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第5話 立ち上がり

 慶に「一緒に組んでウォーミングアップをしよう」と誘った十河が、「奇数になっちゃうからダメ」と断られたウォーミングアップ。その後、しばしの休憩およびグラウンド整備を挟んで試合が始まった。

 既に守備側の広島工科大学守備陣はグラウンドに散っており、外野手は外野3人でキャッチボール。内野はファーストを中心に軽い守備練習。マウンド上、エース番号を背負った高橋は、マウンドの状態を確かめ、足を踏み込む位置に目印代わりに浅い穴を掘る。そこから準備完了の合図をしてから投球練習を始めた。

「あまり速いようには見えないけどなぁ」

「まだマウンド状態を確かめてる感じだね。ギアを上げてくるとするとここからかな?」

 結局はほとんど全力投球せず。バックスクリーンの球速表示を確認しても、その数値は軒並み140前後。

 その状態のままでプレイ開始。先攻の南長州大学。先頭打者、2回生の金井が右バッターボックス。マウンド上の高橋、大きなワインドアップから、やや頭上でグローブを制止させて一息ついてから足を高く上げる。その初球。

「ストライーク」

『155㎞/h』

 甘く入ったど真ん中ストレートだが、あまりの速さに対応できず。ワンストライク。大学野球ではめったに見られない数値が、バックスクリーンに表示される。

「むっ。速い」

「そりゃあ、プロ時代は最速157。平均はコントロール重視で球速を抑えてはいたけど、それでも147って言われてたね。それよりも私としては投球フォームの方が気になったかなぁ」

 彼女は高橋が投球モーションに入ったのを見てから指さす。

「ほら、今のとこ。ほぼ完全に制止してるけど、ボークじゃない?」

「ボークっぽいけど、審判としてはボークを取れないんだろうな」

「なんで?」

「プロの審判がボークを取ってないから」

 高橋はプロ入り後すぐに、春季キャンプでの紅白戦でボークの指摘を受け、投球モーションを今の形に変更している。その結果、オープン戦、公式戦共にボーク数は0。つまり彼の今のモーションは、プロ野球の審判から見てボークではないモーションなのだ。

「ストライクバッターアウト」

 1番、金井が外のボール球ストレートに手を出し空振り三振。いとも簡単にワンアウトを取られる。

『2番、セカンド、鈴原』

 続いて打席に向かう2回生・鈴原。彼に代わって政がネクストバッターサークルへ。さらに4番の十河が打席に入る準備をし始める。

「なぁ、十河。お前、高校時代はあんなピッチャー見た事ある? 強豪校にいたんだろ?」

「あいにく万年2軍補欠。打席は思い出代打の1回だけ。あんな球、打席からどころかベンチからも見たことはない。甲子園はスタンドだったしな。せいぜい見たのはこの前のゲームの時だけ」

「そっか……」

 唯一の希望であった高校野球強豪校出身の十河も打てるかどうか分からない。やはり高校野球の頂点と、強豪校の万年2軍補欠は天と地ほどの差があるのだ。

「ストライクバッターアウト」

「鈴原さんも三振、か」

「政。高橋の攻略方法は考えてるか?」

「攻略法か。ないとは言わない」

『3番、ショート、三好政』

 ツーアウトランナー無し。前の2人が連続三振と考え得る限り最悪の状況で回ってきた最初の打席。左バッターボックスに入ると、オープンスタンスで打撃姿勢を取る。

『(1番の金井さん。2番の鈴原さん。なんとか塁に出ようと言う思いは凄く伝わってきた。けど、ここでの作戦は塁に出ようと強く思う事じゃない)』

 ワインドアップモーションの高橋。オープンスタンスで投球を待つ政へと第1球。彼の指で弾かれたボールは激しい音をさせてキャッチャーのミットへ。政はバットをまったく動かすことなく見送り、目だけでバックスクリーンの球速表示を確認。

『150㎞/h』

『(たしかに速い。速いけど……)』

「ボール」

 審判が低い声でコール。

『(外角にボール2、3個外れたボール球。速いから、打とうと思うとあわてて振っちゃいそうだけど、冷静に見切ってこれに手を出さなきゃ塁には出られる)』

 2者連続三振を取ってはいるが、ベンチから判断できる縦に関してはストライク6球中2球がボール球。ベンチからでは判断できない横に外れたボールも含めればそれ以上の可能性もある。むしろ前2人のスイングを見る限り、1番・金井の初球見逃しストライクを除いた5球、すべてがボール球であった線が濃厚である。

『(高橋はコントロールがいいピッチャー。だけど、針の穴を通せるコントロールなんてない)』

 次の投球こそアウトコース高めにギリギリストライクを取ったものの、3球目、そして4球目はやや高めに外れる。見逃すと決めていなければ、今頃空振りの三振でチェンジであろう。

 3―1となって顔をしかめる高橋。キャッチャーのサインに首を振り、続いて出たサインに頷く。ワインドアップから放られた5球目は、

『(真ん中ややアウトコース寄りのハーフスピード。甘いっ)』

 打ち気の無い政を見てか、明らかに置きにいったボール。絶好球とばかりにスイングを始動する政であった。が、しかし。

『(お、落ちたっ)』

 必死でバットを止めると、ボールは大きく沈んでワンバウンドでキャッチャーのミットへ。

「スイング」

 キャッチャーが素早く3塁審判を指さすと、遅れて主審も指さす。

「ノースイング」

「ボール、フォア」

 3塁審判の両手が横に開いたことで、主審はフォアボール判定をして1塁を指さす。

「よっしゃ。十河、あとは任せた」

「なんつうか、ほんと、まぁ……」

 攻略法がフォアボールと言うのだから、苦笑いをせずにはいられない十河。政の投げ捨てたバットを拾い上げ、次のバッターへと手渡しして打席へ向かう。

『4番、ライト、十河』

 フォアボールの政を1塁において右バッターボックスに十河。並以上に足の速いランナーが1塁にいるだけに、外野の間を抜かれずとも外野手正面から外れた打球なら、たったワンヒットで帰ってこられる可能性もある。

 嫌なランナーを背負った状態で、高橋はこの試合初めてのセットポジション。キャッチャーのサインに頷いた後、1呼吸、2呼吸と置いてから1塁へと牽制。政はギリギリのタイミングで帰塁しセーフ。1塁ベンチおよび3塁ベンチからどよめきが起こる。

 そんな事もどこ吹く風。ファーストが高橋に投げ返し、再びセットポジションに入ったのを確認してから先ほど並みのリードを取る。

『(くそっ。そんなんで挑発しているつもりか? 悪いけど俺は、そこらの大学生よりも足の速いプロ選手を相手にしてたんだ。その程度じゃ――)』

 クイックモーション始動。小さく足を上げて、むしろ足を上げているのを確認することが難しいほどの小さなモーション。

『(俺を動揺させられないぜっ)』

 自信満々に腕を振り下ろそうとする。その時だった。

「「「ランナー走ったぁぁぁぁ」」」

『(なにっ。プロ級のクイック、それと150キロ相手から盗もうなんて身の程知らずすぎる、ぜっ)』

 全力投球はインハイのストレート。十河が大げさな動作で投球を回避。ボールを捕球したキャッチャーはすぐさま2塁送球を試みるが、バッターとの位置が近すぎて上手く足を運ぶことができない。ワンテンポ遅れて2塁へと送球をするも、その送球は政が2塁に滑り込んだ直後にセカンドのグローブに到達。

「セ、セーフ、セーフ」

 驚くようなタイミングの盗塁に、つい力が入って2回のセーフコールを行う2塁審判。

 さらにその審判の力に後押しされて意気上がる南長州大学ではあるが、一方でマウンド上の高橋は、たかだか大学1年生に盗塁を決められた悔しさと、審判の過剰なジェスチャーに頭の中は苛立ちでいっぱいだ。

 フォアボールを許したくらいは調子の問題があるから仕方がない。しかし、空振りを誘ったフォークを見切られてのフォアボールであったこと、モーションを盗まれたかと思うほどの絶妙なスチールであったこと、そしてそれによって自分ほどの投手がピンチを招いたことが黙ってはおけない。

 ツーアウト2塁。ワンヒット先制の状況を作られ、対峙するのはなおも主砲の十河。彼の顔を睨みつけた高橋は、砂埃が舞うほどに力強くマウンドを踏みしめ、怒りに任せた投球モーション。

『(ここまで公式戦無失点の俺が、こんなところで、2部リーグの(こんな)やつらに点を許すわけにはいかないんだっ)』

 力のこもったインローストレート。難しいボールが十河を襲う。

『(速いには速いけど……打てるっ)』

 ゴルフスイング気味に振り抜いたバットにボールが衝突。会心の一打が飛びついたサードの左をライナーで破る。その打球は丁度外野の芝生、レフトラインのやや左側でバウンド。3塁審判の両手が高々と上がる。

「ファール、ファール」

 あわや先制タイムリーの一打は、紙一重でファールボールとなり帳消し。安心するべきところだが、安心はできない高橋。

「そ、そんなバカな。今のボール……」

 バックスクリーンを振り向くと、

『151㎞/h』

 150を超える球速が表示されている。

『(嘘だろ。151のインローをあんなきれいに返せる奴が2部にいるのかよっ)』

 150オーバーの内角低め(コーナー)を突いた球なんて、そう簡単に打てる球じゃない。もしそんな人がいるとすれば、プロスカウトや高校野球監督の見逃し(ぼんミス)か、致命的な何かしらの欠点があるか。だが、いずれにせよまともに打たれた事実に違いはない。

『(負けられねぇ。相手がなんだろうと、アマである限り、元プロが負けるわけにはいかない)』

 先ほどからなんども「負けられない」と心の中で繰り返しているためか、高橋の高ぶった頭の中にあるのは「真っ向勝負」の文字のみ。

『(正直、俺たちの打線じゃ1点勝負になる。高橋、ここは初回だけど歩かせて……)』

 敬遠のサインを送るキャッチャー。ところが高橋は怪訝そうな顔で首を振る。

「勝負だ。逃げるみたいな事、死んでもできるかよっ」

「バカっ」

 大声で怒鳴った後、続くサインも待たずに投球モーションへ。キャッチャーはそれを止めるわけにもいかず、あわてて捕球体勢へ。

『(敬遠。逃げる。元プロ(オレ)アマチュア(こいつら)相手に逃げられるかよっ)』

 高校時代もプロ時代も、未だかつてした事のないほどの全力投球。ところが力を入れすぎて固くなったのか、かえって力のないボール。

『(届くっ)』

 アウトコース低めストレート。ほぼ当てるだけ。そこからは慣性を生かしてバットを振り切る。

 打球は……

「ぬ~~~け~~~たぁぁぁぁ。十河ちゃん、ナイバッチ」

 ベンチで狂喜乱舞の慶。ボールは飛びついたショートのグローブわずか先を、ハーフライナーで抜けるセンター前ヒット。

「よっしゃあぁぁぁぁぁぁ」

 片手を突き上げてガッツポーズの十河。

 ツーアウトだったこともあり、打つと同時にスタートを切っていた政は迷うことなく3塁を蹴ってホームへ駆ける。センターがボールを処理して内野に返した時には、既に政は十河の投げ捨てたバットを拾い、ついでにホームを右手でタッチした後だった。

「ホームイン」

「「「先制てぇぇぇぇん」」」

 元プロ相手に1年生クリーンアップコンビで先制点。これ以上ないほどの騒ぎよう。高橋はそれによって、先制されたという事実をより強く感じ、ホームバックアップに回っていたその場所で脱力する。

「な、なんで……俺が……」

 そんな高橋に調子をよくした政が語る。

「逃げるのを頑なに拒否するのは結構。だけどそれって、勝負から逃げる事から生まれる『後悔』や『後ろめたさ』から逃げているだけだよな。十河を歩かせて次のバッターで勝負しなかった事が原因だろうよ」

 いかにも前々から――おそらくは塁上にいた時から考えていたであろう、本人的名言らしき何かを言い切ったことで、これ以上ないまでにしたり顔の政。気分上々でベンチへと戻っていくが、それを待ち受けるのは、こちらはこれ以上ないまでの呆れ顔の慶。

「どう考えても格上の人間に相手に、なぁ~に、かっこつけたこと言っちゃってんだか」

「いいだろ? 別に」

「ま、先制できたから別にいいけど~」

 ベンチの柵に手をかけ、身を前に乗り出しながらつぶやく。そこでふと口元に指をやる。

「それにしても意外だったなぁ。元プロ相手にあっさり初回先制っての」

「元プロの意地を逆手に取ったってとこかな。十河(あいつ)、練習を見る限りだと速い球には滅法強いみたいだし。高校野球で大成しなかったのは、変化球に弱いのと、守備がそれほどでもないからだろうなぁ。それでも本人曰く見た事のない150オーバーをきれいに打ち返したのは普通じゃないけど」

「でも政の盗塁も十分に凄かったけどね」

「勝負所はあそこしかないだろうよ。車の中で見たデータによる感じだと、高橋は浅い回ではいろいろ甘かったからな。十河を援護するという意味でも、あそこは賭けるだけの価値があったと思う。仮にアウトになっても、十河に球筋を見させたうえで、次の回の先頭打者にできたわけだし」

「さすが全国偏差値43。頭いい」

「全国偏差値43.8のお前ほどじゃないさ」

 どんぐりの背比べである。

 はとこ同士でくだらない話をしている合間に5番の2回生・槙島も三球三振。球のキレが明らかに増したのは鬱陶しいランナーがいなくなったからであり、その鬱陶しいランナーがいらぬ事を言ったからだとは、間違っても思いたくないものである。

「1回の表。無事に先制。さ、先輩。無失点に抑えていきましょう」

「ふん。1年に言われずとも」

 先発の左ピッチャー・福野は政の声掛けに自信満々な答えを聞かせ、余裕の表情でマウンドへと歩いていく。

 相手が元プロ投手・高橋であることを考えると、1点の猶予もない南長州大学ではあるが、相手はいかんせん3部リーグ常連の広島工科大学。格下のチームゆえに、高橋が関与しない攻撃に関してはそこまで苦戦することはない。

 1回の裏、広島工科大学の攻撃は、1番の木暮がショート真正面のゴロ。2番・島崎がショートフライ。3番・指名打者の細野がレフトフライに倒れ3者凡退と、やはり攻撃力不足は否めない。

 その一方で攻撃力に勝る南長州大学打線だが、投手力に勝る広島工科大学を前に差を付けることができない。6番・東が空振り三振。7番・小林がフォアボールを選ぶも、8番・田神のバントがピッチャー真正面。1―6―4のゲッツーに倒れ、こちらも結果的に3人で終わる。

 さらに2回の裏。4番の戸倉を見逃し三振に抑えたのち、5番の石川に投げた3球目。

「まずっ」

 甘く入ったボールを打ち返され、福野は打球の飛んだ3塁線へと振り返る。すると、サードの2回生・田神がジャンピングキャッチ。好反応で打ち取る。

「ナイス、田神。助かった」

「ふふふ。この俺様の天より授かりし疾風のごとき瞬発力にかかれば――」

「ツーアウト、ツーアウト。しっかり守っていこう」

「おい、三好っ」

 痛々しい発言の田神はさておき、9番の大原も空振り三振に倒れ、この回も3者凡退。さらに3回の表は2つの三振を含む三者凡退。3回の裏も広島工科大学下位打線が3者凡退。福野は3回まで出塁なしのパーフェクトピッチング。初回の高橋が与えた1点以降、試合が動かずに序盤を終えた。


因みに

3番・政 フォアボール⇒盗塁

4番・十河 タイムリー

の流れは、第3回WBC台湾戦(9回)を参考にしています

……え? 間が抜けている?

気のせいやろ 

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