アレンとミリア
アレンに言われた言葉の意味を、しばらくミリアは理解できなかった。一回深く呼吸をして、よくよく考えなおす。口説くは別に男女間の恋愛だけで使う言葉ではない。相手に自分の要求を呑んでもらいたい時にも使う言葉だ。そして、アレンはこれまでもしょっちゅうミリアに頼み事をしてきている。これまでのような軽いものではなく、少し重い頼みごとをしたいということなのだろう。
直前にレティにあんなことを言われてしまったため、思考が一瞬その可能性を追ってしまったが、二人でまずないと判断したではないか。
「そんなに意外だったかな?」
「……なんでもない」
動揺した様子を見て不思議そうに問われる。これは、間違いなく説得したいの方の口説くだ。勘違いした自分が馬鹿馬鹿しい。レティとあんな話をしたせいだ。そう、勝手に責任転嫁をする。
「それで、私に何をしてほしいの?」
これまでも、割と寛大に色々と譲ってきた気がする。しかも、その当時はこんなに丁寧に頼まれた覚えはない。はっきり言って、これから何を頼み込まれるとしても、大変なことに変わりはないだろうという予感しかしなかった。
「うん、平たく言うと、僕に協力して欲しいんだ。全面的に」
「……それだけのために、わざわざ呼んだの」
だが、アレンの頼み事はとても曖昧なものだった。だから、ミリアは確認をする。それが、どれだけの覚悟が必要な約束になるのかと。
「それだけ、じゃないよ。全面的に協力をお願いしたいんだ。この頼みごとをするときには、皆に一対一で話してお願いしてきた」
「皆って、誰?」
「今のところは僕と学舎で一緒の三人。ウォルトは二つ返事だったけど、ハルとスーにはちゃんと説明したよ。何をやろうと思っているのか」
やはり、何か特別にやりたいことがあるらしい。そう推測して、ミリアはアレンにその内容を尋ねた。
「アレンは、何がやりたいの?」
普通に民のためになる政治を行うだけなら、こんな約束が必要だとは思えない。民のための政治は、一族の共通理念だ。こんな風に頼まなくとも、現状をよりよくするために必要なことなら皆二つ返事で協力してくれるだろう。
「僕はね、門の中にもしっかりとした秩序を与えたいんだ。ミリアは言ったよね。門の外は門の中に比べて、ずっと生きやすいって。僕はね、生きることや自由を得ることにさえ苦労している人がいるのが嫌なんだ」
さてどんな改革が飛び出すのだろう。そう考えてめったなことでは驚かないようにしようと考えていたミリアだったが、アレンが言った言葉の意味は一回聞いただけでは理解しがたい内容で。
「つまり、門の中を門の外に取り込みたいってこと……?」
「垣根を無くして、境界なんてなかったことにしたい、かな」
確認のために、一度聞いてみる。結果、言いたいことは理解できたが、その内容にはまったく納得できなかった。まず第一に。
「二人は、できるわけないって、言わなかったの?」
「もちろん言われたよ」
二つ返事で約束したウォルトはともかく、他二人はこの絵空事を受け入れて約束したということだ。いったいどうすれば、こんな理想だけで終わってしまいそうな提案を本気にさせられるのか。
「言われて、そこから説得した。だからミリアも、僕の考え聞いてくれないかな」
「……聞いてあげようじゃない」
こんな絵空事をどんな理論で説得したのかはとても気になるので、ミリアは大人しくアレンの考えを聞くことにした。
「まず、門の中と門の外は約三百年前の革命の時に分けられた。それまでは、そんな区切りなかったんだ」
「うん、それで」
当時なかったと言っても、三百年も続けば既に定着している。それが、垣根を無くす理由にはなりえない。
「旧王家が自分たちの領地を残したなんて言われていたけれど、その考えだと色々とおかしいんだよね。門番を置いているのが門の外側だけだったりとか」
「そりゃ、来る者拒まずで商売しているんだから、入ってくる人の拒否なんてしないでしょ」
門の外からの来客が無ければ、門の中は成り立たない。ほとんどが、観光客向けの商売を行って生活しているからだ。入る人を制限していては、それだけ利益が減ってしまう。
「他にも、逃げた割にはちゃんと統治をしていないとか色々と不整合があるんだけれど、それは今はいい。僕の動機は、門の中が無法地帯なのをどうにかしたいってことだから。昔から、弱者に対する保護が一切ないっていうのをどうにかしたいって考えていたんだ。ある程度の想像はしていたけど、そこで生活していた体験を聞いて想像以上だったよ。でも、力が全てならこちらからのやりようはいくらでもある」
門の中では、持っている力が全て。だから、弱い者は蹂躙される。ならば、全てを圧倒できるほどの力を持てばいい。理に適っている。そしてその方法もアレンは既に固めていた。
「ミリアに聞いた話を総合して考えると、輸送される食糧の販売先をこちらで全て握ってしまえば、そんなに無茶しなくても統治権限が転がり込んでくるんじゃないかな?」
確かに、その案は現実的だ。門の中では食料の生産をほとんど行っていない。門の外から運ばれてくるものが、唯一の食糧源だ。そして、門の外が絡んでいるなら、なんとでもできるのが一族の権力だ。門の中内に食料を輸送している人に交渉を行い、一族の手の者にしか販売しないようにすればいい。食料は生命線だ。すぐに大きな力を持てるだろう。その後は、その力を後ろ盾に思うままに改革を進めればいい。
「ね、不可能じゃないでしょ?」
「確かに、この方法なら不可能じゃない」
確かに可能だ。絵空事ではない。それをミリアは認める。数年単位にはなるものの、食糧の輸送経路を全て握る程度のことは、一族なら可能だ。
「だから、ミリアにも協力して欲しい。中を知っている人がいたら、色々とスムーズになるだろうから。これで、門の中も住みやすくなるし、いずれ門の外との境界もなくなる。全ての人が現状門の外が与えている保護を受けられて、安全と自由を保障されるんだ」
アレンのその言葉を聞いて、ミリアも思い浮かべてみた。危険な場所がなくなって、どこもかしこも一定基準の安全が保たれている状況を。
どこを歩いていても、安全性に変わりはない。門の中がそうなったらどうなるだろう。売っている物を求めて更に多くの人が訪れるようになるだろうか。だが、ルールが一緒になるなら、当然販売できる物も同じになる。門の外と同じ物しか売っていない場所に、はたして人が集まるだろうか。
それに、どこもかしこも同じだけ安全ということは、どこもかしこも同じだけ危険ということにはならないだろうか。今、門の中で発散されている悪意が、全てランディック中に溢れ出すとしたら。
そして何より、門の中で生活していた当時、ミリアは誰かに助けて欲しいと思っていただろうか。何を行ってもいいというルールの無い環境に、恨みを抱いていただろうか。
「そりゃたしかに!」
気が付いたら、言葉が感情のままに溢れていた。急な叫んだミリアにアレンがすごく驚いている。それを見て、ミリアは少し落ち着いて、今度は頭の中を整理しながら話し出した。
「そりゃたしかに、その方法なら門の中と門の外の統合はできるでしょう。けど、それを行った結果をアレンは考えてる?」
「だから、どんな人でも安全に自由に生きられるようになるって」
「甘い」
アレンの言葉をミリアは途中で遮った。そんな考え方では甘いのだ。理想だけを追いかけていて、現実が見えていない。
「今、門の外で犯罪がほとんど発生していないのは、捜査がしっかりしているのもあるけれど、捕まるリスクを冒してまで門の外で行うより、何をやってもいい門の中で行った方がいいからだってことは分かってる?」
「うん、でもそれはなんとかするよ。今よりも警備を厳しくすればいい。犯罪を起こしそうな人に予め当たりを付けておいて監視するとか、方法はいくらでもあるから」
一応、現実は見えているらしい。では、現在門の中である場所に、人が集まらなくなる可能性はどう見ているのだろうか。
「同じ秩序にするってことは、今門の中でしか入手できない物の販売が禁止になって、その結果繁華街に閑古鳥が鳴いて多くの人が生活に困るようになると思うんだけど」
「大きな繁華街なことには変わりないし、人が一気にいなくなるとは考えにくいかな。売れなくなるものを販売していた人には他の職を斡旋するし」
「その結果売れなくなる物を手に入れたい人はどうなるの?」
「それは、諦めてもらうしかないね。もともと、売り買いしちゃ駄目な物なんだし。啓蒙活動はしっかり行うよ」
ただ理想を追いかけるのではなく、それに伴って生じる問題の解決方と落としどころは考えているようだ。でも、だからこそ、ミリアは納得ができない。
「ねぇアレン。そんな街で暮らすのって、幸せだと思う?」
犯罪を起こさないか監視され、公序良俗に反する娯楽は著しく制限される。それが果たして、幸せだろうか。
「確かに、死ぬ心配はなくなるし、誰かに身体の自由を奪われる心配もなくなる。けれど、アレンが思い描く通りになったら、すごく生き苦しい」
「でもっ!」
「でも、何? 反論があるなら言ってみればいい」
「……」
アレンは何かを言おうとして、でも何も言えないようだった。それはそうだろう。現状を思えば、民への過度すぎる干渉になる。たぶんそこまでは、アレンの思考の外だったのだろう。だが、思い至らなくても仕方がない。結局のところ、アレンは門の中で過ごした経験がないのだから。
「あのね、アレン。門の中で暮らしている人たちは、秩序がないことを別に恨んではいないの」
「でも、ミリアは門の外が生きやすいって」
「うん、生きやすい。でも、それは門の中があるから成り立っている生きやすさ」
ミリアは、門の中で案内人をしていた時に、様々な目的を持った人に会ってきた。春を買うために来た人、門の外では出版できない内容の本を買いに来た人、延命のために生気を購入しにきた人。様々な目的を、門の中は全て受け入れていた。
すべてを守るからこそ得られない物を、門の中が請け負っているのだ。
「統合することはできると思う。でも、それを行ったら今平穏に暮らしている門の外の人々は幸せじゃなくなるんじゃないかな。それでも、強行するの?」
門の中と門の外。人口比では明らかに門の外が多い。政治的判断としては、門の中の現状維持が正しいだろう。
先ほどからアレンはじっと考え込んでいる。考えてもいなかったことだろうし、ずっと考えていたことを急に諦めるのも無理だろう。だから、ミリアは今すぐ決めなくてもいいから、ゆっくり考えたら。そう言おうとした。
「アレン」
「ミリア」
が、互いに同時に名前を読んだためにそれ以上の言葉が止まってしまう。
「いいよ、アレン。先に言って」
ここは、自分が譲るべきだろう。そう判断して、ミリアはアレンに先を譲った。
「ありがとう、ミリア。あのさ」
アレンはそれをありがたく受け入れて、止めてしまった言葉を続けた。今までミリアが見た中で、一番真剣な表情で口が開かれる。
「僕のために生きてくれない? その気になるまで、いつまでだって待つからさ」
「……はい?」
なんでこの話の流れでそういったことになるのだろう。前から難解な性格をしていると思ってはいたが、今回は本当にアレンが何を考えてその結論に至ったのか、ミリアにはさっぱり分からなかった。
ミリアじゃなければ、アレンは止められなかった。
というところがポイントです。




