハイストレートに振り遅れ。ここもタイミングが合わず。しかし、前の打席よりはタイミングが合ってきているような感じはするスイングだ。
『(これはさすがに変化球でタイミング外した方がええっちゃね)』
サインは外からストライクゾーンに入る変化球。できればインに食い込むボールをつかいたいところであるが、押し出しデッドボールを考えると強気には攻めきれないのが厳しいところ。先ほどのインハイも危ないところだったのだが、あれはアウトコースを攻めようとした結果の、コントロールミスによる逆球だ。
福野は、さすがに盗塁はないと思いながらも、1塁ランナーと2塁ランナーを一瞥。ランナーへの意識はそれだけで投球モーションへと入った。投球は外寄りの緩い球。はっきり外れる球にバッターは見逃そうとするが、曲がって入ってくるボールにあわててスイング。
「ボ、ボール」
際どいコースにハーフスイングで止める。主審は回っていないと判定するが、小林は諦めずに1塁審判を指さす。
「スイング」
すると1塁審判は握り拳を上げてスイング判定。主審のボール判定が覆り、2ストライクと圧倒的なピッチャー有利カウント。これでゾーンを広く使えるわけだが、思いのほか広くならないのが厳しい所。満塁であることを考えると、暴投・後逸の可能性があるところには投げられず、デッドボールの危険がある場所も使いづらい。
『(ここはそうっちゃねぇ)』
福野の主な変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップ。カーブはそこそこ曲がるが、他は一応変化球という程度。福野が左でバッターが右であれば、使い勝手の良い外に逃げる球が無いことになる。
『(アウトロー。ストレート)』
ここは徹底したアウトコース攻め。できればまだ変化球を使いたいところであるが、無理に投球を組み立てて先を読まれるより、読まれる前に仕留めるべし。このピンチを切り抜けるべく、勝負に出る。
ここで福野はタイミングを外そうと、セットポジションをやめてワインドアップに切り替える。本来ランナーとしては盗塁のチャンスだが、ここでの盗塁はホームスチールになりあまりに無謀。スタートできない。
そのワインドアップで勝負球である事が伝わり、球場全体の集中力が増す中、福野のリリースしたボールはアウトコース低めへ。打たなければと焦るバッターはスイング。だが、
『(あっ、ひ、低いっ)』
バットが届かない。バットは空を切る。
「くそっ」
チャンスで凡退してしまった腹立たしさに歯を食いしばるが、ふと後ろを振り返ってチャンスはまだ潰れていないと気が付き、バットを放り捨てて1塁へと走り出した。
「「「ふり逃げだぁぁぁぁ」」」
沸き立つ広島工科サイド。低めにワンバウンドするストレートにバッターは空振りしてしまったわけだが、それを小林が後逸。1塁にランナーはいるがツーアウトのため、振り逃げの条件は満たしている。
もっとも、後逸の仕方としては南長州大学にとって有利。たしかに後ろにこそ逸らしてしまったが、上手く弾いたおかげで遠くへはいっていない。これなら十分に1塁でバッターを刺せる程度だ。
「間に合うっちゃ」
バックネット前に落ちているボールを拾い上げて1塁送球をしようとしたが、
『(こ、これは、マズイっちゃ)』
目の前にあったのはある種の賭け。タイミングとしては十分に間に合うのだが、位置関係が問題であった。1塁と小林を結んだ間にいるのは1塁へと駆けるバッター。ファーストが横に逸れて送球を待ってくれているが、コントロールミスでバッターの背中に当ててしまえば同点は回避できない。それどころか2アウト満塁で1番に回る。
無失点に賭けて放るか。それとも放らないか。
その二者択一の途中でもう1つの選択肢を導き出した。
「福野っ」
ホームベースカバーへと向かうピッチャーの福野へと送球。
第3の選択肢。それは、バッターを殺せないなら3塁ランナーを殺す。
ホーム突入を狙う3塁ランナーと、ホームへ急ぐ福野。どちらが早いか競争だ。
小林から送球を受けた福野はホームへスライディング。そして3塁ランナーも同点のホームへと滑り込む。2人が共々スライディングでホームへと到達。
ランナーがホームを踏むのが早かったか、それとも福野がホームを踏むのが早かったか。
主審の判定は、
「アウト、チェンジ」
ホームフォースアウト。タッチプレーならセーフであっただろうが、満塁でフォースプレーとなったのが功を奏した。
「よし」
「ナイピッチ」
ガッツポーズの福野に、好判断の小林がハイタッチ。1回生コンビの取った1点を、2回生コンビが守りきる。1回生ばかりに頼っていられないと、先輩の意地を見せる。その2人はベンチに戻るなり、他の選手から手荒い祝福。
「いいぞ小林」
「いたっ」
「ナイス福野」
「ふげっ」
捕手用ヘルメットを被っている小林はいいが、福野にとってはもはや暴力である。
「ナイピッチ先輩」
「いたっ。誰だ、今ガチで殴ったやつ」
割と本気で殴られた福野は後ろを振り返ると、そこでは3人の1回生が同時に手を挙げる。
「「「さぁ、犯人は誰だ?」」」
「甘いな。そんなもの、全員殴り飛ばせばいい話だっ」
福野先輩に殴られる後輩たち。そんな光景をよそに、政と十河は汗を拭きにベンチの日陰へと入る。そこで待ち受けていた慶は、笑顔で彼らにコップにスポーツドリンクを注いで手渡す。
「はい、十河ちゃん。どうぞ」
「あ、ありがとう。まさか慶、俺の事……」
「そう思ってくれてもいいよ。夢を見るのは自由だからね」
「ですよね~」
前半部分の希望を、直後の後半部分で打ち砕く慶。1秒すら希望を持たせてくれない恐怖の女である。
和気藹々とする南長州大学のベンチ。一方、コンマ数秒の差でチャンスを潰した広島工科大学の士気は、1人を除いて大きく落ち込む。
「す、すまん。援護してやれなかった」
「べつに、気にしてない」
謝るチームメイトにも軽く返しただけで、それ以上の返答もせずにマウンドへ。
その様子はさながら予知能力者。落ち込んでいる様子を隠そうとしているわけでも、点を取れなかった打撃陣を擁護するわけでもない。チャンスになっても喜ばず、チャンスを潰しても落ち込まず。まるでこの回が無得点であることを、イニング始めからあらかじめ分かっていたかのような態度。
追撃ムードを抑え込まれた広島工科大学の守備。逆に言えば追撃ムードを抑え込んだ南長州大学の攻撃だが、ムードや流れで打てるほど、高橋は甘くなかった。
1番の金井はただ倒れる真似はしまいと、初球からセーフティバントを試みる。しかし1球目は空振り。さらに2球連続で試みたが、こちらはキャッチャーへのファールフライ。なんとか当てる程度にとどまりワンアウト。2番の鈴原は150を超えるストレートで追い込まれ、最後はインハイのボールに手が出ず見逃し三振。
「う~ん、無得点で崩れると思ったけど……全然崩れてないな」
「政。頑張って。今、まともに高橋に対抗できているのは、政と十河ちゃんだけなんだから」
「小林先輩も忘れないであげて」
政が小林を示すと、「フォアボールで出たっちゃ」とアピール。いずれにせよここまでの出塁は、立ち上がり不安定な前半における政、小林のフォアボール。そして十河のセンター前タイムリーと、ショートのエラーの計4回。プロ相手にそれだけできれば上々だが、相手のミス以外では1回しか出塁できていないとも考えられる。
「なんとか捉えてくる」
「ファイトぉぉぉぉ」
ややかっこつけてバッターボックスへ。
『3番、ショート、三好政』
『(来たか。選球眼バカ)』
驚異的な選球眼から『選球眼バカ』の名称を政に付けた高橋は、大きく深呼吸をして気を静める。
『(落ち着け。たしかに選球眼はいいし、俺の球は見切られている。けど、まだまともに捉えられたわけじゃない……)』
そう。たしかにボール・ストライクは見極められてはいる。しかし、まだバットに当てられてはいない。過剰に反応する必要性はないのだ。
「よし」
気を持ちなおして振り返る。既に左バッターボックスには政の姿がある。
高橋がサインを交換してプレートに足をかけると、政はオープンスタンスでバットを立ててスタンバイ。
『(今度も三振を取ってやるからな……)』
高橋はワインドアップモーションへ。振りかぶり、腕を振り下ろしつつ足を高く上げる。その足を地面に降ろすと同時に、政は前足を振り子のように軸足側に振る。足を前に踏み込み、高橋の投球に合わせスイング。
『(っと)』
「ボール」
『(ボール1つか2つ。外に外れたな)』
『(ったく、本当に選球眼お化けだ)』
フォアボールか三振か。おかしな次元での勝負を繰り広げる2人。だが、打てない政にとってフォアボールが精いっぱいであり、元プロの高橋にとっては三振がベスト。こんな地味なんだか華やかなんだかよく分からない勝負になるのは、どうしようもないことである。
「ボール」
初球の外のストレートに続き、2球目の内に入ってくるスライダーも見切って2―0。
『(あいつ、選球眼だけならプロで通用するぞ……選球眼だけな)』
ワインドアップモーションからの3球目。コースはインコースいっぱいのハーフスピード。政は体を開いてインコースを狙ってスイング。ボールが途中で沈み込むが、それにも柔軟に対応してバットの軌道を変える。すると、やや痺れるような感触が手に伝わる。
「ファール、ファール」
『(なっ。あの野郎、インローのフォークを)』
『(あ、当たったっ)』
バックネット直撃のファールボール。普通なら空振りのボールを当てられて、あまり気持ちのいいものではない高橋は、顔を歪めながら主審から新たなボールを受け取る。
『(調子に乗るなよ……俺の武器はこいつじゃない)』
体を大きく見せつけるように振りかぶる。
『(俺の武器は――この、ストレートだっ)』
平均球速147キロなんて甘い球じゃない。プロと違い、コントロール無視でも力でねじ伏せられるアマチュア。そんな世界だからこそ使える平均150キロを上回るストレートが彼の武器。
指で弾いた最高のストレートがキャッチャーのミットへ一直線。
『(見えたっ。アウトコース高めっ)』
「なっ、まさかっ」
アウトコース高めのストレートを政がついに捉えた。打球はショートの頭を越え、左中間へと一直線。あわてて振り返った高橋は諦めの顔。
だが、野球の守備は投手だけではない。
「うらぁぁぁぁ、届けぇぇぇぇ」
レフト・舞浜が必死に左中間へと追いかける。
間に合わない。抜ける。
球際でそう判断した舞浜は、一か八かのジャンプ。
着地し慣性で4、5メートル走ってから、グローブの中身を確認。そこには、
「と、捕ったぁぁぁぁ。捕ってまぁぁす」
舞浜は2塁審判にアピール。即座に2塁審判はアウトコール。
「っし」
このレフトファインプレーに小さくとは言え、高橋は珍しくガッツポーズを見せてマウンドを降りる。ところがやはりそれ以上でもなく、それ以下でもない反応。
『(まさかあんなまともに打たれるとは……記録的に勝って、勝負に負ける。今までとは大違いだ)』
少し振り返ってスクリーンの球速表示を確認。すぐに消えてしまったが、高橋はそれを読み取った。
『(156キロ。それをあんな真芯で捉えられるなんてな。だが、次は三振を取ってやるよ)』
その一方で勝手に十河の次のライバル宣言をされた政は、「惜しかったなぁ」と首をかしげながらベンチへ。ヘルメットを外してベンチに戻ろうとすると、そこに立っていたのはもちろん慶。
「ナイスバッティン。ついに捉えたじゃん」
「そりゃあ3打席目だもん。それもいままで、他の人以上にじっくり見てたし」
彼の選球眼による主産物はフォアボール。副産物は、無駄なボールをじっくり見送ることで、配球や相手の投球術によって差はあるが、球筋・球速に慣れることができるのだ。
「正直、ストレートならもう打てる。フォークは当てられる。それ以外は知らん」
「プロの球を3打席目で打てるって言うんだから、政って化け物だよね。ストライク・ボールに関しては1打席目から見切ってたし。やっぱり対向車のナンバーを読み取れる動体視力はだてじゃないね」
「十河ほどじゃねぇよ。あいつ、初見のストレートを普通に当てたし」
「十河ちゃんは強豪校の出身でしょ? 2軍補欠だけど。政は普通の学校じゃん。どこだっけ?」
「県立岩屋」
偏差値は40そこそこ。野球部は例年、2回戦か3回戦、組み合わせなどの運が良ければ、4回戦まで行ける程度のレベルである。そんなチームで1番・ショートのレギュラーだったのだから、人並み以上には上手いはずである。
「そろそろ行くぞ。あまりゆっくりしてると審判に怒られるし」
「はいはい。行ってらっしゃい」
山口県でもエリアによっては隣県(広島・福岡・島根)の影響を受けます
別に山口に限ったことじゃないですけどね




