Air Mail
大人の事情だって?
あの夜のことを、聡子の言葉を思い出すだけで、凌は異様な怒りが込み上げてくる。
そんな無責任な態度を大人の事情というなら、子供たちは傷つけられ放題じゃないか。アンタ等のしたことは、猫を公園に捨てるのと同じことだ。誰かいい人に拾ってもらうのよ、と言って。もう仔猫でもなくなった捨て猫を拾って育てるなんていう、そんな奇特な人間がどれだけいるというのだ。
あれから何度、杏胡の携帯に電話やメールをしたかしれない。
ある日、この番号は現在使われていませんと、無機質な声で告げられるまでは。
夏菜との関係は変わらない。
いや、杏胡が突然いなくなった週末、凌は初めて夏菜と喧嘩をした。激しく感情を剥き出しにする夏菜を見るのも、初めてだった。
「なんで、いなくなったあの子を探すの?探してどうするの?凌はあの子の保護者じゃないのよ。そんな責任なんて、初めからないじゃない」
「じゃあ、このまま放っておけっていうのか?」
「父親がいるじゃない」
「海外だ」
「海外にいたって父親は父親よ」
埓が明かない言い争いは、一時間以上も続いただろうか。
「凌は、凌は私のものなんだから」
夏菜が泣きながら、澄ました仮面を脱いだ。
いま、凌は思う。
父さん、父さんは一つだけ間違っていたようだよ。文句だって、正論だって、なんだって言わなきゃダメなんだよ。
ベッドの中で本音を見せない女の喘ぎ声なんて、ウソっぱちだ。
本格的な盛夏がやってきた。
その夏の最高気温を記録した日、凌のもとに一通のエア・メールが届いた。イギリスからとわかる葉書には、こう書いてあった。
〈先生。私、9月からこの街の高校に通うよ。
一年生からやり直しだけどね。
夏休みだけど、手続きに学校行ったら、
校庭でダンスしてる子たちと友達になったんだ。〉
住所は書かれていなかった。
でもそのどこかわからない街で、欧米人と思われる数人の子達に囲まれて、葉書の中の杏胡が笑っていた。体格のいい子達の間で、小柄な杏胡がいっそう幼く見える。
でもお前、18歳になったはずだよな。
17歳だったお前は、もうこの世の中のどこにもいない。
なあ、杏胡。
僕はいつか、もっと大人になったお前に逢えるだろうか。
杏胡は、自分を通り過ぎていった瑞々しい季節だった、と凌は思った。
〈了〉