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第一章 『異世界送還』

 





 入学してから三カ月もたてば、さすがにそうであるべき高校生の在り方というのも自然と備わってくるものだと思ったのだが、まったくもってそういうことではなかったらしく、俺の日々の振る舞いの方に問題があるのだろうと考えてしまいたくなるのも当然の結果だといえる。


 それは今朝、俺が両手両足で数え切れないほどの遅刻数を記した結果、怒ると鋭角な唾を飛ばすことで有名な生活指導の富樫教諭に放課後三十分を使ってこってりとしぼられたせいでそう思うのかもしれない。


 徒歩で通えるくらいの近場にしたのがいけないのかな、いやいや徒歩で通えるからこそ華麗な高校生活を送れるに違いない、などと両者の主張がたえまなく頭の片隅で行きかう中、俺は一人で帰宅の途に着いていたのだが、街はこれ以上ないと言っていいほどに七夕ムード一色だった。


 製菓業界と小売業界の努力の結晶であるバレンタインのせいで忘れ去られそうになっている節分と同じように、七夕も日本だけの風習だと思っていたがそうではないらしく、東アジア一帯で行われていると知ったときには大いに驚いたものである。


 今でこそ七夕で思い出すのは、併設している隣のベランダで男とキスしていた優しくて美人なお姉さんを、壁の隙間越しから凝視してしまったという青春のリビドーが爆発してしまいそうな去年の出来事で間違いないのだが、それはそれでいい経験だと思うことにする。


 ともあれ、そんなこんなで自宅のマンションの三〇五号室にたどり着けば、家の前には幼馴染のユウコが立っていた。


 いつものように流麗で真っ直ぐなセミロングの黒髪。極めて白い肌。ニーハイソックスもプラスして素晴らしいコントラストを醸し出している。


 凛としたたたずまいと、涼しげで奥ゆかしい目元も変わりはない。


「どうした?」


 と、とりあえず俺は聞く。


 ユウコはかくっと首をかしげた後、手に持っていたトートバックを掲げてこう言う。


「お夕飯」


 お夕飯ね。


「そうか。ありがとな。いつもいつも」


「ん。いい」


 鍵を開け、ユウコを迎え入れる。


 ユウコはいつものように華美な動作で靴を整え、俺の後に続いて家の中に入っていく。


「ヒサタカ」


「ん?」


 鞄を自分の部屋に置き、制服から部屋着へと着替えたところでユウコに声を掛けられた。


「まだ下作りなの」


「ああ、台所を使うのか?」


「ん」


「それじゃあ、任せた」


 ユウコにとって我が家は勝手知ったる家である。


 入り浸っているとはいかないまでも、しょっちゅう家に来てくれるユウコのことだ。どこに何があるかなんては完璧に把握しているのだろう。


 そもそも二人暮らしのくせに俺も妹も料理に関してはからっきしダメで、米だけを炊いて他は出来合いのものですませるというパターンである。なのでそれを見かねてか、ユウコが料理を作ってくれるようになったという経緯だ。


「さて」


 俺が台所に立っても邪魔になることが確実なので、暇をつぶすために黙ってテレビをつけることにする。正直この時間はニュースばかりで興味を引くものはあまりないのだが、それでもBS、CSなどを駆使してチャンネルを変えていると中々面白そうな番組を発見した。


 やっていたのはナスカの地上絵の謎についてで、現代人を魅了するこれらの地上絵は誰が何のために作成したのかというテーマに基づいて話し合っている。


 しかし、悪魔召喚の儀式だとか異世界への扉を作り出そうとしていただとか、この前語っていた飯倉のトンデモ理論よりもはるかにひどい話が展開されはじめたので、なんだか内容を追っかけるのが億劫になってきてしまった。


 どうやら面白いと思ったのは気のせいだったようで、一気に興味が削がれていく。昔はもっと興味を持って見ていたんだけどな。


 物事が日々流転していくように、俺の考え方も変容していくものだと自覚してしまう出来事だね。


 でも、まあいいさ。

 たいした問題ではない。


 などと物思いに耽りながら怠惰にテレビを見ていたら、ユウコの呼ぶ声がした。


 俺はテレビを消して立ち上がり、家庭的な料理の並んだテーブルのところまで行って椅子を引く。


「あいかわらずうまそうだな。さすがはユウコだ」


「ありがと」


 表情を変えずに照れるという奇妙なことをするユウコだったが、ああ、そういえばユウコが照れる時はいつもこんな感じだったと思い返す。


「ヒサタカ」


「ん? どうした?」


「サエちゃんは?」


「ああ、妹はバジャマパーティなんだ。明日学校が休みだからさ、それを利用して二日間友達んちに泊まる予定らしい。ほら、冷蔵庫のマグネットがあるところに友達の名前と住所が書いてあるだろ?」


「ん。ホントだ」


 言われたユウコが冷蔵庫に貼ってある紙を見て納得する。


「ところでユウコはここで食べていくのか?」


「……ヒサタカがいいっていうなら」


 その答えはもちろん是に決まっている。一人で食べるより二人で食べる方がいいからな。


 それにここに並んでいる料理は一人分の量をはるかに凌駕していて、俺一人では到底食べきれるものではない。きっと妹の分も想定して作ってくれたのだから、こんなにも量が多くなったのだと思うけどさ。


「じゃあ、私もここで食べていく」


「そうか。ならユウコも座ってくれ。少し早いけど冷めないうちに夕食にしようぜ」


「ん。わかった」


 こうして椅子に腰を下ろして手を合わせ、俺たちはいただきますのあいさつをする。

 










 ユウコの料理が美味なのは俺にとって周知の事実ではあるが、それでも毎回食べるたびに感動してしまうのは余程腕が立っている証なんだろうと思う。料理のことは詳しく解らないけれど、下作りから丁寧にやるのだからうまいのは必然だといえる。


 というわけで、今日も今日とてユウコの料理に舌鼓を打ちつつ満腹感を覚えつつ食べ終えたのだが、麦茶でも飲んでくつろぐ暇もなくインターフォンが鳴った。


 新聞の勧誘か宗教かなと思ったが、かなりたちの悪い連打式のせいでその可能性は消えていく。


 ピピピピピピピーンポーンとくれば、いたずらだと思うのも当たり前であって、だからこそ俺はムッとしながら肩をいからせて玄関へと向かう。モニターを覗き込んでも誰もいない。やはりいたずらだったかと思いながら、でも誰がやったのか一応解るかもしれないからドアを開けてみる。


「…………」


 すると、そこにはとてつもない美少女が立っていた。


 しかもただの美少女じゃなくて、誰も振り向いてしまうほどの美少女だ。


 腰まで届くほどの髪は見るも鮮やかな銀髪でそれだけでも目がいってしまうのだが、さらに特徴的なのはエメラルドの瞳で、まるで宝石のようなそれが彼女の存在を可憐に輝かせている。


 服装はシスターとアオザイが混ざったようななんだかよくわからないコスプレチックな服を着ているのだけど、それでも何ら違和感はなかった。


 なぜかと言えば、きっと彼女が浮世離れしているからなんだろう。


 とりあえずどこの国の人なのかなと思う。


 スイス? ノルウェー? オーストリア? 


「こんばんは」


「あ、どーも」


 律儀にあいさつしてくるので、返す義理もないあいさつをしてしまった。無意識に翻弄されているみたいで多少の不覚を感じる。


「私は神様なのです」


「は?」


 なんだかすごい不遜なことを言われた気がする。


 思えば、こいつはピンポンのいたずらをしてきた女の子だ。つまり、知らない女の子がいきなり家に押し掛けてきて、私は神様ですなどと意味の解らないことを宣っている。


 何これ? 新手の宗教勧誘? それともスタンド攻撃?


 何を言っているか解らないと思うのだが、俺も何をされているか解らない。


「だから、アナタのお家に入れてほしかったり」


 何がどう繋がるのか解らないが、女の子はやはり不遜な事を言っているのは確かだ。でもこれ以上騒がれても困るので、どうやって諭そうかを頭の中を巡らせていく。で、とりあえず時間を稼ぐことにする。


「どうしてもか?」


「どうしてもって聞かれたら、どうしても答える。お願い」


 上目づかいで瞳をうるませてくるので 保護欲をかきたてられる。


 これ、ロリコンの飯倉だったら一発でアウトだな。


 疑い深い俺はすわ美人局かと一瞬だけ考えたが、こんな小さい子に対してそれはないと冷静に思い直す。


 外人さんなので見た目だけでは正確な年齢は解らないけれど、どうやらうちの妹と同じくらいだ。ということは十三、四歳くらいなんだろう。


 ともかくそんなことはどうでもいいとして、この女の子の対処を考えないといけない。いや、対処なんて考える必要ないのかもしれない。ここは簡単に一刀両断してしまえばいい。


 そもそもこいつは大切な幼馴染との時間を邪魔した張本人だ。ユウコも待っていることだし、そこまで義理をかける必要性もない。


「オマエはそんなにまでお願いしてこの部屋に入りたいのか?」


「はい、そうです」


「それは神様だからか?」


「はいっ。理解が早いですね。私は大助かりだったり」


「じゃあ、そこまで言うのなら、俺の机の中から出てくるか、空から降ってきて俺にぶつかってくれ。あるいはベランダに引っかかっているとか、切り倒された神木あたりから現れるのでもいい」


「ほえっ?」


 そんなこと言われるとは思って見なかったという表情でわたわたする。感情豊かな女の子だな。


「いいか、よく聞け。神様みたいな超常的存在ならば、古今東西もっと変わった演出方法で登場してくるぞ。だからオマエもその例に乗っ取れ」


 俺の話はここまでなので、あとはドアを閉めるだけだ。


「で、でも私は相手の部屋に迎え入れてもらう時の人間のルールで――あ、ちょっと待ってください楠本さん。ゆっくりとドアを閉める動作をしないで。そしてチェーンキーをかけないで。あの、私を話を聞いてほしかったりっ」


 女の子はわめくように騒いでいたが、構わずにドアを閉めた。


 やれやれ。とんだ災難にあったぜ。なんだか精神の疲労がかなり激しいな。


「ヒサタカ。何か疲れたような顔している」


 リビングに戻ると、ユウコが声を掛けてくれる。


「どうしたの?」


「ああ、ちょっとな」


「大丈夫?」


「大丈夫だ。でも、ちょっと休ませてくれ」


 ユウコに軽く手を振り、ソファーに腰を下ろす。


 しかし、その時だった。


「いたたたたたたっ。狭い狭い。助けてっ!」


 という意味不明な女の子の声が俺の部屋から聞こえてきた。幻聴かと信じたかったが、ユウコもその声に反応している。


 なのでユウコと一緒に急いで俺の部屋に向かえば、なんだか机の中がごそごそとうごめいている。


「楠本さん。私がんばりましたから、とにかくここを開けてくださいっ」


 なぜだか机の引き出しの中から声が聞こえる。


「ま、まさかな。そんなこと現実にありえないし」


 冷や汗がたらりと垂れるのも気にせずに、俺はからっぽであるはずの机の引き出しを開ける。 


 すると、玄関にいたはずの女の子が机の中から勢いよく出てきた。そして勢い余って俺に体当たりする形になり、そのまま一緒になってベッドになだれ込んでいく。体勢は俺が下で女の子が上のマウントポジションだ。極めて危険で刺激的な格好で、甘い芳香が漂ってくる。


「ご、ごめんなさいっ」


 女の子がぴょこんと飛び上がり、俺から退く。


「あ、こっちもすまん」


 何がすまんなのか解らないが、とりあえず謝っておく。


 にしても今の状況はどう説明すればいいのか理解に苦しむわけで、ありのままに今起こったことを話せば外にいるはずの女の子が机の中にワープしてきたことになる。どういうことだ、これ。もう一度言う、どういうことだ?


 流れる空気は気まずい沈黙だったが、その空気を打ち破ったのはユウコであった。


「ヒサタカ?」


 ユウコの目が据わっている。いつもの無表情と相まって、末広がり的な恐ろしさがある。


 あれ、なんかまずいことしたっけ。などと思うが大変な事実に気がつく。この状況を客観的に見たら、いたいけな女の子を机の中に監禁しているみたいになる。犯罪チックで確実にアウトだ。


 俺が今起こった超常現象を説明すると胡散臭くなるので、責任説明を神様と名乗る女の子に託すことにした。


「おい、オマエ。真っ当で正常思考の持ち主である俺にイケナイ疑惑が掛けられている。誤解を解くために状況を逐一説明しろ」


「は、はいっ」


 女の子もなぜだか混乱している。


「楠本さんがドアを閉めてしまって、私に机の中へ入れって」


「ヒサタカ?」


「ふっ、認めたくないものだな。若さゆえの過ちを……て、違ぇよっ! もっとしっかりと説明してくれ。ますます誤解が募っていくから」


 だが、女の子は話を聞いていない。


「こ、これがノリツッコミですか。この世界に来てまた一つ学べましたよ」


 などと感動したように言っている。


「違うからな、ユウコ。これには深いわけがあってだな」


「わけ?」


「そうだ。それよりもこの女の子は節々におかしな発言が多々見られるのだが、まあ、それはこれからじっくり問い詰めることにするか」


 少しだけ平静を取り戻した俺は、ユウコと女の子をリビングへ行くようにうながしていた。











 リビングにまで連れていけば、食卓に載っている夕食を見た女の子が途端に目を輝かせて食べ物を欲しそうな顔していたので、俺はユウコに許可を取って食事をしてよい旨を伝える。


 すると女の子は遠慮なんてものを知らない勢いでがつがつと食べはじめた。だからか、俺とユウコは微笑ましくもそれを見守る構図となってしまいへんな緊張感がなくなっていく。


「お、おいしかったです。ごちそうさまっ」


 食事を終えた女の子と一緒にソファで座って麦茶でも飲んでいると、なんだか平和で今ある問題を忘れそうになってくる。だが、状況としては依然と変わらない。先ほど起こった超常現象の説明もついていないし、神様だと名乗る女の子が俺に絡む理由もまだ聞いていない。


 一応俺が拉致監禁を働いたというのは誤解だとユウコは信じてくれたのだが、それでもまだ釈然としないものが残っている。


「とりあえず名前は?」


 と、俺は聞く。


「私ですか?」


「あのな、オマエしかいないだろ。オマエ以外に誰がいるっていうんだよ」


 俺が理不尽な怒りをぶつけながらそう言うと、女の子は臆することなくマイペースで「あ、そうでした」と答える。


「で、何者なんだ?」


 痺れを切らした俺は、女の子に再度聞く。


 すると女の子はにっこりと笑顔でこう言う。


「私にはまだそう言った固有名詞はなかったり。でもあえて言うなら、神様ですっ」


 それだと話が平行線で進まない。進まないどころか逆に混乱をきたす要因にもなっている。


 でも、彼女はワープという超常現象を起こした。その事実は認めなくてはならない。


「神様」


 と、ユウコがつぶやく。


 ここまでユウコは黙って事の推移を見守っていた。二人して喋っていると混乱するので、沈黙を基本とするユウコはこの場において都合がよい。 


「そうですよっ、稲葉さん。私はここの世界の概念でいうところの神様だったり。だから空間を自由に移動できたりして、机の中に潜むことが出来るのです。それはどういう仕組みになっているのかは説明することはできませんが、私にはたやすくできることなんです」


 えへんと胸をそらして言うが、俺は別のことが気になっていた。


 オマエがなぜユウコの名字を知っている?


「それは私がなんでもわかるからですよ。なんなら人間の心の中を読んでみせましょうか?」


 ホントならとんだ無双だな。


「はい無双です。でも、それなら楠本さんも稲葉さんも私が神様だと確信を持てたりすると思いますので」


「そうか。でもまあ、そんなことはやめとけ。少々早いのかもしれないが、俺はオマエを超常的、または高次元的な存在だと信じているのかもしれない。だがな、俺はオマエに一言申しておきたいんだ。だいたい神様だと主張しているが、この国だとその格好がメジャーではないのは解っているのか?」


「ほえっ? 話がへんな方向へ転がっている気がしたり」


「どうやら解ってないようだから言っておくぞ。いいか、まずここではそんな格好をしない。オマエが神様だと主張したいのならば、巫女服という種類のものに着替えてこい。巫女服だからな。神様なんだからそれくらいできるだろ。ちゃんとイメージするんだ。解ったか? じゃあ、あと三分間だけ待ってやる」


 最後にぬかりの甘い悪役のようなセリフをつけ足す。


「イ、イエッサー」


 しかし返事をしたと同時に、シスターとアオザイを混ぜたような服が巫女服に様変わりした。


 ただ、古式ゆかしい白衣と緋袴は銀髪に合わないのか、まったくもってへんな感じになっている。


 俺はこのミスマッチに気がつかなかったことへの悔恨の意を込めて告げる。


「よしっ! 元の格好に戻していいぞ」


「な、なんでですかぁ!」


 文句は言うが、ちゃんと戻してくれた。律儀だな。いい神様だ。ボケたのに気付かず真面目にやってくれるし。


「ヒサタカ、脱線してる」


「おう、そうだったな。で、これが一番聞きたいところなんだけど、俺に何の用だ? 用があってここに来たんだろ?」


「はい、そうです」


 すると、安穏としていた雰囲気が一気に変わっていく。確信的に何か大切なことが告げられそうな予感がしてきた。


「では、聞いてください」


「おう」


「私は神様なのですが、正確にはこの世界の神様ではありません。表現的にはそうですね、異なる世界で信仰の対象とされている神様と言えばいいのでしょうか。だから、私の今の姿はこの世界に合わせて無理やり具現化したような存在だったり。ただ、そうは言ってもこの世界の神様と同じく役回りは一緒になりますのであしからず。それで私が、どうして楠本さんと稲葉さんのところを訪れたかといえば――」 


「ちょっと待ってくれ。俺だけではないのか? ユウコも関わってくるのか」


「はい。もちろんです。この時この場所へと定められているように稲葉さんも訪ねてきたのですよ。楠本さんの妹がいない理由も同じになりますね」


 そういえば、ユウコの夕食を作りに来てくれる間隔がいつもよりも短い気がする。それに妹だって、パジャマパーティをすることは普段まったくない。


「そうか。ユウコもか。まあ、とりあえず話を続けてくれ」


「はい。それで私が来た理由はですね、こことは違う異世界の人族からある使命を課せられたからなのです。そして同じように異世界の魔族からもある使命を課せられました」


「で、それがどう関係してくるんだ?」


「関係。そこなんです。楠本さんと稲葉さんにはある役割をこなして欲しいのですよ。役割。ロール。そう、異世界から召喚された勇者と魔王の役割です。ちなみに楠本さんが勇者、稲葉さんが魔王ですでに決定事項になっています」


「おい、待て待て待て待て」


 俺は慌ててストップをかけ、女の子の話を食い止める。


 大体何を言っているんだ、コイツは。俺とユウコが勇者と魔王? で、いきなり召喚されて、その役柄に会った役割をこなせだと? ささいな日常こそがかけがえのないものだというモットーを持っている俺にとって、この状況はいささか非日常すぎるではないか。ということを俺は思ったね。


 おいそれとオーケーできる話ではないのは確かで、さらに言ってしまえば大いに混乱している。


 ユウコの方を見てみると、彼女も無表情で戸惑っていた。


「とにかく、そんなのには乗れないぜ。お断りだ」


「とは言われましても、あらかじめ決まっていることだったりします。これは楠本さんと稲葉さんの意思を超越して起こっている出来事なので従わなくてはなりません」


「なんだよそれ」


 俺は不満を述べるが、女の子は意に介さない。けど、真摯に頭を下げてくる。考えてみれば、こいつに備わっている力なら俺たちを無理やりに従わせることもできたはずだ。そう、いきなり異世界に召喚させてしまえばいい。そうすればそこで対応するしかないのだから。


「私を救う。いや、世界を救うと思ってお願いします」


 なのにそういった方法をせずに、こうして迂遠で愚直な方法をチョイスしてくる。


「私たちが役割をこなさないとその世界は救われないの?」


「はい。一応そうだったり。稲葉さんが言うように二人の役割があってこそその世界の均衡が保たれているのです」


 その世界では人族と魔族がお互いにいがみあっていたのもとうの昔で、勇者も魔王も形骸化してしまっているという。ならば人族、魔族共に勇者と魔王を神の介入によってまで召喚することはないのかもしれないが、互いにそれを必要不可欠な理由で遂行していくからややこしい。


 人族は魔族と和解をしたのを知らない民衆のためのガス抜きとして、魔族は日々の退屈しのぎの大いなる娯楽として。特に今の魔族たちはほどよく派手にやられることをモットーにしているらしい。なんなんだろうね、その世界観。ファンタジーのイメージが崩れるぜ。


「そして俺たちが総本山として担がれるわけか」


 やはり俺にはまったく関係ない話だと思ったね。


 だからそんなストーリーなんて始まらなくていいのさ。俺は日々訪れる日常の中でのんびり過ごしながら、妹や幼馴染や級友なんかと平和にやっていけたらいいんだがな。


「どうでしょうか」


「とは聞くけど、オマエの中で話はついているんだろ」


「それは……」


「遠慮するな」


「そうだったり」


 女の子は少しだけ申し訳なさそうに言う。


「とにかく話は解った。だけどどうしても一つ聞きたいことがある。これはどうしても聞かなければいけないことだ。ここの部分を煎じ詰めないと俺は絶対に納得しないし、たとえ神様と名乗る奴に何を言われようがそんなことは関係ないと思っている。要するに絶対に譲れない信念だ。俺たちを異世界に召喚させたかったらそこを何とかしてくれ」


「そうですか」


「ああ」


「けど、それは何なのでしょうか?」


 女の子がやけに幼い動作で首をかしげて聞く。


「それはだな。俺は妹を一人にしたくないということだよ」


 シスコンとは言うなかれ。妹のことは目に入れても痛くないほどかわいいと思っているが、たった一人の家族という意味でだ。


「つまり、俺に勇者の役割をやらせたいというのなら、時間軸をどうにか調整しておけ。具体的には異世界に召喚されている間、ここの時間軸を凍結させておくということだ。ビデオの停止状態みたいにな」


「時間軸ですか。その程度なら私にも可能です。なぜなら、私は神様なのでっ。というよりも、楠本さんと稲葉さんが役割を終えた時、ここを出発した時間に戻ってこれるようにこの時間軸に戻れるように最初からなっていますので」


「そうか。それにしてもオマエの存在、チートだな」


「いえ、そんなことありません。私にもできることとできないことがありますよ」


「なんだよ、それ」


「内緒です」


 女の子は先ほどの幼い印象とは違い、やけにコケティッシュなしぐさで言う。


「とにかく、俺は覚悟は決めた」


 時間軸に影響がないのなら、長い白昼夢を見ていると思えばいい。


「……ああ、そうだ」


 自分本位で話を進めていて、ユウコのことをすっかり蚊帳の外に置いていた。


「ユウコはどうする?」


「私もヒサタカと一緒。覚悟を決めている」


「でも、もしかしたら俺より大変な役割かもしれないぞ。魔王だし」


「大丈夫」


「そうか」


「ヒサタカを信頼してる」


「ありがとな」


 ユウコならそう言ってくれると思ってたぜ。だてに長年幼馴染をやっているわけではないしさ。


 こんな状況にも混乱せずに頼もしいし、ユウコが俺を信頼してくれるのだからそれに応えなくてはいけない。


「おい、それともう一つ。最後に勇者保険と魔王保険を用意しておけ。何が不都合がないように存在自体が反則な神様のオマエがいつもそばで見守っている。このことを約束しろ」


「そばで見守っているんですか?」


「そうだ。わかったか」


「わかりました。イエス、ユア・ハイネスですよっ」


 敬礼のポーズを示し、女の子は元気よく応える。


 それにしてもどこで覚えたんだろうね、その言葉は。











 これから異世界に勇者アンド魔王として召喚されるであろう俺とユウコは、きっと最後の戦いの日まで離れ離れになるに違いない。それは何十日、あるいは何ヶ月単位なのかもしれないと思ってしまうと自然と寂しさが募ってくる。


 思えば、物心ついた時からずっと顔を合わせてきたのであって、これまで長期間離れ離れになったことは一度たりともない。


 俺とユウコは外観の性質がまったく異なるように見えるけど、本質の部分は相似である。似ていないようでよく似ているから、俺とユウコが二人でいる時にこそぴちっと当てはまるピースみたいのをしかと感じる。だから、その感覚がしばらく味わえないとなるとやはり寂しい。


「ユウコ」


「何? ヒサタカ」


「これを身につけてほしいんだ」


 俺は、昔ユウコに作ってもらったミサンガを渡す。


 これはだいたいの少年がそうであるようにスポーツ選手になりたかった時の代物だ。


「じゃあ、私も」


 どうやら、離れ離れになっている間、何か形ある相手のものを身につけたいという考えがユウコにも伝わったみたいだ。


 ユウコが昔夏祭りの景品で取ったネックレスを渡してくる。


「こんなのまだ持っていたんだな。しかも身につけていたなんて」


「それなら私だって」


 互いに気恥ずかしくなり、次の言葉を探す。


「ちょっと、楠本さんに稲葉さん。私を置いてきぼりにして二人の世界を作らないでください」


「すまん。オマエの存在忘れてた」


「えーーっ! それはびっくりですよっ。とにかく準備はいいですか?」


「ああ、いいぞ」


「ん」


 俺もユウコも問題なく返事をするが、ユウコの方を見るとえらく緊張している。ユウコは無表情で変わりはないんだけど、なんとなく俺にはわかってしまった。なので俺は、とりあえず適当な雑談でもしてユウコの緊張をほぐすことにする。


「あーちょっと待て」


「なんですか? 楠本さん」


「まだ言っておきたいことがあったぜ」


「えっ?」


 女の子は俺の言葉に驚くが、まったくもって気にしない。


「よく聞けよ、神様。俺が言っておきたいのはオマエがウサギの格好をしていないっていうことなんだ。そのことが俺にとってそれが遺憾でならない。お約束を踏襲していないと意味でな」


「えっ、えっと」


 困惑している。いい気味だ。


「いいか。人間を異世界に誘う時にはな、ウサギの格好と相場が決まっている。主にウサミミをつけたかわいい女の子が華麗なステップを踏みながら人間を誘い込むんだ」


「ヒサタカ、脱線してる」


「おう、そうだった」


「でも、ありがと」


 どうやら真意が伝わってしまったらしい。やれやれ。上手くいかないな。さりげなくなんてどうすればいいんだ。


 などと思いながら、女の子の方に目を向けると、いつのまにか擬人化されたウサギがそこに立っていた。話が解っているなと一瞬だけ思ったけど、その格好を見てげんなりする。


 銀髪で、ピンクの耳。慎ましい体とバニーガール。はい、相性最悪ですね。ドンマイ。


「えーっと、ウサにゃんです?」


 しかも手をネコみたいなポーズをしてそのセリフ。いろいろと取り違えている。とりあえず理想と現実は違うってことが大いに解った。


「もう戻れよ、オマエ」


「何でですかぁ! 私、こんなにがんばったのにっ!」


 とは言いながらも即座に元へ戻すのだから、なかなか聞きわけがよい。


「とにかく、遊んでないでもう行くぞ。心の準備もできたしな」


「わかりました。ってそれは私のセリフだったり」


 女の子はなおもぶつぶつ文句を言っていたが、やがて心を切り替えたのか顔つきが変わっていく。


 俺とユウコはその彼女の変化を眺めながら、いったい次はどんな託宣が下されるのかとびくびくしながら待つ。


「楠本さんに稲葉さん。私と手を繋いでください。そして二人も手を繋いでください」


 そうすると三人で円を描くような形になる。


「繋ぎましたか。それでは次に私たちの視線を底面として三角錐をイメージしてください。そしてそこから導き出されるであろう頂点を見つめてください」


 言われた通りに作業をこなす。


 するとどこからともなく出現したサーモグラフィーのような非科学的光が辺りを包んでいく。そしてその光はどんどんと拡散して粒子へと変わっていき、不規則な動きで俺たちを幻惑させていく。しばらくの間はそうだったが、やがてその粒子が揺らぎ始め、辺りもゆらいでいく。


「大丈夫です。落ち着いてください。それと変わらずに頂点を見ていてください」


 俺もユウコも女の子の言うことを黙って聞く。


 それはこうする以外に対処のしようがないと思ったが、それ以外にも今の状態に何か荘厳で打ち破りにくい雰囲気を感じたからかもしれない。


 なので俺はきっと地球に存在しない物質だろうなと考えながら、不規則に動く粒子を見つめるだけにとどまる。まるでカレイドスコープを長時間覗き込んでいるような気分にさせられるが、それでも意識は変わらずに保ち続けていく。


 女の子はおそらく人間の言葉ではない何かを叫んでいるが、それは異世界に召喚される術式みたいものなんだろう。その不可思議な言葉を聞いて、ああ、こいつは本当に神様なんだなとうすらぼんやりとした中で考える。でもそのうちにこの感覚もなくなっていく。


 たゆたう意識の中で、俺はこれからのことを考える。


 勇者。誰も恐れる困難に立ち向かい偉業を成し遂げる者。俺にはそんなイメージがあるが、果たしてそんな役割をこなせるのかね。


 やがて意識も正常になり、辺りを見回すと、そこはもう俺の家ではなくなっていた。ゲームなんかでよく見る祭殿みたいなところである。もちろんユウコも神様もいない。いるのは中世ヨーロッパのような高貴な格好をした人々と兵隊と白装束に身を包んだ女の子だけだ。


「王様。無事、勇者が召喚されました」


「そうか。よくやったぞ。アリエス」


 さざ波のように起こる拍手。


 ちなみにこのやり取りを聞いても、俺はポカーンである。


 やれやれ。本当に異世界召喚されたみたいだな。さて、さっさと役割をこなすために魔王を倒しに行きますか。





 

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