人見知り
その日の昼過ぎ、ミリアの親に関する調査結果が報告された。内容は、端的に言えば不明というもので、まあそうだろうなとミリアは思う。ただ、同時に報告された、ミリアの引き取り手が見つかったということの方が驚きだった。人を一人家に迎え入れるのだ。いくら経済的に余裕があっても簡単にできることだろうか。
ミリアが少し懐疑的になっていることに気が付いたのだろう。それらのことを教えてくれた男は、説明を一つ付け加えた。
「なんでこんなすぐに決まったのかって不思議そうな顔だね。少し事情があるんだ。会ってみればすぐに分かる。頑張ってくれると、学舎側としても助かるからね。期待しているよ」
むしろ謎が大きくなったのだが、男はそれ以上教えてくれる気配はない。とにかく、その家でミリアは何かを期待されているらしい。
何を望まれているのかは分からない。けれども、不可能なことならばそもそも望まれもしないだろう。急に現れた人間が置いてもらえるのだ。できることならばやるのが道理だ。
そんなことを考えながら、ミリアはその家に案内すると言って歩き出した男についていった。
***
転移盤に3回乗っただけで目の前に着いたその家は、白い漆喰に黒い屋根の、左右対称の家だった。広い庭には芝生が敷き詰められており、その中に石畳の道が延々と続いている。もっとも、敷地に入ってすぐ置いてある転移盤に乗って玄関前まで移動してしまったので、その道を歩くことはなかったのだが。
男が玄関脇に備え付けられている通話装置で中に連絡を取る。返ってきたのは、お待ちしていました、という柔らかな女性の声だった。
すぐに扉が開き、中から声の持ち主だろう女性が現れる。浅緑色のストレートの髪を、背中まで伸ばした女性だった。目はやはり、虹彩まで黒で染められている。若々しいものの年相応の落ち着いた風格のある、思慮深そうな中年の女性だった。
「連れてきてくださってありがとうございます。あなたがミリアね。私は、シルヴィア・コールドウェル。他にこの家に住んでいるのは、夫のジャスパーと娘のレティよ」
「初めまして。これからお世話になります。よろしくお願いいたします」
朗らかな挨拶を受けて、少しミリアは戸惑う。何か悩んでいることがあってその解決をミリアに望んでいるはずなのに、その片鱗が少しも見られない。それでも、とりあえず挨拶をしなければとミリアは丁寧にお辞儀をした。
するとシルヴィアはほんの少し悲しそうな顔をして、そうしてまた笑顔に戻りこういった。
「そんなに畏まらなくてもいいのよ。あなたはまだ、子供でいていい歳なんだから」
どうもシルヴィアは、ミリアが不安にならないように敢えてそう振る舞ってくれているらしい。それに気づいて、ミリアはこんな風に気を利かせられる人が、自分のような子供に頼みたいこととはなんだろうかと少し不安になる。
「では、私はこれで」
そんなミリアをよそに、ミリアとシルヴィアが一通り挨拶したのを見届けて、男が別れの言葉を告げた。
「ご案内、ありがとうございました」
「ええ、お忙しい中ありがとうございます」
ミリアとシルヴィアがそれぞれにその言葉に反応すると、男は会釈して転移盤の上に乗り、そのまま去って行った。
「それじゃあ、中に入りましょうか。改めて、我が家にようこそ、ミリア」
そう言われ、ミリアは屋内に迎え入れられる。玄関を入ると、そこにはいくつもの転移盤が床に並べられていた。
「どれがどの部屋につながっているかは後で説明するわね。とりあえずは、これに乗ってリビングへ行きましょう。そこには、レティもいるんだけれど……」
そこで先ほどまで淀みなく滑らかに話していたシルヴィアの言葉が止まる。何か言おうかとミリアが悩んでいると、
「まぁ、会ってもらったほうが早いでしょうね。さ、行きましょうか」
そう言って、シルヴィアは転移してしまった。どうやら、ミリアがこの家に引き取られることに決まった理由は、娘のレティに関係があるらしい。そう判断しつつ、ミリアも転移盤の上に乗り、シルヴィアの後を追ってリビングに移動した。
***
リビングに移動したミリアの耳にいきなり響いたのは、悲鳴に近い叫び声だった。
「誰!?」
恐怖に彩られた甲高い叫び声。騒がしい足音が響き渡り、それはシルヴィアの陰に入って止まる。ミリアが驚きながらシルヴィアのいる方を見ると、そこにはシルヴィアの背中の陰に隠れている少女がいた。年は、ミリアと同じか少し下だろうか。両サイドで緩く結ばれた明るい黄色の髪が少女の震えに合わせて揺れている。
「レティ、大丈夫よ。大丈夫だから」
シルヴィアが宥めても全く落ち着く様子がない。諦めたように一つため息をつくと、シルヴィアはミリアに向かって話し始めた。
「この子がレティ。まあ、見て分かるでしょうけれど、すごく人見知りが激しくてね」
人見知りが激しいという言葉で済ませてしまっていいものなのだろうかとミリアは思う。レティがミリアに向けている感情はむき出しの警戒心と恐怖そのものだ。門の中は警戒心を怠ると暮らしていけない場所だったが、それでもこんな風に何に対してもとにかく警戒している人間はいなかった。神経を張りつめるのは、疲れることなのだ。これだけの警戒を知らない人が目の前に現れる度に行っていては、心労が大変なことになる。
「この子は家から出るだけでも大変な思いをしているの。10歳になったら学舎に住むことになるのに、このままの状態じゃまず無理だろうから。一緒に学ぶことになるあなたと一足先に仲良くなってもらえたらと思って、この家に住んでもらうことにしたの」
さらに続いたシルヴィアの説明で、ミリアは自分が何をすべきなのかは分かった。分かったものの、現状のレティを見る限り、それができる見通しがまったく立たない。その問題は置いておくことにして、とりあえずミリアは説明で分からなかった点を尋ねることにした。
「学舎に住むというのは、どういうことですか?」
「そうか、知らないのよね。私たちはね、10歳になったら家から離れて学舎に入学し、15歳までそこで国を治めるのに必要な知識について学ぶの。誕生日が近い4人が一組になって、5年間生活を共にしながら政治について学ぶ場所。それが学舎」
ミリアは、今朝会ったときアレンが言っていた10歳になるまではという言葉を思い出す。学舎に通うのは10歳になってから。おそらくアレンは学舎に一番最近入学していて、ミリアを次に入学する予定の子供だと思ったのだろう。ならば、全員というのはどういう意味かというと。
「一緒に入学する4人が、全員10歳になった時に入学するということですか?」
「そう、私たちの一族で生まれる子供は年に4人くらい。だから、この数がちょうどいいの。あなたも、3月にレティが10歳になったら入学することになっているわ」
ミリアの問いをシルヴィアは肯定する。それから、ふと思いついたように言葉を付け足した。
「そうね、これからミリアが何か分からないことがあったら、レティに訊くというのはどうかしら。レティにも分からないことだけ、私が教えるから」
軽い思い付きで語られただろうそれは、ミリア、レティ両者ともまったく望んでいないことだった。ミリアは、こういうことになるならあらかじめ気になることを全部聞いておくんだったという後悔を覚える。だが、レティに対してのその言葉は、これからに対する絶望を突きつけられたようなものだったらしい。
「やだやだやだ!」
「レティ、ミリアはね、最近の記憶をなくしているの。助けを必要としているのよ。だから、レティが怖がるようなことなんて何もできないから。大丈夫、ね」
激しく嫌がるレティをシルヴィアが宥める。レティは記憶をなくして助けを必要としているという言葉に、ほんの少しだけシルヴィアの背中から顔を出してミリアのことを見つけたが、すぐに引っ込んでしまった。
「でも、知らなくたって、知ったら殺そうって考えるに決まってるもん!」
「なら、言わなければいいでしょう。ミリアは知らないんだから」
「……やだ」
そんな母娘の会話を聞いて、最初考えていた以上に大変そうだとミリアは思う。レティはっきりと「殺される」と言った。そもそも、門の外は秩序が整っていて平和な場所ではなかったのだろうか。それだからこそ、たまにおこった無秩序な事態にこれほど恐怖しているのかもしれないが。
他者と話すことさえ嫌だという酷い人見知りの子と上手くやっていけるのか、ミリアは先のことを考えてみたが、どう考えても不安しか感じられなかった。
レティにとってのミリアはいきなり現れた知らない子ども。
事情があって知らない人間は全員疑ってかかっているレティにとってはもちろん警戒対象です。
現在のレティちゃんの警戒レベル 10段階中10