傷を舐めあう猫たち
「おかしい」
凌特製のオムライスを食べながら、杏胡が笑う。
「おかしい?おいしいの間違いだろ」
銀のスプーンを半分咥えたまま、くすくすくすと杏胡はさらに笑う。
「だって」
「なんだよ」
テーブルに行儀悪く肘をついて、杏胡は凌を覗き込む。
「サラダまでついてる」
「嫌いか?野菜」
「そうじゃなくて」
「だから、なんだよ」
「ベビーリーフにパプリカ、生ハム、クルトン。こんなサラダ、男の人、普通つくんないでしょ」
「そうか?」
「そうだよ。オムライスだってお店みたいにおいしい」
そう言う杏胡の顔を見ながら、凌は不思議だな、と思う。
17歳になったばかりの杏胡と今年34歳になる僕は、17も年が離れている。つまり僕は、杏胡の倍も生きていることになる。
しかし経験上、親しくなればなるほど女というのは年齢差を越えてくる。やがて女のほうが、年上みたいな口をきき出す。杏胡もやがて、そうなるのだろうか。
「先生は、夏菜さんにも料理をつくってあげるの?」
夏菜が僕の恋人だということは、院内周知の事実だ。仕事柄、海外出張へも行く夏菜は、土産を持ってクリニックを訪ねてくることもある。
「そう言えば、一度もないな。ああ見えて、夏菜は料理が上手いんだ。」
「へぇ。仕事もできて、料理も上手くて、美人でお金持ち。パーフェクトな彼女だね」
生意気な言い方をする杏胡を、凌は揶揄ってやりたくなった。
「杏胡は、彼氏のために料理つくったことあるのか?」
「彼氏なんて、いたことないもの」
「なんだよ。17にもなって、ボーイフレンドの一人もいないのか?」
杏胡の顔が、急に淋しそうになった。凌は慌てて、言葉を繋いだ。
「これから、いくらでもカッコいい彼氏ができるよ」
杏胡が、ふいに挑戦的な眼差しになる。その心理を読み損ねて、凌は不安になる。
「でも。先生、あたし処女じゃないよ」
「え?」
杏胡はベビーリーフの入ったサラダボールに、フォークを突き立てた。
「こんな風に。強引に。生徒指導室で」
それだけで、十分すぎるほど、凌は理解した。杏胡の自傷行為、帰りたくない理由、不登校の訳。
「あはははは。ホントおかしい」
杏胡、笑わなくていい。笑わなくていいから。
「杏胡。僕はさ、認知された子供なんだ」
杏胡の泣き顔みたいな笑い顔が、中途半端に止まって歪んだ。
「僕の母は34年以上、僕の父である人の愛人なんだ」
凌は、自分が狡いと感じていた。でもそれ以外に、杏胡の傷口を舐めてやる方法が見つからない。
杏胡が、突き刺し続けていたフォークをぽとりと置いた。凌の方へ、その手を伸ばしてくる。やがて、中指と人差し指が凌の胸に触れる。
「ここ、痛い?」
「痛い、かな?」
「じゃあ、舐めてあげる。先生も舐めて」
ケモノになった2匹の魂は、初めて互いの傷を見せ合い、癒そうと舐めはじめた。
その日、気象庁が梅雨入り宣言をしたことを、ふたりは裸で抱き合ったまま、深夜のニュースで聞いた。