入学の日
入学までの期間は、あっという間に過ぎていった。最低限の知識と言われた分厚い一冊の本の内容は頭に入れられたが、本当にそれだけだ。その知識をどのように使えばいいのか、応用は間に合っていない。
レティに言わせれば、ミリアは頭がいいから知識さえあれば授業では困らないとのことらしいが、使い方そのものを学んでいるレティや他二人の同級生とは最初は違うだろうと思っている。4人のスピードに合わせられるという授業で、足を引っ張らないかが心配だった。
そういうわけで入学当日、ミリアは緊張しながら学舎にやってきた。新品の白いブラウスに茶色と黒のチェックのスカート。真新しい制服に身を包んで、ミリアは数か月前、自分が記憶を無くして途方に暮れていた場所に戻ってきた。
建物を見て、どうしてその場にいるのか分からない状態だった自分を思い出す。だが、あの時と今では状況が何もかも違う。
まず、どうして自分がここにいるのかちゃんと分かっている。次に、一人ではない。同じようにというか、同行者はミリアよりも緊張しているが、一人ではないというのは、それだけで心を軽くさせた。
春先の風が学校前まで転移してきた二人を撫でていく。暖かさを含み始めたそれは、晩秋の朝の凍えるような空気とは何もかも違う。
「いこっか」
緊張を風に乗せて吹き飛ばすように、ミリアはレティに声をかけた。隣で頷くのを確認して、ミリアは門の中の転移盤の上に乗る。行先は、割り当てられている教室だ。
教室に移動すると、既に一緒に学ぶ二人は揃っていた。それは、ミリアの想像の範囲内だった。集合時刻にはまだあるが、早すぎる時間というわけでもないからだ。だが、そこで行われていた二人の会話が問題だった。
「君がこの部屋に現れた瞬間、世界の色が変わったかと思った。いや、実際に変わっている。君がいる世界だということで、僕の世界に対する見方が変わったのだから。お願いです。付き合ってください」
「私も同じ気持ちです。一目見て、あなたしかいないと思いました。こちらこそ、よろしくお願いします」
言い切って深々と頭を下げる少年と、それを見て同じように頭を下げる少女。二人とも、ミリアが入ってきたことに気が付かず、二人だけの世界に浸ってしまっている。
「ねぇ、ミリア。あの二人、どういうことなの?」
後から転移して教室にやってきたレティが不思議に思うのも無理はないだろう。一部始終を見ていたミリアにもわけがわかっていないのだから。
「ねえレティ、学舎では入学当日に愛の告白をするのが普通なの?」
「え!? ……年の近い異性の一族が集まる場所だから、将来の伴侶を見つけるって意味も学舎にはあるけれど、当日にいきなりは普通じゃない、かな」
ミリアの質問に最初は訳が分からないという表情をしていたレティだったが、ミリアの真剣な表情と同じ部屋にいる二人の様子を見て次第に察したらしい。少し呆れた声をしながら、ミリアの欲しかった説明をくれた。そして、蛮勇なことに二人に向かって声をかけてくれる。
「あの、二人は今回の入学生、ですよね……」
「あ、はい。私の名前は、クレア・サンダーフロウです」
「クレアっていう名前なんだね。なんて素敵な名前なんだろう。僕は、ルーサー・ヒットライト。よろしく」
「ルーサー。これから、この名前は私の一生で一番大切な名前になるわ。よろしくね」
ミリアは、名乗ってさえもいなかったのかと心の中で呆れ返る。二人は自己紹介してくれたが、これはレティとミリアが自己紹介してもいい空気なのだろうか。レティも同じことを悩んでいるようで、二人は顔を見合わせる。
目の前でいちゃつき始めた二人がこちらに興味を持つまでそっとしておくべきだろう。そう判断して、ミリアとレティはひっそりと教室の隅っこに移動した。
なぜか気配を潜めながら、ふと、ミリアは思い出す。今日学校に来たらアレンがミリアの教室で待ち構えていて、数か月前の続きとばかりに途切れない質問をしてくるのではないかと密かに考えていたことを。てっきり、あの知的好奇心の塊は、それくらいのことはすると思っていたのだが。
実際は、ある意味それよりもすごいものに出くわしたわけで、アレンぐらいたいしたことではないのかもしれない。しかし、3月にまた会えるのが楽しみだと言っていた割には、のんびりしているような印象を受ける。まさかミリアが言ったとおりに、この数か月の間に自分の足で門の中に言って確かめてきたのだろうか。
アレンならあり得そう、と思うと同時に少し寂しく感じたのを、ミリアは慌てて否定した。あんな迷惑な人間、関わらないですむならその方がいいに決まっている。一人でいたところを見つけてくれたから、少し親近感を感じてしまっているだけだ。
レティと二人、教室の隅でなぜか気配を小さくしながら、ミリアはそんなことを考えつつ、集合時刻になるまでの時間を過ごした。




