風邪とピアノ
今日、ピアノを弾いてきました。
私は教会に通っていまして、『奏楽』を担当しています。礼拝の中での音楽担当者です。元日は、教会で『元旦礼拝』があります。ピアノを弾いてきました。
キリスト教をあまりご存じない方でも、音楽が良く流れているのは何となく、わかるのではないでしょうか。現在の(いや過去もですが)キリスト教では、音楽が、礼拝の中で重要な位置を占めています。
それはさておき。
奏楽者と言うのは、孤独な役目です。礼拝の中でのBGMと伴奏を、一人で引き受けています。優先せねばならないのは、
「己を出してはならない」
これです。
目立ってはならないのです。自分のコンサートではありません。歌うのは、集まった会衆です。上手な人もいますが、ほとんどは、義務教育で音楽やりました、ぐらいの人です。中には音をはずす人だっています。音が取れなくて、うろうろしてしまう人もいます。
彼らが歌いやすいように、弾かねばなりません。
メロディははっきりと。伸ばす音がある場合、リズムが取れなさそうなら、即興で装飾音を入れ、リズムが取れるようにする。歌う人の様子を見て、年配の人が多いようなら、全体的にテンポを落とす。そうしてとにかく、自分を出さない。
個性的な音楽なんてやろうものなら、誰も歌えなくなるからです。
ひたすら影のように弾く。それが奏楽者です。
そうして、あくまで影の存在の奏楽者は、称賛を受ける事もありません。歌う人にとっては、できて当たり前。礼拝に参加する人には、牧師の話を聞くのがメイン。
礼拝が途切れることなく、スムーズに流れるように、演奏する。心の乱れた人が、落ち着けるように。疲れた人が、ほっとするように。決して目立たず、やわらかく、心に沿うように。流れるように。
だから称賛はない。称賛の声のないのが逆に、奏楽者には「やり遂げた」という事なのです。
しかし、奏楽者が目立ってしまう時があります。
間違えた時です。
静かな礼拝の中で音を間違えると、ものすごく目立つ。
視線が突き刺さります。ぐさぐさきます。
弁解させていただくと、礼拝で歌われる歌が決まるのは、うちの教会の場合、木曜日の夜です。連絡は金曜日の朝、遅い時には土曜日に来ます。
で、日曜日に本番が来ます。
練習できる日が一日、二日しかありません。
二日もあるんだから、良いじゃ~ん。と言われるかもしれませんが、一日も取れない時もあります。以前、連絡が遅れて土曜日の昼に来た時、私は仕事で夜十二時まで家に帰れませんでした。帰ったあと、二時まで練習して、次の日六時に起きて練習して、教会に行って弾きました。
ちなみに私のピアノ歴は、バイエル終わってブルグミュラーまでです。最初の一つか二つで終わりました。先生が結婚したので、引越してしまったのです。それきりやっていませんでした。真面目に習っていたわけでもないのに、なぜ今弾いているのだろう。そんなものなのか、人生って。
話題が逸れました。ともかく。奏楽者のプレッシャーは、ものすごい。
間違えてしまった時の、自責の念もものすごい。
だから、奏楽が順番が回ってくると、いろいろいろいろ、悩みます。体調の管理ももちろん、しなければなりません。よほど運の良い教会以外、音楽の担当者はどこでも大抵、素人に毛が生えたぐらいの人が担っています。中学までピアノ習ってましたー、という人は、「楽器ができる人だ!」と言われて即座に戦力に組み込まれます。バイエルしかやってなくても。
で、その日、弾くはずだった人がいきなり来れなくなると、他の人が弾かねばなりません。考えてみて下さい。何の準備もなく出向いた先で、いきなり楽譜渡されて、「今日の礼拝お願いします~、これ弾いて」と言われた場合、どれだけ愕然とするか。プロならともかく! プロならともかく、バイエル程度の人間にそれを言いますか!(された事あります)
どれだけ大慌てになるか、みなさんわかっているので、できるだけ、体調管理に気をつけて、自分の順番の時には休まないようにするわけです。
それでも風邪を引く時はある。熱が下がらない時はある。
ある日、熱が下がらない状態で、私は奏楽を担当しました。念の為、風邪薬を飲みました。眠くならないものを選びました。
しかし。異変が起きました。
ピアノを弾いている最中に、いきなり耳が聞こえなくなったのです。
後でわかったのですが、市販されている風邪薬には、耳が聞こえにくくなる副作用の出るものがありました。私が飲んだのはそれだったようです。
聞こえなくなる、と言っても、ちょっと音が遠いな、ぐらいで、日常生活には不自由が出ないレベルです。普通なら。
しかし、演奏している真っ最中の人間に、その現象が起きたらどうなるか。
パニックになります。
演奏中は神経使っています。目で音符を読みながら指を動かし、耳で自分の音と、歌っている人の声の様子を確認しながら弾いています。同時に四つ以上の事をしている。それをうまく調整しながら動かす、鍵の役割をしているのが、耳です。普段以上に、耳に神経使ってもいるわけです。それがいきなり、聞こえなくなる。
それまで普通に聞こえていた音が、聞こえない。なぜなのか原因がわからない。でも聞こえない。この、原因がわからないというのが恐怖の原因なのですが、わからないからパニックを促進します。余計、神経に負担がかかります。さらに聞こえなくなる、という悪循環が起こります。
それでも演奏は続けなければならない。みなさん、歌っている最中です。指を止めたら、音が途切れる。歌えなくなる人が出てしまう。
血の気の引く思いで冷や汗にじませながら、鍵盤を、楽譜を見つめました。一瞬で決断しました。
勘で弾こう。
その後は、自分がどんな音を出していたのかわかりません。聞こえなかったので。
後から人に尋ねてみると、一瞬、音が乱れたけれど、あとは普段と変わりなかった、との返事でした。違和感はなかったそうです。
その事を話すと言われました。
「ベタなドラマのようだ」
アレですね。悲劇のヒロインっぽく、ああっ、音が聞こえない! とか言いつつ、演奏するワケですね。それでもピアノを弾くわ、ワタシ! とか言いつつ。涙ふり飛ばしながら。
でも礼拝の奏楽って、ドラマあったら逆に困るポジションなんだって……。
とりあえず、それ以来。風邪薬は、漢方薬を飲むようにしています。
2010年01月02日




