捉えどころのない好き
「先生は、夏菜さんと結婚しないの?」
杏胡のほうは相変わらず、ベッドの中であろうとなかろうとお構いなしに訊きたいこと訊き、言いたいことを言ってくる。
まだ子供なのだと思えば、それまでなのだが、その根底に嫉妬の感情は見えない。
「20代30代は、仕事が面白い時期なんだ。夏菜くらい仕事ができれば、女だってそうだろう」
「ふぅん」
つまらなそうに、杏胡が伸びをする。まるで陽だまりの猫だ。
「先生はどうなの?仕事、面白い?」
「え」
ちょっと面食らった。僕は…と考えて、思わず正直に答えてしまった。
「僕は、与えられたものを受け入れるタイプなんだ。そうやって生きてきたから」
なんだか聞いたことのあるフレーズだ。
「それより、杏胡はどうなんだ。このまま高校へ行かないつもりか?」
「それ、つまんないよ」
「え?」
「つまんない大人が訊くような質問しないで」
「いや、でも。夢くらいあるだろ?」
「夏菜さんみたいにバリバリ仕事して、先生みたいなお医者さんの彼氏見つけて、とか?」
「夏菜のことはいいよ」
「どうして?罪悪感?」
「揶揄ってんのか?」
「だって」
「なんだよ」
ぷいと、そっぽを向いてしまう。かといって機嫌が悪いわけでもない。いや、むしろ機嫌がいいほうだ、今日の杏胡は。
「夢って絶対、持たなきゃいけない?」
「いや、絶対ってことは…」
「将来って言葉より、刹那って言葉の方が好き」
「なんで」
「なんか、ヒリヒリした感じがするから」
17歳の頃の自分は、何を考えていただろうと凌は思った。多少なりとも将来のことを考え勉学に励んでいたはずだが、よく思い出せない。しかし得体の知れない不安は、17歳のクラスメートの誰もが抱えていたような気はする。17歳は、そういう季節なのだ。
「杏胡、なんで僕なんだ?初めて会ったとき、おじさんって言ったじゃないか」
ずっと訊きたかったことを凌は口にした。
「はずみ?」
「はずみ?」
「だってあの夜、雨が降ったのも、先生に帰り道で会ったのも、お腹がすいていたのも、先生が料理上手だったのも、オムライスが好物だったのも、なんだか全部偶然な気がする」
わからない。
「でも、先生のことは好きだよ」
どんな風に?男としてか?それとも足長おじさんみたいなものなのか、僕は。
杏胡との捉えどころのない時間が、こうして膿んでいく。それを嫌いではない、と凌は思った。