自由の地の権利構造
図書室は、バカップルが醸し出す教室の空気から逃げ出した、ミリアとレティの安住の地であった。用もないのに来る人はいないし、本を探しに人が来ても用が済んだらすぐに立ち去っていく。故に、閲覧スペースは二人が独占状態だった。そう、昨日までは。
二人がいつものように閲覧スペースで本を読んでいると、転移盤の上に人が現れる。そのまま、二人がいる場所に近づいてきて、
「やあ、ミリア、レティ」
そう声をかけられたため、昨日とは違い集中していてもミリアは気が付いた。
声をかけてきたのはアレンである。ミリアは、昨日来た時に借りていった本でも返しに来たのかとミリアは思って、顔を上げる。
「こんにちは」
「……こんにちは」
レティは相変わらず、挨拶はするものの警戒心は解けないようで、声が少し硬かった。もっとも、ミリアの声色だとて、決して友好的なものではないのだが。
そして、それだけの会話をしている間に、もう一人が転移盤の上に現れた。まさかと思ってミリアが視線を向けると、転移してきたのはウォルトだった。昨日の今日だ。レティはまだ消化しきれていないだろうし、ウォルトだって同じだろう。実際、互いが互いの姿を認めた瞬間、お互いに視線をあからさまに逸らした。
だがしかし、よく考えれば偶然のはずだ。本を借りたなら返さなければならない。アレンはミリアとレティが普段休憩を図書室で過ごしていることは知らないだろうし、避ける必要があるとすら考えないだろう。
「あれ、ひょっとして二人とも毎日この時間ここにいる?」
「そうだけど」
気づいたなら時が二人の心情を緩和してくれるまでもうしばらくここにウォルトと二人では来ないでくれるだろう。今日だけは、仕方がないことだが。だから、すぐに用を済ませて帰ればいい。そういった意図を込めて若干冷たく言葉を返したのだが。
「あー、じゃあ、これから僕もこようかな。色々聞きたいことあるし」
「はい? っていうか、一日一つって約束!」
あろうことか、アレンはそんなことを言い出した。まあそれでも、約束は別にしてアレンだけしか来ないのなら問題ないのだ。だが、なんとなく、なんとなくなのだが、アレンが来るなら間違いなくウォルトが着いてくる気がするのだ。そんな考えが浮かんでは消えた一瞬の後、頭の中に直接声が響く。
「会ってお互いがどういう人間か知るのが一番だろうからさ、頼んだ」
一瞬驚いたが、どうやらアレンが遠話スキルを使って、ミリアにだけ言葉を伝えたらしい。まったく便利なものだと思う。ミリアのスキルは、日常で役立つ機械などほとんどないというのに。
「……あーもう、いいけど! その代わり、夜は無しだからね」
「うん、それでいいよ」
ミリアが折れて了承すると、アレンはミリアの向かいに座った。長方形の六人掛けのテーブルの真ん中の椅子である。
「ね、ウォルトも一緒に話していこう?」
アレンの呼びかけで、ウォルトも同じテーブルについた。座ったのは、向かいに誰もいない席。つまり、レティとの対角線上だ。昔、レティに同じことされたなあとミリアは思い出すが、今は懐かしさに浸るような精神的余裕はない。隣から発せられる敵対感が、余裕というものを削り取っていく。
だが、アレンはそんな様子に対しまったく頓着していないように話を進める。ミリアは素直に尊敬を覚えた。気づいていないわけでもないのに、完全に無視してしまっているのだ。もっとも、それには若干の呆れも含まれているのだが。
「せっかくじっくり話せるんだし、そうだなぁ……。誰が門の中を整備しているのか、分からなくてもミリアの意見を聞きたいな」
これまで、入学してから十二日間で、アレンは最初に校長が漏らしただろう内容を聞き終わると、門の中の様子を主に聞いていた。だからこそ、思ったのだろう。何もかもが自由とされている場所で、なぜ町の整備が行き届いているのかということに。
要所要所に設置されている転移盤に、大通りには必ず配備されている街灯など。管理者がいなければ、それらは成り立たない。町並みの様子を話すだけでそこにたどり着くのは、教育の賜物だろう。知識を得たら、そこから色々と考える。そういう能力を伸ばすための授業を行っているのだから。
「門の中で暮らす人は、普通名字を持たない。皆、名前だけ。でも、一つだけ例外がある。それは、町の管理人であり、最高権力者の証。ブラストロウという名字が、代々受け継がれている。これは、血じゃなくて前の人が次を決めて受け継がせるの。相応しい能力がある人にね」
下手な人間が継いだら門の中が崩壊しかねない、そんな権力が存在するのは誰かがまとめていないと町は崩壊していくばかりだからだ。町の整備だけではない。門の中のライフラインとなる事業は、すべて一人の手に集められている。
「一人が、全部決めているの?」
「門の外だって、代表は一人じゃない」
「毎年決め直すし、決める時に不正は絶対に入らないよ。でも、門の中の代表はずっと変わらないんだろう?」
「ブラストロウの名を継いだ者は、あまり権力を振るわない。重要な事業は独占してるけれど、基本的に商売として誠実に行っているし、町への干渉なんてそれこそ設備が壊れたから補修する、ぐらいのもの。それなのに権力を集めるのは、町の補修を止められるからでしょうね」
いつからその立場ができたのかをミリアは知らない。だが、なんの権力も持たない者に補修を行う権限を与えても、同業他社の商売を妨害しようとする者の圧力に負けて補修できないだろうことは分かる。権力が先か、立場が先かは分からないが、最高権力者が町全体を手入れする権限を有するのは合理的だろう。
「ま、逆らったら終わりなのには変わらないけれど。逆らわないといけないような理不尽な真似をしていないだけで」
ミリアの知らないところで行っているかもしれないが、門の中での通説はこちらである。自分が生きるので精一杯の層には、町の整備を代わりに行ってくれるありがたい存在でしかない。
「へー。ウォルトは、このことどう思う?」
「え、俺?」
ひとしきりミリアが言い終わると、アレンはウォルトに意見を求めた。振られるとは思っていなかったのだろう。ウォルトは素っ頓狂な声を上げる。正直、ミリアも二人だけで話すものだと思っていたので驚いた。声に出すほどではなかったが。
「……合理的ではあるが、なんでそんな仕組みが根付いたんだ。普通自由に任せたら無理だろ。一度権力が集まったらそうなるのも分かるけどな」
「生命線の事業一手に握ってるなら、そっちが先なんじゃないかなぁ。生殺与奪握られてるようなものだし」
アレンはウォルトの意見に言葉を返すと、更にこう続ける。
「じゃあ、レティはどう思う? 門の中において、街の機能を維持するためのこの仕組みについて」
今度は、ミリアは予想できていた。レティは言葉で話さず、ただただ考え込んでいる。しばらくそうしていた後、ゆっくりと口を開いた。
「ええと、街の機能を守るために必要なことだから、最初に権限集中が提唱されたと、思います。権力を既に持っている人が、街を守ることに心を砕くなんて、考えられないような……。どうなっても、放っておくんじゃないかなって」
「そうだね。権利を自力で手に入れて、そんな雑用みたいなことしたいなんて普通思わないと思うんだよね。それが楽しい人もいるだろうけど、一般的にはさ」
そう返して、アレンは言葉を一度切る。そして、
「ミリアも分からないって言ってるし、ここまでにしよっか。ただ、管理義務が先なのか権力集中が先なのかは、もう少し考えてみて欲しい。きっと、新しい発見があるんじゃないかな」
そう言って、その場をしめた。アレンが二人に話を振ったおかげでほんの少し和らいでいた空気がまた元に戻る。
「そろそろ休憩終わるし、教室戻ろっか」
「ちょっと、まだ私の質問終わってない」
「夜に遠話するから、それでいい?」
「まぁいいけど……」
せっかく少しだけ和らいだのに、終わりの合図で元に戻ってしまったレティを見ながらミリアは答える。夜の遠話は、おそらく今の話題の反省会もするのだろう。仲直りできるに越したことはないが、この様子でできるのだろうか。アレンにいったいどんな考えがあるのか、問い詰めるなら今夜遠話が始まった時だ。
門の中の政治形態の詳細は、もう少しお待ちください。




