第4話 相変わらずの十河
「準備はOK? 忘れ物とか、買いたいものがあったらコンビニよるけど?」
「とりあえずはないかな?」
今日は新人戦一回戦。試合場所は広島とのことで、レンタカーを借りたり、実家から持って来たりと、なんとか足を調達しての遠征。政と慶の2人は、彼女が自宅から乗ってきた『南長州三好商店』の軽トラで、全員分の荷物と共に大移動である。
「それじゃあ、しゅっぱ~つ」
先輩の運転する2ボックスセダンを追いかける形で発進。
「ほんと、女子でMT可って斬新だよなぁ」
「家の車がMTだからねぇ。AT限定だとMT運転できないけど、MTならATは運転できるし。運転できたらバイト代わりに家の仕事できるからね」
「じゃあ、ATを運転しろって言われたらできる?」
「ぶっちゃけ無理。最初の2回と高速教習でしか運転してないし。ATって、ギアはとりあえずDでいいんだっけ?」
「いや、無免許に聞かれても。てか、AT運転できないのか」
「半クラもエンブレもないって、ATは怖すぎるって。クラッチないと左足が暇だし」
そう彼女は言うものの、ATにエンジンブレーキがないわけではない。
「ふ~ん、どうせMT運転する機会ないだろうし、だったらAT限定で取っちゃおうかなぁ?」
と、今度の夏休みに自動車免許取得予定の政は、慶と運転免許に関する話や、ついでに車に関する話、そこから逸れてプロ野球の将来像など、到底男女の会話とは思えない内容で盛り上がる。
かれこれそうもしていると時間は簡単に過ぎるようで、既に山口・広島の県境は越え、そろそろ高速道路の出口である。すると、もうすぐ試合会場に着くと認識したことで、政はふと思い出して運転席へと目を向ける。
「あのさぁ、高橋のプロ時代のデータってある? ちょっと前に見せてくれたヤツ」
「ん」
通行券を口に咥えていてしゃべれない彼女は、ほぼ無言でグローブボックス――助手席正面の収納スペースを指さす。そこを開けてみると、自動車学校の教則本、車検証と一緒に、いつぞや見たクリアファイル。
「……試合終盤になっての奪三振率が高く、フォアボール率も下がってるか。尻上がりによくなっていくタイプか」
イニング別成績を見ると、序盤での奪三振率は非常に高く、フォアボールはやや多めなのだが、終盤にもなると奪三振率はもはやおかしな事になっており、フォアボールもほとんど出していない。呆れながら次のページをめくると、そこからは投手・高橋ではなく、打者・高橋の成績であった。
「ふ~ん。高橋ってバッティングいいのな」
「ん」
無言で頷いた彼女は料金所で車を止めると窓を開け、咥えていた通行券と、政の出した5千円札を係員に手渡す。
「先発投手だから打数が少ないとはいえ、打率は3割オーバー。ホームランを1本打っていて、打点は9。プロ入り前は野手としても注目されていたくらいだからね」
投手・野手の二刀流をしているレベルの規格外を除けば、投手の打率は高くとも2割台。1割、0割が普通にいる世界であり、3割台は滅多にいない。そう考えればルーキーイヤーで3割オーバーがどれほど凄い事かは分かりやすい。
「知らなかったんだね。この前、仮想高橋で知ってたかと思ったけど」
「ゲームだと投手の打撃能力は低めに設定されているからなぁ。一部を除いて」
果てしなく今後の試合には意味を成さないであろうゲームの話はとっとと切り上げる。正しくは、前の車に乗っている十河の顔を見て思い出したことがあるのだ。
「それはそうと慶」
「何?」
「十河が慶の事、好きなのは気付いてるよな?」
「もちろん」
「やっぱりか」
予想通りであった。あれほどあからさまな猛烈アタックに恋心を読み取れない奴がいるとすれば、親友だと信じて疑っていないか、超絶鈍感かのいずれかであろう。
「それに前々から『遊びに行こうぜ』って誘われてるし」
「あいつって奴は……」
割と慶と一緒にいる政であるが、それでも講義などで目を離したすきにアプローチされているようで。その忍者のような隠密性に、呆れるを通り越して感心する。
「政、もしかして妬いた? 政も私の事が好きとか?」
「好きなのは他人の恋愛に首を突っ込むことだなぁ。僕はおそらく『恋のキューピット』か、『馬に蹴られて死ぬ』のどちらかのポジションだな」
「そっかぁ。少し残念。私の好きなモノランキングね、1位が猫で、2位が政で、3位がお父さん。男子の中では政が一番好きなんだけどなぁ」
「そいつは残念だったな」
「政は私の事、どれくらい好き?」
「どれくらいって言われると難しいけど、結構好きだぞ。家族として」
「それなら十分。本当の家族じゃないのに、家族だと思ってくれるなら、私嬉しい」
前を向いたままの彼女の顔は、政が彼女に会って以来一番の明るい笑み。2人家族が長かった彼女にとって、それだけ家族の存在は大きく嬉しいのだろう。
「因みに、慶の好きなモノランキングで十河は?」
「う~ん……20位くらい?」
「十河には言うなよ。ショック受ける」
1位に猫が入っているあたり、男性限定ではなく、女の友人や芸能人、ついでに食べ物や場所など人外のものも入っている『LIKEランキング』である可能性がある。そう考えると20位が一概に低いとは言えないわけだが、『好きなものランキング』という『LOVEランキング』と勘違いしやすい名前での格付け20位は、ショックを受けるのも必然といったところであろう。
「言わないよ~」
「それならいいけど……おっ、今の対向車、ナンバーが4ケタ全部7だった」
「よ、よく気付いたね。今、結構スピード出てるんだけど」
そんなこと気付かなかった慶は、速度計をチェックして声を若干震わせる。自分も対向車のナンバーを見てみるが、運転に意識を向けておく必要もあって読み取れない。彼は彼女と会話をしながら気付いたのだから、大したものである。
その後、政は球場到着までの間、対向車のナンバーの4つの数字を読み取り、四則演算を用いてその合計を10にする。という、動体視力・計算力・脳内処理能力が必要とされる暇つぶし。慶はそれを横で見ているだけで運転に集中。まだ免許を取って1年も経っていない初心者ドライバーであり、そんな他の事に大きく意識を傾けられるほどの力量はない。一般的に周りのスピードに合わせる――法定速度より速いくらいを出すのが常識と巷では言われる運転だが、慶の運転は法定速度ギリギリいっぱい、むしろやや遅めである。
「えっと、ここの道を……地図」
「ん~と」
指示を受けると、政は地図を開いて球場の場所を確認。先輩の車について行けばよかったはずなのだが、その車ははぐれてしまって見当たらない。
「次の信号を左折」
「は~い」
曲がる前に指示器を出し、減速&シフトダウン。左後ろ後方の巻き込み確認を忘れずに行い、歩行者も確認して曲がるという、教習所直伝の教科書左折。
「あ、あそこだね」
「曲がる前に若干見えてたけどな」
「運転に集中してたら分からないの」
右手に見えてくる白い球場。本日の試合予定と書かれた掲示板には、『中国地区大学野球新人戦』の文字。完全に停止し、対向車、歩道の歩行者・自転車を確認してから発進。ちなみにここまでエンストは1回も無しと、初心者にしてはなかなかの運転テクニックである。
「先輩の車、ある?」
「なさそうだなぁ」
自分の前を走っていたセダンも、先輩のレンタカーのワンボックスも、同級生のワゴンも見当たらず。2人の軽トラが一番乗りのようだ。
「まったく、先輩たちはなにやってんだか」
「コンビニか、道間違えたとかじゃないの?」
広めの駐車スペースを探しながら場内を徐行で進む。
「あっ」
「いい感じのスペースあった?」
「高橋っぽい人」
政が指さす先。広島工科大学の選手たちの集団から、5~10メートルほど離れた場所に別の集団。その中心に見えるのは、テレビや雑誌でもよく見る元プロの高橋である。
「見た感じ、マスコミの人が多いみたいね。さっきからそこらへんに止めてある車、雑誌編集社や新聞社の名前が書かれたステッカー張ってあるのもあるし」
「女子も多いよなぁ。めっちゃサイン頼んでるじゃん。高橋も、ものすごい笑顔でサインしてるし。雑誌や新聞だとコメント少ないからどんなやつかと思ったけど、結構いい奴なんだな」
「マスコミとかは、あまり答えたくない事とか平然と聞いてくるみたいだから。高橋もそこはしゃべらないようにしているんじゃない?」
「人には他人に言えない秘密とか、あまり言いたくないこととかあるもんな。有名人も大変だな。プライベートも仕事も無くて」
プライベートで外に出ていると、人が群れてきたり、断っているならまだしも無断で写真を取られたり。「有名人だから仕方ない」とも言われて合理化されるが、肖像権もプライバシーもあったもんじゃないのは大問題である。
「あ、ここに止めよ」
1塁側ベンチの入り口に近い駐車場を見つけた慶。助手席の後ろに手を回し、体をひねって後ろを見ながらバック駐車を始める。
「なぁ、慶」
「ん?」
「女子目線から見て高橋ってどうなの?」
「『芸能人』としてみればいい人だよね。かっこいいし、性格もいいし、おまけに経済力抜群で」
プロ野球選手は芸能人には含まれないのだが、意味自体は通るのであえて政はツッコまない。
「慶的には好き? 嫌い?」
「芸能人としては好き。恋愛対象かどうかは知らない。どうせ芸能人なんて、表の顔と裏の顔って違うんだろうし。そう言う『この世にいない』って意味ではアニメキャラ好きと芸能人好きって同類だよね?」
「だよね? って、聞かれても知らんがな」
アニメファンと芸能人ファンを同時に敵に回した彼女は、車も器用に回して一発で駐車完了。サイドブレーキを掛け、エンジンを切り、バックギアに入れてと手順を踏んでから、ようやくシートベルトを外す。やはり教科書的である。
「着いた。けど、どうする?」
「ここで先輩を待とうか」
「そうだね」
ファンとマスコミが群れる高橋を遠目に見ながら先輩や同期たちを待つ2人。どうも他のメンバーはコンビニに寄っていたようで、到着したのはそれから10分後であった。
場所は広島県、広島瀬戸内球場。激闘が予想されない(予想されない:傍点)6月中旬の中国地区大学野球新人戦第一試合。2部リーグ所属・南長州大学と3部リーグ・広島工科大学なだけに、総合的な実力では優勢。しかし高橋1人で実力差が完全にひっくり返った2校が衝突。試合前に発表されたオーダーはと言うと、
広島工科大学
1番 ショート 木暮
2番 セカンド 島崎
3番 DH 細野
4番 サード 戸倉
5番 ファースト 石川
6番 レフト 舞浜
7番 ライト 市川
8番 キャッチャー 大鳥
9番 センター 大原
ピッチャー 高橋
勝ち進んだ場合の次の試合までは間がないが、なりふり構わずエースを投入する後攻の広島工科大学。
「高橋ってプロでもかなりいいバッティングしてたからバッターとしても警戒はしてたけど、さすがにDH解除はしなかったかぁ」
「多少上手くても、ケガのリスクや疲れを考えるとDH制が妥当なんだろうよ」
背番号6を背負った政がつぶやくと、その横には背番号17を背負った慶。
「でもまぁ、こっちもなかなかのメンバーだし、意外と勝てるかもね」
「どうだろうなぁ」
心配そうにバックスクリーンに目を向けると、そこには先攻・南長州大学の先発オーダー。
南長州大学
1番 レフト 金井
2番 セカンド 鈴原
3番 ショート 三好政
4番 ライト 十河
5番 DH 槙島
6番 ファースト 東
7番 キャッチャー 小林
8番 サード 田神
9番 センター 野元
ピッチャー 福野
クリーンアップに2人の1回生が入っている打線。駒の少なさがうかがえる。
「こう見ると俺だけ浮いてるな。1人だけフルネーム」
「私が選手登録しちゃってるからねぇ。『三好』だとどっちの三好か分からないし」
間違っても緊急要員の慶が3番ショートで先発するわけないのだが、そんなことは南長州大学以外の人たちにとってみれば知った事ではない。やむを得ないと言えばやむを得ないのだが、浮くことに関しては否定ができない。
「でも、俺と政で3、4番か。川嶋先輩もおかしなメンバーを組んだな。まぁいいけど。てか、俺4番なんだよなぁ~」
十河は何やら不安ではないが違和感があるようで。
南長州大学の野球部に監督は不在。規則上の理由で部長はいるが、原則として活動に関与をせず。試合における采配だけでなく、大会への参加や、練習試合の実行、部費管理や道具・活動場所の管理なども部員のみで行う事となっている。それで現在、選手兼任で監督をやっているのは、十河と同じ医療工学部の3回生で川嶋平太である。選手兼任と言っても新人戦での出場権は1・2年生のみのため、この試合では監督専任のみである。
一方で特にオーダーに不満の無い政は慶と別の話。
「時に今更だけど、元プロって大学野球部に入ってよかったの?」
「ダメ。だったみたい」
「だった。って事は?」
「高橋は試験的にOKになったんだって。年齢やプロ経験に条件があるみたいだけど」
慶もさすがに詳しくは知らないと話をそこで打ち切る。
彼を大学野球へ参加させる際、試験的に設定された条件は以下の通り。年齢は、一般的な学生よりも2年遅めに入学&3年生まで活動すると仮定して23歳まで。プロ経験は、独立リーグや海外リーグも含めて2年以下とのことである。プロを1年でやめている高橋はプロ経験の条件を満たしており、高橋は現・19歳のため、23歳になる4年生まで活動可能となる。
その高橋は現在、3塁側ファールグラウンドにて投球練習中。まだ本気を出さずに肩を温めている程度で、球速は軒並み100~120くらいと言ったところ。全力投球を見ることになるのは試合が始まってからであろう。
「お、そろそろウォーミングアップかな。いってくる」
「は~い、いってらっしゃ~い」
政を見送りする慶の後ろ。十河が深呼吸して話しかける。
「そういえば慶ちゃん。初公式戦。4番で先発だぜ」
笑顔でサムズアップ。かっこつける十河であり、実際にユニフォームが似合っておりかなりかっこいい。だが残念なところを上げるとすれば、試合前に食べたおにぎりの海苔が白い歯に付いていることだろう。
それに気付きながらも、彼を気遣ってあえて何も言わない慶の優しさが垣間見える。
「相手は元プロだけど、勝てるように頑張ってね。ファイト」
両手握り拳を胸前まで引く、ある種のガッツポーズ。
「もちろん、勝ってくる。俺に任せなっ」
再び笑顔でサムズアップ&歯には海苔。
「頑張ってね~」
練習のためにグラウンドに出る十河は、彼女に声援を送られて気分上々。十河と慶が話はじめたあたりで先にグラウンドに出ていた政に追いつく。
「今日の試合、絶対に勝つぞ」
「どうした? 慶にでも励まされたか?」
「YES。よく分かったな」
その嬉しそうな笑顔を見れば誰にでもわかる。という返事を飲み込み、特に返答もせず、ウォーミングアップのため芝生の敷かれた外野グラウンドへ。
「慶ちゃん、ウォーミングアップは?」
「今日はしないんじゃない?」
あくまでも慶の立ち位置はマネージャー。たまにウォーミングアップに出てくることもあるのだが、出てくる理由と言えば主に2つ。
選手数が奇数であり、キャッチボール・ストレッチなど2人1組で1人余ってしまう。
彼女自身が気まぐれで体を動かしたい。
のような場合のみ。今回は選手が偶数であり、彼女も特に体を動かしたいわけではなさそうである。
「マジかぁ。慶ちゃんとキャッチボールとかストレッチしたかったんだけどなぁ」
「お前のボールは慶じゃ捕れないし、ストレッチは体格が違いすぎる」
「任せろ。スピードは落とす。体格は合わせる」
「前者はともかく、後者は物理的に不可能だろ」
「不可能を可能にするのが、俺、十河」
「やれるものならやってみろや。ノーベル科学賞取れるぞ」
挑発する政であるが、ノーベル賞に『科学賞』は無い。あるとすれば『物理学賞』である。
「だいたいなぁ、いっつも、いっつも、お前と慶ちゃんのコンビってずるいんだよ」
「そうは言っても、体格が合わないし、他の男子勢は女子とやるのは抵抗あるみたいだし」
「俺はOKだぜ。抵抗ないぜ。0オームだぜ?」
「それ、抵抗は抵抗でも電気抵抗。だいたい一緒にストレッチやってダメだっただろうが」
事は1月ほど前。講義の関係で練習に遅れた十河は、念願の慶とのストレッチをすることになった。そこで背中を合わせてお互いを持ち上げる、いわゆる背中伸ばしをすることになったのだが、そこで問題が発生。十河が慶を持ち上げる件はともかく、慶が十河を持ち上げられない事態。そして無理に頑張ったところ、体勢を崩して倒れてしまうという軽い事故が起きたのだ。
「あ、あれをしなければ大丈夫だって。例えば、座って後ろから押してもらう奴。えっと」
「長座体前屈的な?」
「そう、それ。それで、後ろから押してもらうだけなら大丈夫。危険はない」
「勝手に慶に頼めや。僕は介入しないから」
人名を堂々と他作とかぶせていくスタンス




