指輪の意味
ミリアとレティは二人で図書室に来ていた。現在は昼の休憩時間である。別に教室で過ごしていけないわけではないのだが。
「クレア、本当に君はいつ見ても綺麗だね」
「ルーサーこそ、いつだってかっこいいわ」
こんな胸焼けがしそうな会話が延々と繰り広げられている教室で過ごすのは気が進まない。休憩時間を教室で過ごさなければいけないわけではないので、二人はいつも教室から離れている。図書室を選んでいるのは、読書スペースがあってくつろげることと、ミリアが本を読みたいからだ。
入学前の数カ月の間で、学舎の勉強についていくために必要な知識は吸収したが、引き籠って勉強していたため、門の外での町の文化や風習というものがいまいち掴めていない。休みの日に町を歩くにも最低限の良識は必要だし、なにより用もないのに無暗に町に出歩かないほうがいいと止められた。
黒い目は、見かけるだけで人を委縮させる。それを聞いて実際心当たりがあったため、ミリアは町を自分の目で見るのは、しばらくの間諦めることにした。必要な用であれば、外見を偽る能力が付与された眼鏡を貸してもらえるらしい。ならそれまでは、知識を拡充させておくべきだ。
そういうわけで、現在ミリアは学舎で時間が空くたびに図書室にきて、風習や文化についての記録を読んでいた。門の外と門の中。何が共通していて何が異なるのか。そういう点を見るのも面白い。
今ミリアが読んでいるのは装飾品が示す意味だ。この分野は共通している必然性が薄いからだろう、ほとんどが門の中と門の外で異なっている。
それに、そもそも門の中で装飾品にお金がかけられるような層とミリアは交流がない。もしくは、あったかもしれないが門の外に来る際の記憶封印で封じられているため思い出すことができない。装飾品に金銭をかけられるということはそれだけ暮らしに余裕があるということで、門の中でそこまで暮らしに余裕を持てる人間はほとんどいないのだ。
そんなわけで、どの情報もミリアには新鮮だったのだが、中でも面白いと思ったのは、指輪のデザインやはめる場所で意味がまったく変わることだった。
一般に、もっとも多くの人が着けている指は左手の中指だ。普通、この指に嵌めている指輪は特に意味を持たない。しかし、その指輪に人名が彫り込まれている場合のみ意味が変わる。それは、既婚者の印だった。彫り込まれている名前は、結婚相手の物である。
結婚しているからと言って必ず嵌めなければいけないわけではないが、愛情の表現として結婚の際に相手に送る風習がある。よほど貧しくない限り、既婚者は所持しているのが普通だと本には書かれている。また、結婚していなくても、揃いのデザインを恋人間で嵌めていることは多いらしい。この場合は、二人が揃っていないと恋人がいると見分けることができないが。
反対に、最もつけている人を見る機会が少ないのが、左の薬指らしい。この指に指輪をはめているということは、たった一つのことを意味する。それは、対となる指輪を持つ者が自分にとって一番大切な人だということだ。だが、ミリアはその意味がわざわざ設けられている理由が分からなかった。
恋する人の規定があるにも関わらず、なぜ別に項目が設けられているのだろうか。ミリアがここまで得てきた門の外の知識では、その人にとって一番大切な人は恋人であり、その結果得られる家族だ。子供に対になる指輪を持たせるにしても、二人以上いる場合、一番大切という条項と矛盾する。夫婦の間なら、中指の指輪で十分だ。
門の外での常識が備わっているのならばこの本の説明分だけで十分なのだろうが、あいにくミリアはそれを持ち合わせていない。図書室内にいるだろうレティを呼んで聞いてみよう。そう思ってミリアが顔を本から上げたところ。
机の向かいに座ってこちらを見ていたアレンとばっちり目が合った。
「やあミリア」
「……人が集中して本を読んでいるの、そんなに面白い?」
いつからこの状態だったのかが分からない。そもそも、なぜアレンは静かにこちらを眺めていたというのか。用があるなら声をかければいいというのに。
「読んでいる途中で不可解な表情になって、そのままずーっと考え込んでいるのを見るのは、確かに少し面白かったかな」
アレンのその言葉を聞いて、ミリアは憮然とした顔になった。そのまま不機嫌さを隠そうともせず黙り込むミリアに、アレンは更に言葉をかける。
「それで、何が分からなかったの?」
少し楽しそうに聞いてくるその態度に若干の苛立ちを覚えながらも、レティが現在近くにいない以上アレンに聞くのが一番手っ取り早い。
「ここ、左薬指に指輪をはめる意味。恋人や夫婦を示す物があるのに、わざわざ一番大切な人という定義がある意味が分からない」
そういうわけで、ミリアはアレンに疑問をぶつけてみた。聞いたアレンは、少し不思議そうにした後、納得したような表情になる。
「あー、そうか。そこまでの覚悟がある人がなかなかいないから、大抵の人の大切な人の最上位は恋人や家族になるからね。左薬指に指輪を嵌める意味はもっと重い。僕から説明してもいいけど……、たぶん、ルーサーとクレアになんで左薬指に指輪を嵌めないか聞いてみると一番納得できるんじゃないかな」
アレンは、初対面で互いに恋に落ちた、ミリアの同級生たちの名を出す。確かに、現在恋愛真っただ中の二人から違いを説明されれば、より納得ができるだろうが。
「上手く説明できないんでしょ?」
「そんなことないよ。そうだな、一つ言うなら、覚悟の違い。そして、対の指輪を贈られた相手は、必ずしも嵌めなくてもいいということ」
後半部分は確かに大きく異なるが、前半は結局何が違うのかが分からない。これ以上は、アレンは答えてくれる気はないようだ。
「まあいいけれど。答えに繋がらないヒントしかくれないアレン先輩より、仲のいい同級生を頼らせてもらうから」
若干の皮肉を混ぜながら、ミリアは開いていた本を閉じる。少し早いが、二人に聞くならこれぐらいで戻った方がいい。そのことを伝えようと、ミリアは書架の間にいるだろうレティに届くように、声を大きくして呼びかける。
「レティ、そろそろ戻ろっか」
返事はない。が、響く足音が少しずつ大きくなっているため、レティは声に気づいて戻ってきているところだろう。が、それにしては足音が多い気がする。そんなことをミリアが考えていると、書架の奥からレティの姿が確認できるようになる。そして、次の瞬間、本棚の交差点で走っていた誰かとぶつかって、レティの姿勢がよろけた。
「え、レティ、大丈夫?」
慌てて駆け出そうとすると、アレンに止められる。
「走ると危ないよ。見通し悪いんだから」
「でも!」
「ミリアまで、誰かとぶつかりたいの?」
焦りはするが、確かにアレンの言うとおりだ。ミリアはできる限り早足で音がした方に向かった。アレンも、それに黙ってついてきた。
予想外の衝突は、どうやらかなり痛かったらしい。ミリアが側に来た時、レティは涙目で座りこんでいた。そのまま、ミリアの脚を盾にして、ぶつかった相手との障壁にする。どうやら、痛みだけでなく急に現れた相手に対する恐怖心もあるらしい。
「レティ、大丈夫だから」
ミリアは目線を合わせるためにしゃがみこみ、頭を撫でる。その間にアレンはぶつかった相手に説教をしていた。
「ウォルト、今のはどう考えても見通しの悪い図書室で走ったウォルトが悪いよね」
「そろそろ時間だっておもったから」
「うん、僕はそれ知ってるから、まずは謝るべきじゃない?」
前方不注意で走っていたのはウォルトだった。彼は少し逡巡した後、思い切ったように口を開いた。
「悪かったな、コレット・コールドウェル」
その言葉を聞いて慌てたのがアレンとミリアである。謝っているが、謝っていない。態度も呼び方も、謝罪とは程遠く言わされていると感じられるものだった。それを聞いたレティは最初ぽかんとしていた。が、徐々に理解したのか、顔が険しくなる。
「いいえ、私が避けなかったのが悪かったの。だから気にしないでくださいね、ウォルト・プロトガルド」
ミリアは、怒っているレティを見るのは初めてだ。いつも怯えている様子とは打って変わって、静かな怒りを目に湛えている様子はなかなかに凄みがある。ウォルトはそんなレティに少し怯んだようだった。
「ミリア、教室に戻るんだよね? 行こ」
そう言って歩き出してしまったため、ミリアはついて行くしかない。怒る理由も分かるので、ミリアは黙って後を追いかけた。
教室に戻ると、相変わらずルーサーとクレアがいちゃついていた。そんな二人の様子を見て、レティも少し毒気を抜かれたらしい。ミリアは幸せそうな二人を邪魔するのは気が引けたが、かといって分からないことをそのままにしておきたくもない。
「ごめん、二人とも、ちょっといい?」
「え、ミリアもルーサーのいいところ聞きたいの?」
「いやそうじゃないんだ、ごめん」
平常運転である。分かってはいたが。
「あのさ、二人は左薬指に指輪を嵌めようって考えはないの?」
そのまま付き合うと長くなるので、ミリアはさっさとアレンに言われた通りに尋ねてみた。すると、二人の顔がとんでもないという表情に変わる。揃って変わっていく様は、なかなか面白かった。
「ミリアは、左薬指に指輪を嵌める意味、知っているのかい?」
「対の指輪を持っている人が、一番大切だっていう意味でしょ?」
ルーサーの問いにミリアが答えると、今度はクレアが説明する。
「合っているけど、それだけじゃないの。左薬指の指輪は、相手に自分のすべてを捧げられるという意味。他のなによりも、相手を一番に選ぶという誓い。この意味、分かる?」
分からなかったので、ミリアは首を振る。すると、二人は決定的な違いを教えてくれた。
「相手が望むことなら、相手のためになることなら、なんだってやるしできる。左薬指の指輪は、そういう意味がある。例えば、ミリアが溺れそうになっているところに僕とクレアが居合わせたとする」
「この場面でルーサーがミリアを助けようとしたところで、私がルーサーが危険にさらされるから助けに行かないで欲しいって言う。それを、ルーサーも受け入れる。左薬指の指輪には、それぐらいの意味があるの」
友人を危険の中に放置しても、相手が危険に曝されないことを望む。友人の危機であっても、相手が望むならその願いを優先する。それぐらいの覚悟がある者が身に着けるのだと、二人は実例を出して教えてくれた。
「だから、それを相手には強要しない。対の指輪は、渡すだけ。もちろん、贈った相手もつけてくれるなら嬉しいことだよ。でも、それはほとんどない」
最後に、レティが付け加えた。確かに、そんな覚悟を互いに持てる人はそうそういないだろう。恋や家族と、明確に区別されている理由はよく分かった。
「でも、そんな少数しか使わないような風習、よく残ってたものね」
実際に行っている人が少ないなら、すぐに廃れてしまいそうなものだが。その問いの答えは、レティから返ってきた。
「ミリア、自分が一番に想っている相手以外はどうとでもできる人、区別がつくのとつかないの、どっちがいい?」
「……なるほど」
特定の一人以外はいつでも切り捨てる覚悟があるということは、自分が仲良くなったとしても切り捨てられる可能性があるということだ。それは、見分けがついた方がいいだろう。実践する人がいなくても、伝える人が沢山いる。廃れるわけがない風習だった。




