新年の祝い
更けきった夜の闇が空を覆っている。普段ならば静まり返っている時間だろう。だが、年越しの祭りの最終日である今夜は、人の熱気が会場である広場の周辺を包んでいた。女神様が現れる時間が近づくにつれて今か今かと待ちわびる人々の熱量が高まっているのが、それを見下ろす時計台の上からでも分かった。
そんな最高潮に賑わっている広場を、いっそう強い冬の風が通り過ぎていく。その風に一瞬集まった人々の集中力が向いた瞬間、広場の中央に設けられている舞台に女神様の姿が現れた。
音もなく転移で現れた女神に、一呼吸の間だけ沈黙が落ちる。そして、次の瞬間吸い込んだすべてを吐き出すかのような歓声が広場から湧き上がる。たぶん、映像で見ている広場にいない人々も同じだろう。
転移してきた女神様は絵画に描かれている通りに純白の腰まで伸ばした髪を翻して広場中を見渡す。周囲にいる民衆をゆっくりと回転することで全員に万遍なく自分がここにいるのだと見せつける。その動きにつられて着ているロングドレスの裾がひらめいていた。
一回転すると女神様はミリア達のいる時計台の上に視線を送る。少し驚いたが、アレンがここにいることを予め伝えていたとしたら納得だった。
「ランディックに住む、すべての皆さん」
朗々とした声で自分を取り囲む民衆に女神様は語り掛ける。その一言で更に盛り上がった民衆が一度落ち着くのを待って、女神様は再び口を開いた。
「今年もまた一年間、何事もなく穏やかな時が過ぎたことを嬉しく思います。穀物の実りも豊かで、これも皆さんが仕事に励んだおかげです」
色とりどりの人々の中で唯一白を体に宿す女神が投げかける言葉は、民にとっては至高の言葉だ。一言一句に酔いしれている様子が、高いところから見下ろしていても分かる。
「次の一年もまた、平穏で皆さんが健やかに生活できることを、ここに祈ります」
そのまま丁寧に一礼し、女神は転移して広場を去った。だが、熱狂の渦は盛り上がったままだ。今年もまた、女神様の挨拶で一年が終わったこと、来年一年間の無事を祈ってもらったこと、これらの事実が民を熱狂させている。
「無事終わったね。よかった」
「アレンは何を心配してたの?」
「噛んだり、台詞忘れたりしないかフィオナ様不安がってたから」
「へー」
年越しの祭りの最大のイベントが無事に終わって、アレンはほっとしているようだった。しかし、心配事のレベルが子供が劇をする際に親が心配するようなものなのはどうなのだろう。ミリアはそう思うが、ウォルトとメアリーが普通にしているのを見て、これが例年なのだと判断する。
「さ、帰るぞ。もう遅いからな」
「兄様、私はまだ大丈夫です!」
「そんなこと言いながらすごく眠そうだぞ」
「でも、せっかく」
メアリーのせっかくの続きの言葉は聞けなかった。だが、言おうとして飲み込んだ言葉はなんとなく分かる。せっかくアレンと一緒なのに、もう帰るのは嫌だと言ったところだろう。
「いや、もう帰り始めた方がいい。帰り道すごく混むしね」
アレンが言った言葉は当たり前の事実だったがこの場面では大切なことだった。お祭りに備えて転移盤は増設されているが、それでも国中のほとんどの人がこの付近に集まっているのに足りるわけがない。女神様の言葉が終わった今、既に人がなだれ込んでいることだろう。
「レティも待ってるだろうし、私も帰るかな」
そう言って、ミリアも自分の帰宅意思を伝える。帰宅できる頃には日付も変わって新しい年になっているだろうし、今ここで残る意思は存在しない。三対一で帰宅になったため、メアリーもそれに従うようだ。
「じゃあ、帰りましょう。また来年もいい年になりますように」
「うん、そうだね」
メアリーの言葉にミリアは同意を返す。そして四人は帰宅の道に着いたが人通りは激しく、ミリアが帰宅できたのは予想通り日付変更前だった。リビングでミリアの帰宅を待ってくれていたレティが出迎えてくれる。
「お帰り、ミリア。お祭りはどうだった?」
「すごい人だった……」
「あはは。でも、何もスられてないでしょ?」
「うん、確かに」
門の中と門の外の人込みの質が違うことを、ミリアは改めて理解する。平和なのはやはり女神様がシンボルになっているからなのだろう。女神様が現れる前に犯罪を犯したい人間はミリアがすれ違った中にはいなかったらしい。
「もう、二百九十六年も終わりかー」
「来年もよろしくね、レティ」
「こちらこそ、ミリア」
新年の約束を交わし、二人とも自室に移動する。新暦二百九十七年の始まりだった。
300年まで、後3年。




