ヴァヴィロフのアヴェ・マリア
ウラジーミル・ヴァヴィロフという作曲家がロシアにいた。
赤貧の中で亡くなった。
彼の作品は、生前、ほとんどが、別の人間の作品として発表された。
ヴァヴィロフは、おそらくではあるが、クリスチャンだった。
旧ソヴィエトの時代、キリスト教的なものは激しい弾圧を受けた。とある母親が子どもに、子守唄がわりに賛美歌を歌ってきかせただけで、つかまって収容所送りになった話もある。
そんな中、ヴァヴィロフは、「アヴェ・マリア」を作曲した。
「アヴェ・マリア。アーメン」
歌詞はこれだけだ。
しかし、この歌は、世界的に有名になった。たったこれだけの歌詞の歌だが、悲しみと苦しみ、悲哀と、それでもあきらめずに前を向く、そうしてわたしの全てを神の御心にゆだねよう、という祈りが、
歌にはあった。
さまざまな歌手がカヴァーして歌った。メロディの美しさと共に、たった二つだけのシンプルすぎる歌詞、それなのに胸に迫る歌として、広まった。日本でも、スラヴァという歌手の歌から評判になった。
「カッチーニのアヴェ・マリア」として。
ジュリオ・カッチーニは、16世紀、バロック音楽初期の音楽家だ。ヴァヴィロフは自分の音楽をよく、昔の音楽家が作曲したものとして発表していた。
「アヴェ・マリア」発表の当初は、「作曲者不詳」とされていたが、いつの間にか、カッチーニの作品であるとされ、そのまま世間に広まった。
ヴァヴィロフは、沈黙を貫いた。
過去の音楽家が作曲した音楽を発見しただけなら、罰せられることはない。
だが、現代の音楽家がアヴェ・マリアを作曲したと知られたら。取り締まりの対象になってしまう。
それがわかっていたからだろう。
たとえ、自分が作ったと知られなくとも。歌は残る。長く生き延びて、新しい時代にも歌い継がれる。
そんな思いも、あったのかもしれない。
アヴェ・マリア(ああ、マリアさま)!
ひたすら、そう叫ぶように歌うスラヴァも、作曲家の思いをどこかで感じていたのだろうか。
救いを求め、助けを願い、最後にはただ祈りとなるこの歌を聞くたびに、
苦しみの中にあっても、悲哀の中にあっても、善きことを、美しいものを求める人間というものを、考えずにはいられない。
2012年01月21日




