必要な嘘
翌日以降、アレンから指輪の件の返事を求められることは一切なかった。どうも、アレンもいきなり持ち出した自覚自体はあったらしい。
返事は決まってると思うな、というアレンの言葉が蘇る。確かに、ミリアはアレンの政治に対する主義主張は認めていて、でも一人では危うい面があると思っているので協力するのはいい。
けれど、持ちだす話題がほとんど政治のことについての相手と同じほどの覚悟を持てる自信がミリアにあるかと言われると、アレンがミリアのことを買いすぎているのではないかと思わざるを得ないのだ。
そしてもう一つ、さらりと流されたこと。これについてのミリアの考えは既にまとまっていた。悩む必要すらないほどの明確な答えがあるのだ。ただ、その答えをアレンに伝える前に一つ確認しておきたいことがあった。
「あ、メアリー。ちょっといい?」
なのでミリアはコールドウェル家にレティを訪ねて遊びに来ていたメアリーに声をかける。あの日以来レティとメアリーは仲良くなって、互いの家を行き来するようになっている。
「はい、ミリアさん。レティ、ちょっと行ってきますね」
「うん」
いつの間にやらメアリーがレティのことを呼び捨てにできるようになっている辺り、かなり仲良くなっているようだ。一方的にメアリーがレティを慕うだけかと思っていたが、案外レティも心を開けたようだった。少なくとも一族に対しては警戒心というものが緩和してきている証だ。
そんなことを考えている間に、ミリアの部屋に二人は移動する。
「それで、なんのお話でしょうか?」
「アレンがね、私に対して婚約を持ちだしてきたの」
メアリーに尋ねられて、ミリアは端的に答えた。若干言い辛くもあるが、言わないと話が進まない。ミリアの言葉を聞いてメアリーが少し驚いた反応を見せる。実は全く想定していなかったのだろうかと思うが、次のメアリーの言葉で驚いたのは婚約自体にではないということが分かった。
「……案外早かったですね。てっきり、出会って二年目の日に言うと思っていました」
それはメアリーが武闘会直後にウォルトとレティが鉢合わせする可能性を高めたためなのだが、ミリアはそれは言わない。言ったところで今更変わるわけではないのに、文句を言ってしまいそうだからだ。だからミリアはメアリーの驚きには反応せず、自分がどうするつもりなのかをメアリーに告げる。
「それで、私は断るつもりでいる」
それが婚約という流していいことではないのにそれ以上のことで流されてしまったことに対する、ミリアにとって明確だった結論だ。理由は単純である。
「なぜですか?」
「いやだって、アレン一緒に暮らせたらいつでも相談できるってくらいの考えで言ってるでしょ」
「それは否定しません」
そんな動機の相手と婚約なんてできるかという話である。まして、そんな人間でも好きだと思っている相手がいるのである。こんな状況でどうとも思っていないミリアが婚約など選べるはずがない。
だいたい一緒に住まなくてもアレンの方からの連絡はいつでもとれるのだ。もちろん相手を目の前にして話した方が話しやすいが、それだったら呼び出して会って話せばいい。多少不便でも、一緒に暮らさなくたってなんとかなるのである。
「好きだから結婚してくれっていうならともかく、そうじゃないのに婚約なんてできるわけないでしょ」
だからミリアは断ることを選んだ。今のアレンにメアリーの想いに気づいている様子はまったくないが、これからいくらでもチャンスはある。それを潰してまで利便性を追求する気はミリアにはない。だが、メアリーはミリアの言い分を否定してきた。
「そうでしょうか?」
「え?」
「私たち一族は血を絶やすわけにはいきません。また、一族以外の人と結ばれることも許されていません。そんな場合に、恋愛で相手を選べる人がどれだけいるでしょうか?」
それを聞いてミリアは真っ先にクレアとルーサーのことを思い浮かべるが、それが例外だということはメアリーの言い分から伝わってくる。
「平均して一年に生まれる人数が四人。そんな少ない選択肢の中で私たちは次の世代へ繋ぐ必要があります。相手を選ぶのは、恋心ではなく理屈です」
確かに普通の民衆と一族では結婚に対する価値観は違うのかもしれない。血を絶やしてはいけないのは確かだ。でも、だからこそ、ミリアは思わずには言われないのだ。
「少ない選択肢の中ででも得られた想いは大切にした方がいい。私は断る。だから、メアリーはアレンに振り向いてもらえるよう努力しなさい。簡単に諦めるのは、絶対に駄目」
そんな中ででも得られた想いを簡単に諦めてしまっていいはずがない、と。ぶつけてみて駄目だったなら仕方がない。でも、メアリーは明らかにその前にミリアに譲る気でいる。ミリアがアレンのことを好きならともかく、そうでないのにそんな心遣いを受け入れる理由はミリアにはなかった。
メアリーはミリアの言葉を聞いてしばらくの間黙り込む。何かを考え込んでいるようだったので、ミリアはメアリーが口を開くのを静かに待った。
「……分かりました。でも、一つだけ約束してください」
「何?」
メアリーの返答は了承で、ミリアはそれにほっとする。一つだけの条件はなんだろうかと聞き返すと、メアリーの答えはある種当然な提案であった。
「三百年の四月の初めの時点でアレンの意思がまだミリアさんにあって、ミリアさんが特に相手を見つけていなかったら、その時は私にはアレンを振り向かせることはできないとして、理屈で判断していただけますか?」
メアリーが頑張ったところで報われるとは限らないのが恋心だ。そうなった場合は、確かに理屈で判断することも必要になる。
「いいけど……」
「では、アレンには適当に説明しておいてください」
なぜその四月頭なのだろうと思いつつ、約二年半頑張っても無理だったなら好きだと思っている人を差し置いての婚約にも罪悪感はそこまで湧かないだろうことは確かだったので了承する。
二年半後にどうなっているかは分からないが、その時に改めて判断するというくらいなら、断る理由は存在しなかった。
メアリーは必要だと思ったら嘘がつける子です。
4月にした理由はアレンの15歳の誕生日前にという意味があるのですが、ミリアは思い当たらなかった模様。




