過去とこれから
ミリアの一番古い記憶は賑やかな街角で他人の好意に縋って生きていくしかなかった時代に遡る。”母親役”に連れられて、門の外から遊びに来ている物好き相手に物乞いを行う。それが、幼い頃のミリアの日課だった。本当の親の顔など知らない。よく組まされた母親役が教えてくれたのは、裏路地に捨てられていたのを見つけ物乞いに利用できるから拾ったという事実だけだった。
門の外から各々の目的のもと門の中にわざわざ遊びに来る人間は後を絶たない。そんな裕福な人間を相手に恵まれていないということを見せびらかし、同情心を引いて金を出させ満足感を売る。そんな商売では、子役は欠かせない存在で、傍にいるだけでその日の収入が何倍も変わる。だからこそ、ミリアはそこで重用されていた。もっとも、重用されているだけで名を呼ぶ人はおろか、つけてくれる人さえいなかったのだが。
誰かと区別されることはなく、ただ道具として利用される日々に嫌気がさしたのがいつだったのかミリアはもう覚えていない。逃げ出すことは簡単だった。成長するにつれて稼げる額は減っていく。組織を抜けるという考えを持つ頃には、稼げる額はたいしたものではなくなっていて、いてもいなくても変わらない、そんな存在になっていたのだ。
問題は、一人で生き抜く方法だった。成長したといっても、まだまだ子供である。当然雇ってくれるところなどない。子供であるということを武器にするのはいい。だが、ただ同情を買うだけで生きていくのは彼女には許容できなかった。
別の稼ぐための手段。それを見つけるのは簡単ではなかったが、さりとて不可能なことでもなかった。初めて来た人間が1人で目的の物を入手するには不親切な構造をしている門の中では、外から来た観光客がうっかり入ると痛い目を見る通りに入ってしまうことがしばしば起こる。
それを教えるだけでも、需要があるのではないか。彼女はそう考え、とりあえず一人で行動する許可を取り試してみた。結果、その需要は少女一人が生きる程度にはあると判明したため、住む場所を見つけるやいなや彼女は組織を抜けた。誰にも引き止められなかったが、想像通りだったので何も思うことなどない。結局ミリアも組織側も、ただ互いに利用してきただけだったのだ。
何があったのかすっかり放棄されてボロボロになっていた家に勝手に住みつき、危険区域を教えるという名目の元、様々な訪問者と門の中を歩くうちに、彼女は徐々に街のどこに何があるのか、その知識を蓄積していった。そのうちに、客が何の目的で訪れたのかを話してくれれば、安全なルートでの最短経路で案内ができるほどに。
「危険区域教えます」から、「安全に目的地までお連れします」に宣伝文句が変わった頃、彼女は街中で路頭に迷っていた4人の子供たちに出会う。全員年下だった彼らに、街の案内で生計を立てる術を教えながら、同時により客に必要とされる手法も確立させていった。
嘘は言わない。寄り道せずに客が求める場所に連れていく。勧誘は決してしつこく行わない。などなど、とにかく彼女は信頼を得ることを重視した。ひたすらに信頼を積み重ね、同時に仲間を増やしていく。数は順調に増えていき、初めて門の中を訪れた者は真っ先に子どもの姿を探すほどにまで、案内人の子どもたちの存在を知らしめることに成功していた。
***
ミリアが完璧に思い出せるのはそこまでだった。これ以降、徐々に思い出せない空白が存在するようになり、ここ数日分の記憶はミリアの頭から完全に掻き消えている。思い出せない部分に今現在ここにいる理由が関わっていることは分かるのだが、逆を言えばそれぐらいしか分からないのだ。
それらを全て黙って聞いていた男は、ミリアが話すべきことを語り終えたことを確認すると、メモに手を当てる。男が取り出し机の上に置いていた紙は、誰が書き込んだのでもないのにミリアが話すにつれて文字が浮かび上がっていた。自動書記機能によってミリアの話した内容を逃さず書き取った紙を、男は整理して片付けた。後で、他の者と共有するのだろう。
「……門の中で、子ども一人で生活するのは辛かっただろう。もう、大丈夫だよ」
話を聞き終わった男が発した第一声がそれだった。ミリアにとっては今までの生活は当たり前のことで、特に辛かったなどとは思っていない。それなりの苦労はしたものの、門の中内であれば誰だってそれくらいの苦労はしているのだ。
「ここは、やっぱり門の外、なんですね……」
それよりも、男の言葉によって自分の居場所が確定したことの方がミリアにとっては重要だった。散歩をしている間に記憶を封じたというだけでは絶対にいるはずのない場所。続く男の言葉は、ミリアの確信を更に強める。
「門の外内の、白き女神の住む町、フィオアリブだ。聞いたことはあるかい?」
「案内したお客さんから何度か。私たちを守る、全知全能の神様が住む町だ、と」
その時の客は二つ、その町について話していた。一つは、唯一入る際に許可が必要な町であること。もう一つは、そこに国を治める一族が住んでいるということ。間違って迷い込むなどあり得る場所ではない。
「その通り。そして、我々はその神を守り、指示を仰ぎながらこの国を治めている一族だ。我々と一般の民との違いはねミリア、目の色が黒であることなんだよ」
その言葉を聞き、ミリアは少しの間考える。神を祀り、国を治める一族。ミリアもその一員なのだと男は言いたいらしい。だが、どうしても、ミリアは一つ納得がいかなかった。
「ならなぜ、私は門の中に捨てられていたのですか……」
そんな一族の人間が、なぜ子どもを捨てたのだろうか。どう考えても、育てられなくなるという状況は考えられない。
「今は分からない。もし調べた結果親が分かるならそこの家に引き取られることになるだろうからその時に訊くといいだろう」
そもそも簡単に分かるような事情があるならば、彼らが最初にミリアを見た時にあれだけの困惑した顔を見せることもなかっただろう。そう思い、ふと気が付いた可能性をミリアは男に問う。
「親が分からなかったら、私はどうなるのですか?」
親が分かるなら、ということは当然分からない可能性もあるということだ。そうなった場合は、どうするのか。ミリアはこの地に引き止められることがないのなら門の中に戻ることも考えていたのだが。
「有志でどこかの家が引き取ることになるだろう。大丈夫だ。もう君が路頭に迷うことなんてないよ。他に、何か今すぐ聞いておきたいことはないかい?」
予想外にも、彼らの仲間意識は強かったらしい。ミリアは大人しく甘えることに決めた。それが、忘れる前のミリアが考えていた通りの流れなのだと感じられたのだ。これから、ここで暮らすことになる。
「……今は、ありません」
それなら、今分からないことも急いで知る必要はない。だからミリアは短くそれだけ答えて、調査の結果が出るのを静かに待つことにした。
年齢の割にアレンミリアともに早熟なのは、支配者の血が一番大きな原因です。
詳しい説明はもう少し後にしっかりと行います。