誘引される恐怖
ミリアがコールドウェル家に引き取られてから一か月が経過した。毎日勉強漬けではあったが、知らなかった知識を吸収していくのは素直に楽しい。ただ一つ問題があるとすれば、つきっきりで教えてくれている相手が完全には心を許してくれないことだろうか。
それでも、最初のころよりはずっと態度が軟化してきた。最初の頃は机の対角線側に座っていたレティも、今では向かいに座ってくれるようにはなっている。何も危害を加えられていない。一月積み重ねたその期間が、少しは信頼に繋がっているらしい。
それでも、肝心の怖がる理由に関して教えてくれる気配は一向にないのだが。
「人の保有するスキルはその系統によって6つに分けられ、それらは髪の色で区別できる。赤が付加、青が干渉、緑が知覚、橙が変化、黄が守護、紫が破壊である」
「正解。スキルの分類についてはもう大丈夫そうだね」
今日の復習として、学んだことを空で復唱すると、レティはまるで自分のことのように嬉しそうにほほ笑んだ。こんなに喜んでくれるのに、それでも一定の距離以上近づくとレティは飛び退って逃げてしまうのだ。人そのものが、信じられないといった様子で。
「ね、レティ」
あらかじめ声をかけて、予告をして、それから机の上に置かれているレティの掌に自分の手を重ねようとする。瞬間、レティは触れられるのを嫌うように手を引っ込めた。もはや、反射の領域である。
「やっぱり、怖い?」
ほんの少し申し訳なさそうな顔。それを見ながらミリアはレティに問いかけた。
「ごめんね。ごめん。きっと、ミリアは何もしないよね。でも、触られるのは、怖い」
いったいどんな経験をしたのだろう。そんなことを思いながら、ふとミリアは思いついた。普段まったく使うことがないので、忘れかけている自分のスキルのことを。
「ねぇレティ、今日スキルは6つに分けられるって教えてくれたよね。じゃあ、私のスキルはどの分類に入る?」
「……干渉」
レティはミリアの意図が分からず、ただ正解だけを口にする。
「そう。人に干渉しなにか影響を及ぼすことができる青。私のスキルはね、許可を得た相手の記憶を封じるっていうもの。封じる際に条件を設定して、その条件が満たされるまでは決してその記憶を思い出すことはない。レティの怖い記憶、消してあげようか?」
そのミリアの提案にレティはしばらく考え込んでいた。そんなこと、考えたこともなかったのだろう。しばらくの間、二人の間には沈黙が落ちる。
「ううん、大丈夫。これは、忘れちゃいけないことだから」
しばらくしてレティが返してきた答えは、ミリアの予想していた通りの物だった。むしろ、断るのがもっと早いのではないかと思っていたぐらいだ。忘れてしまったらそれが危険だと分からなくなる。レティがそれに気が付かないとは思えない。それでも、条件を上手く設定すれば必要な時に思い出すことは可能だ。
だから、悩んでいたのはきっともっと根本的な、忘れてしまっても問題ないことなのかという点だろう。レティにとっては、決して忘れてはいけないこと。本当に、いったい何なのだろう。
「分かった。気が変わったらいつでも言ってね」
そう言って、この話を終わりにする。レティの恐怖心に関する話題を続けるよりも、全く関係のないたわいのない話や、その日学んだ内容について話す方がレティも笑っていてくれる。だから、ミリアは今日学んだ内容に話題を変えることにした。
「それで、守護のレティのスキルは、なんな、の……?」
ミリアは言いかけて途中で話題を誤ったことを悟った。言い終わらないうちに、レティの顔がみるみる蒼白になっていったのだ。
「あっ、えっと、ね……」
「ごめん、私が悪かった」
自分の有するスキルが関係ある。そう感づかれてしまったことにレティは更に体を硬くし、口から出る音は言葉になっていない。知ったら殺そうって考えるに決まってる。出会った日、レティが言い放った言葉だ。原因がレティの持つスキルにある。それを知られただけで、どれだけの恐怖だろうか。
だから、ミリアはレティの恐怖心を取り除くことにした。気にはなるが、絶対に知らなければならないことではない。そんなことよりも、レティが笑っていてくれる方が重要だった。
「レティ。今から私は、レティが他の人を怖がる原因がレティのスキルに関係しているってことを封印する。思い出す条件は、レティが私にその原因を話した時。だから、安心して」
言うが早いかミリアは自分のスキルを発動させる。封印内容、レティの対人恐怖の原因はスキルに関すること。解除条件、レティから対人恐怖の原因を話して聞かされた時。確定させて生気を練る。それが終わるのはあっという間だった。
「レティ、どうしたの?」
勉強が終わったと思ったら、レティが自分のことを驚いた眼で見ていて、ミリアも引っ張られるように驚いた。自分は何かしただろうか。いつも通りの勉強漬けの一日だったと思うのだが。
「なんでも、ない」
相変わらず驚いた顔のまま言われても説得力がない。だが、ミリアはそれ以上聞かないことにした。レティにとっては意味のあることでも、ミリアにとっては何でもないことはきっとたくさんある。逆のことも、たくさんあるように。
「今日もありがとうね、レティ」
深く考えても仕方がないので、それだけ言ってミリアは自分の部屋に戻る。その様子をレティはただただずっと見つめていた。信じられない物を見た。そんな表情をしながら。
話が始まる時点でのレティの警戒レベル 10段階中3
終わった段階での警戒レベルは、さて、いくつでしょう。




