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 俺とユウコの心の奥底の深い部分はどこまでも似ていた。性質が相似なのは証明するまでもなく明らかなことで、がちっと当てはまるピースがいくつかあった。それを表すのに明確な言葉は解らないけど、俺たちは無意識の領域でしっかりと理解していた。


 小さい頃から共に歩んできたし、同じ道を進んできた。離れることも全くなく、適度で適切な距離をいつも維持していた。そして、それは当たり前で変わらない絶妙な距離感だった。


 俺が表情豊かで口数が多いのも、ユウコが無表情で口数が少ないのも、昔から変わらずそのままであった。共に重きを置くところは違うけど、言葉の大切さをしっかりと認識している点で同じといえた。表現の仕方は異なってもお互いに欲するところは同じで、ささいな日常と平和を大切にしようとしていた。


「大丈夫です。絶対にできます。楠本さんと稲葉さんは普通の人よりもはるかに波長があっているので、その問題となっている心象世界にも私の力で連れて行くことが可能です」


「おう、それくらいやってくれなきゃ困るぜ。神様」


 俺はすかさず軽口をたたく。


「それに稲葉さんの元持ち物であるネックレスが依り代となってくれます」


 ちなみに今の今までずっと忘れていたのだが、俺はユウコから受け取ったネックレスを肌身離さず持っていた。それがこのタイミングで大いに役立つこととなったのだ。


「さらに稲葉さんの助けを呼ぶ声から、だいたいの居場所の目星がつけることができました。ここまで条件が揃っていれば、楠本さんの異世界転移は確実に大丈夫です」


「そうだよな。オマエだって大根料理がかかっているんだからしっかりしてくれよ」


「はいっ。稲葉さんが作る絶品料理をもきゅもきゅしたかったり」


「もきゅもきゅか。作るのは俺じゃないけど任せとけ。ユウコは必ずここに連れ戻してくるさ」


「はいっ。お願いしますね」


 そして神様が引き締まった表情で言う。


「では、楠本さん。私と両手を繋いでください」


「オッケー」


 懐かしいぜ、この感覚。


 これは俺とユウコと神様が初めて出会って異世界に送還される時と全く同じである。違うのは三人ではなく二人で手を繋いで円を描くような形を作ることだけだ。


「繋ぎましたか。そしたら私と楠本さんの視線を二つの定点として、斜め上にもう一つの点がある三角形をイメージしてください。そしてそこを見つめてください」


 視線を正面から斜め上へと向ける。

 すると、ここからの展開も前回と同じ状態へ。


「ああ、こんな光だったか」


 どこからともなく出現したサーモグラフィーのような非科学的光が辺りを包んでいく。そしてその光はどんどんと拡散して粒子へと変わっていき、不規則な動きで俺を幻惑させていく。しばらくの間はそうだったが、やがてその粒子が揺らぎ始め、辺りもゆらいでいく。


「わかっているとは思いますが、心を平静にして落ち着いてくださいね。もちろん同じように今の場所を見つめてください」


 神様の言葉に従って、俺は不規則に動く粒子を見つめる。


 あの時に感じた荘厳な雰囲気もまったくもって変わらない。


 それでこの後の神様はやはり人間の言葉ではない術式を叫びはじめるのだが、俺はしっかりとした意識を保とうと努力していく。でも、少し時間が経つと意識がたゆたってくる。ただ、そんなあいまいな状況下で前回と同じようにあのことを考える。


 勇者。誰も恐れる困難に立ち向かい偉業を成し遂げる者。さらにそれだけではなく、今回はその勇者像に大切な女の子を救い出すという項目を新たに書き加えた。


 そう、今度こそこの役割をしっかりと果たすんだ。そんなことは当たり前にしなくてはいけないし、涼しい顔をしてこなさなくてはいけない。


「さて、ここからが本番だ」


 たゆたっている状態から意識が正常になり、俺は辺りを見回す。

 

 すると、そこは今までに体験したことがないくらい殺風景で無色透明な世界が広がっていた。











 あまりにもクリアな世界で俺はたった一人でとり残されていた。ここは間違いなく無人で、神様もユウコも魔王の『核』を実体化したはずの存在も見受けられない。


 どこまでも続いていく地平線は無限という言葉をじかに感じさせてくれる。さらにはそこになんだか意味のない恐怖心を抱いてしまう。単一で無機質な風景は心を不安定にする力があるみたいだ。


 それと不安定と言えば、自分の足元もおぼつかない。重力定数の数値が違うのか歩行が上手くできない。この感覚は宇宙みたいとまでは思えないが地球とは明らかに違う。


「ユウコ」 


 ユウコの心象世界。内側の空間。などと色々な定義の仕方はあるが、とにかく形而上的で概念的な世界であることは確実だ。


 深い静寂に満たされている不可思議な空間の中で、無為に思考だけを働かせていく。


 実体化した魔王の『核』とは何か。魔王は本当に誰もが恐れる邪悪に満ちた化身なのか。世界を滅ぼそうとするほどの暴発的なエネルギーを所持しているのか。


 どうやら景色とは違って、思考はクリアにはならないようだ。などと気楽に思っていたその時だった。


「ん?」


 変わり映えのしない無色透明な世界にある色がもたらされた。黒だ。まるで墨汁を垂らしたかのように真っ黒な点。そしてその黒点は少しずつ輪郭を広げて大きくなっていき、時間を置くこともなく推定十メートルはあろうかという無機物でブラックホールじみた塊に変化した。


「オマエが魔王の『核』なのか?」


 俺の問いかけに『核』は敵対心に満ちた行動で応えてくれる。


「おっと」


 相手が体当たりを敢行してきたので、俺は素早くかわす。


「剣呑剣呑」


「――。――」


 攻撃をした『核』が動きを止めて様子を見ている。と思っていたら、まさかの連続攻撃。バカの一つ覚えみたいに同じパターンを繰り返してきた。


「そうか。そういう腹積もりか」


「――。――」


「どうやら俺はオマエを倒すために存在しているみたいだな」


 なんだか威勢のいい言葉に勝手に出てくる。

 おそらくは勇者の『核』が歓喜しているのかもしれない。


「さて」


 俺は『収納』の簡易魔法で常備していた剣を抜き、気合を高ぶらせていくとともに戦闘態勢を整えていく。剣は二、三度振るだけで簡単に感覚が蘇ってくる。


「さあ、来いよ」


「――。――」


 まあ、言われなくても確実に来るだろうが。


『核』はパターンを変えてきたのか、本体の塊の一部を先鋭化させ伸縮自在に迫ってきた。まるで複数の鋭利なムチを操っているみたいだ。


「ホント懐かしいな、この攻撃をかわす感覚」


 とにかく、こうすべきタイミングを体が覚えている。勝手に体が反応するとはまさにこのことだと思った。


「そろそろ準備運動は終わりだぜ」


 俺はパターン化されてきた相手の物理攻撃を難なくかわし、攻撃へと転じるために八双の構えを整えていく。


 ――力を剣に。心を剣に。


「はぁぁぁっ!」


 力強く地面を蹴りだし、限界を超えた加速に身を任せる。超感覚のハイブースト。相手との距離が瞬時に縮まっていく。


 そしてそのまま勢いよく飛び上がり、頭上を狙う構えへと変化。まさしく俯瞰風景。演算から割りだした中心の一点に狙いを定めて、素早く大上段から切りつけた。


 ――ズッシャァァァ。


 切れ味鋭い早業の太刀回りによって、爽快な感触と効果音。


『核』は間違いなく一刀両断にされている。一撃必殺のダメージを受けて、跡形もなく霧消してるはずだ。


 勢い余って『核』を後方へと置き去りにした俺は、剣の構えを解いてゆっくりと振り返る。


「は?」


「――。――」「――。――」


「おいおい。マジかよ」


 予想した光景とはかなり違っていたので、思わず嫌な感じの笑みを浮かべてしまった。


「分裂か」


 そう、ブラックホールみたいな黒い『核』は二つに分裂していた。なのに、大きさも前とは変わっていない。


「だったら中心はどこなんだ? それと攻略方法は?」


 俺の心にかすかな不安が巣食っていく。


「不安だと?」


 不安なんて必要ない。必要なのは絶対的な勇気。たった一つのさえないやり方だけど、どんな物語にもある当たり前の解決法。俺はそれを信じてどこまでも貫くしかないのだ。


 しかしそんな思いとは裏腹に、二つへと分裂した『核』は物理攻撃をさらに強めていく。伸縮自在の攻撃が二つになったことで、よりパターンは細分化の方向へ。攻撃のスピードも上がり、息つく暇もないほどの連続技を繰り出してきた。


「くそっ! どうすれば」


 二方向からの攻撃をかわすには集中力をかなり必要とするもので、精神の疲弊が計り知れない。


 やがて、相手のあまりのスピードに攻撃をかわせない場面がちらほら出てくる。どうにもかすり傷を喰らってしまうのだ。さらには長時間逃げ回っていたせいか、異様な疲れもたまりつつあった。


『核』の攻撃は少しずつ難易度を上げていく仕組みになっているようで、このままいくと俺がついていけなくなるのも時間の問題である。まさにジリ貧状態だといえよう。


「グアッ!」


 そして、もう何百回目かになろうとする相手の攻撃をすんでのところでかわしきったかと思ったら、じつは回避できてなくて派手な直撃を喰らってしまった。


 仕切りや壁のない無色透明のがらんとした世界なので、どこかにぶつかることもなく勢いをつけて吹っ飛んでいく。たたらを踏むことすらできなかった。


「これは、堪えるぜ」


 軽口でもたたかないとやってられない。ダメージもかなりある。すかさず簡易魔法の『回復』を使ってみたけど、気休め程度にしかならなかった。


「そしてまだ続くのか」


「――。――」「――。――」


 口に出して不平を露わにしたが、相手の攻撃が続くのは当然だと思う。

 ほこりを払いながら体勢を立て直す暇もなく、すぐにやってきた第二波をなんとかかわす。


「かなりまずいな」


 このままではにっちさっちもいかなくなってしまうのが確実だ。戦況はかなりマズイ状況にある。戦力的撤退もできずに、場当たり的な回避だけ。どうすればいいのか。それが全く解らない。ただ、座して死を待つよりかは攻撃に転じた方がいい。そんなのは解っている。


 なので、迎撃の姿勢を整えようとするのだが、やはり大きな迷いが生じる。


 仮にもう一度分裂してしまったら、待っているのは敗者の末路でしかないと。


「でも、やるしかないんだ」


 視野狭窄に陥りかけているのを多分に自覚しながら、それでも絶対的な勇気を動員をして剣の構えを整えていく。


 複数の『核』を睥睨して、剣に類い稀なる破壊のイメージを与える。動力の源は圧倒的破壊。ブレイク。すべての感覚を剣の切っ先に集中して込めていく。すると剣が一本芯通ったように形を変えていき、紫紺の輝きが瞬いた。


「はぁぁぁ!」


 そして演算から割り出された中心に向かって、複数の『核』に素早く大上段からの攻撃。今度も間違いなくクリティカルヒットの感覚だ。


 俺は素早く振り返り、戦況を確認する。


 しかし、二つの『核』が剣技を喰らった直後は一瞬だけ怯んだように見えたのだが、追撃するまでもなくすぐに分裂してしまった。


「くそっ!」 


「――。――」「――。――」「――。――」「――。――」


 一、二、四。倍々ゲームか。次は八だね。なんて言っている余裕はもちろんない。 


 数の増えた『核』が赤い光線という新しい技を繰り出してくるのを必死になって回避し、今後の絶望的な攻防戦にどうすればいいのかを思案する。


 逃げようとしても相手の方が素早く、数も多いのだから囲い込まれるのは必至。かといってこれ以上の攻撃はもうできる気がしない。


 つまり、もう選択肢など残っていないといえた。


「だけど、それでもまだ」


 と、俺は純粋に思う。


 諦めないんだ。何がなんでも諦めてはいけないのだ。たとえこの世界に俺一人しかいなくても絶対に絶望には身をやつさないし、大切な女の子を救わなくてはいけない。なぜなら俺は勇者だからだ。根拠もなく一介の高校生な勇者だけど、それでも勇者に変わりはないのだ。


「――。――」「――。――」「――。――」「――。――」


 しかし、こんな決意をしてみても現実は無常で無残で残酷であった。複数の『核』の一斉攻撃を受けるその時が来てしまい、俺は使い古しのサンドバックみたいになっていく。もうボロボロだ。相手はバグかと思えるくらいの半端ない強さに変化していて、簡易魔法の『回復』では全く事足りない状況だった。


 やがて、体勢を整える体力すらなくなった俺は地面に倒れこんだ。


 さらには倒れこんでいるすきに、追跡型の自律意識を持った流れ星のような光線が襲ってくる。


「ユウコ。すまん」


 もうダメだ。アレを喰らったら俺はひとたまりもない。


「また救えなかった」


 悔しい。とにかく悔しい。


 悔恨の情にかられているのか、俺の頬には一筋の涙が伝っている。男の涙なんて何の価値もないけど、こんな時くらい流してもいいだろうと思う。


 ともあれ、もう一刻の猶予も存在しないはずだ。あの光線は確実に俺へと直撃する。


「…………」


 と、ここで走馬灯がやってきた。


 誰も死を迎える直前で走馬灯を思い浮かべるように、勇者である俺も例外に違わない。


 ユウコ。妹のサエ。三バカ。他に俺と関わってくれた全ての面々。ささいで平穏な日々は地味だったけど間違いなく楽しかったぜ。間違いなくだ。毎日に豊かな彩りってモノを与えてもらったさ。


 誰かが言った有名な句でおもしろきこともなき世をおもしろくという言葉があるが、俺はそれを日々実践できていたと思う。思い返してみれば、当たり前にある日常こそがいかに素晴らしくてかけがえのないモノだってことが今になってよく解るんだ。


 そう、よく解る。


 でも、だけど。

 それと同時に。


 純粋な勇者の感情も芽生えてきて。


「いいや、そうじゃないんだ。当たり前にある日常も大切だけど、当たり前でない動乱の日々もまた大切なんだ。世界は見方次第で簡単に変わるから。そうさ、それにまだ魔王を倒していない。つまり、大切な女の子を助けるという勇者の役割を果たしていないんだ! それができないと浮かばれないんだよっ!」


 俺は最後の力を振り絞って叫んだ。


 もう流れ星のような光線は眼前まで迫ってきていて、俺の近くで衛星のように旋回しながらとどめを刺そうと試みる。その淡い光の行く末は俺の未練を断ち切るかのごとく、目の前でまばゆいばかりの閃光を放ちながら等身大の大きさまでなっていく。俺には最後の小爆発に備えて力を蓄えている感じにしか見えなかった。


「ヒサタカっ!」


 喰らうダメージを想像して目を閉じてしまった俺に、お姫様の声のはっきりとした幻聴が聞こえる。走馬灯でお姫様を思い浮かばなかったのがいけないのだろうか。などと気楽に考えたところでかなりおかしな事態に気がつく。


 待てよ。死に至るはずのダメージが届いていないんだが。


「ヒサタカ、ヒサタカっ!」


 俺はお姫様の声に呼応するように目を開けていく。

 するとそこには間違いなく傾国のお姫様がいた。


「お、お姫様」


「ヒサタカ、ごめんなさい」


 ひたすら謝るお姫様を見て、俺は彼女がなぜここにいるかを瞬時に理解した。おそらくは追跡機能という高度な非系統魔法が備わっているあの鏡を利用したのだと。


「ごめんなさい」


「……」


「遅れてごめんなさい」


「気にするなよ」


「ヒサタカ?」


「オマエは間に合ったんだから」


 とにかく、この心象世界で俺一人ではなかった。同じ目的を共有した仲間がいた。一人で全てを背負い込んで戦おうとしたからいけなかったんだ。


「ごめんね、ヒサタカ」


 お姫様が俺にすがってくる。


 腫れぼったくて視界が悪くても、お姫様の様子がよく見えてしまう。


 勇者とは言い難いほどボロボロな俺に。あの日ベランダ越しで再開した時よりも優しく慈愛に満ちた瞳で俺を見つめてくれて。あまつさえもったいないほどの美しい大粒の涙まで流してくれて。


 それだけで俺は、あふれでる感情の奔流に押し流されてしまいそうだった。この感情は何物にも変え難くて、どう表現していいかさえ解らない。愛しいとか心地よいとかでは当てはまらず、適切な言葉が見つからない。


「ヒサタカっ」


 見つめられるだけで、胸が打たれそうになってくる。


「あのね、ヒサタカ」


 いつものお姫様よりもかなり幼い言いぐさだ。


「ヒサタカ」


「なんだよ」


「大好きだから」


 ふいにお姫様が唇を軽く合わせてきた。

 これはお姫様との二度目のキス。


 でも、今回は痛々しい血の味しかしなかったんだ。











 独自の形態を持つ非系統魔法の使い手であるお姫様は、複数に分裂した『核』の攻撃を防ぐ障壁魔法と俺を復活させるための大規模な回復魔法を瞬時に唱えはじめた。するとその効果はあまりにも絶大で、『核』の攻撃も受けなくなるし俺のダメージも完璧に回復していく。


 そうして二人タッグで大勢を立て直したことにより、戦況が均衡したにらみ合いへと変化する。『核』は攻撃する手立てがないのか、じっとしたままで動かない。


 結局、あの時の『核』は俺へのとどめを刺せずにお姫様の登場を警戒していたことになるのだが、あっちの立場からしたらあれは明らかに下策だったと思う。


 ともあれ、お姫様こそ無敵で最強だった。生半可な勇者とは違い、貴重な非系統魔法の使い手であるお姫様は次々と有益な対抗策を繰りだしていく。


「でもね、ヒサタカ。私がいくら非系統魔法が使えても手助けしかできないわ」


「そうなのか?」


「そうよ。だって、最後には必ず勇者がケリをつける。どこの世界でもそう決まっているもの」


「そっか、そうだよな」


 俺にあった勇者の自信は確実に喪失しかけていたはずなのだが、何度踏みつけられても立ち上げる雑草のようにいつのまにか回復していた。


 改めて感じるが言葉の力は偉大だといえる。たった一言だけで状況を変えてしまうのだから。


「それにヒサタカは大切なことを忘れているわ」


「え? なんだ?」


「それはどんな状況下に置かれても楽しむこと。いつだってヒサタカはそうだったじゃない」


「でも、異世界では安全圏にいたからだぜ」


「ううん。安全圏とか関係ないわ」


「そんなものなのか?」


「そうよ」


 お姫様は自信満々にうなずいてくるので、俺はいい加減覚悟を決めることができた。


「たしかにな。俺はいきなり召喚された異世界でもわりと苦労なく楽しんでいた。そういうことはかなり大事だよな」


 この状況下を楽しむことで、心に余裕をできてくる。考えてみれば、勇者ならば必ず備わっていなければならない機能だった。


「さて、ならばこの均衡状態をどう打開するか」


「あら、そんなのは簡単なことよ。ただ、私たちの仲間と協力すればいいじゃない」


 お姫様の発言が契機となったのか、いきなり俺たちの周りが優しい光に包まれていく。


「こ、これはっ!」


 お姫様の移動魔法だ。


「こんな範囲外のような場所でも使えるのか」


「使えるわ。だって、私がこの場にいるから。それに移動系の魔法は私の専売特許よ」


「そうだった。さすがはお姫様だぜ」


 と、そんな会話を俺たちがしているうちに、あの優しい光はくっきりとした二つの人影へと変化していく。そしてそこから見慣れた人物が姿を現しはじめていた。


「勇者殿!」


「アルフレッドか!」


「勇者様!」


「カーサだな!」


 まだ完全に顕現されていないのに、フライング気味で声をかけてくる二人。


 俺は去来する懐かしい思いに囚われて心がつぶされそうになる。異世界で共にパーティを組んだ二人に対して、たくさんの思い出がこみ上げてきたせいだ。


「勇者殿がピンチだと聞いて。それにもう一度会いたかったから」


「わ、私もです勇者様。会いたかったっ」


 アルフレッドとカーサがはにかむように言った。


「オマエら……」


 涙腺が緩みそうになる。ただの一介な勇者である俺にはもったいないくらいの言葉。


「それはいいけどさ、ヒサタカって呼ぶ約束を忘れたのかよ」


 照れ隠しが入っていたのか、思った以上につっけんどんな対応になってしまった。


「そうだったよ、ヒサタカ。久しぶり」


「おう、久しぶりだぜ。アルフレッド」


 俺とアルフレッドをがっちりと男の握手を交わす。


「……っ!」


「ん? カーサ?」


 で、こっちこっちでお約束だった。顔を真っ赤にして、口をもごもごさせている。


「あー、無理して言わなくてもいいぞ。カーサは前も俺の名前呼ぶのに苦労していたもんな」


 かわいそうなので助け舟を出すと、ぶんぶんと勢いよく首を振られた。そのしぐさがやけに小動物じみているのは変わらない。


「じゃあ、呼ぶのか?」


 俺がそんなふうに聞いてみると、カーサはこくこくとうなずく。


「……」


「……」


「……」


「……」


 間がかなり長いんだが。でもようやく覚悟を決めたのか、カーサは息を吸い込んで口を開く。


「ヒ、ヒ、ヒシャタカっ」


「……」


 噛むなって。久しぶりに俺の名前を呼び捨てにするのは、カーサなりにかなりの緊張を要することぐらいは解るんだけどさ。


 ともあれ、魔王を倒すための勇者のパーティがここに集ってくれたのには変わりはない。


 舞台にはしかるべき役者が揃い、準備は整った。今度こそ本当の逆襲だ。一人でダメなら仲間とともに。


「なあ、アルフレッド、カーサ、お姫様」


 俺は言葉に力を込めて言う。


「あの魔王を倒した時にはさ、俺たちは大事なことをやり忘れていたんだ」


「それはなんですか?」


 三者三様に驚きの反応を示していたのだが、話の流れからかカーサが代表して聞いてくる。


「それはだな、魔王を倒した後に囚われの女の子を助けるっていうこと」


 勇者は魔王を倒す。

 魔王は勇者に倒される。


 そして、俺には守らなければならない大切な女の子がいる。


「――。――」「――。――」「――。――」「――。――」


「ヒサタカ、敵が動いているよ!」


 と、いきなりアルフレッドが叫んだ。


 ここで不気味に様子を窺っていたはずの『核』が障壁魔法を打ち破りに攻撃を繰り出してきたみたいだ。複数の『核』が塊の一部を先鋭化させて迫ってくる。


「きゃぁぁぁー!」


 障壁魔法が木端微塵に破壊され、お姫様が間一髪でダメージをくらいそうになっていた。


「そうか。今までオマエが静かにしていたのは、この障壁魔法を打ち破る力を貯めていたんだな」


 そっちがその気ならば、早めに決着つけてしまおうと思う。一人ならまだしも四人なら手立てがある。


「アルフレッドは先鋒、カーサは水の系統魔法で援護、そしてお姫様は後ろから唱詠魔法だ」


 俺は瞬時に判断して、各々にそれぞれの役割を命じた。


 これはかけで勘だけど、間違いなく失敗のできない選択。でも、もう一度挑戦してみるのも面白くて楽しいじゃないか。だって、確かに俺は見た。そう、二度も見たのだ。『核』が確実にダメージを喰らっていたのを。だからきっと再生能力がとてつもなく速いだけで、一人ならけっして出来ないくらいの連続攻撃をすれば相手を破壊できるはずである。


「えいやぁぁぁ!」


 アルフレッドが指示を受けて行動を開始する中、俺も準備を整えていく。


 複数の『核』を睥睨して、剣に限界突破のイメージを与える。動力の源は根源的破滅。デストロイ。すべての感覚を剣の切っ先に集中して込めていく。すると剣が生き物のように蠕動していき、彩色豊かな金色の光が瞬いた。


「よし!」


 アルフレッドとカーサの連続攻撃はすでに佳境を迎えていて、一か所へとまとめられた複数の『核』に甚大なダメージを与えている。でも、『核』は時間が経つと分裂する厄介な特性を備えているために、今の状況だけではもの足りない。つまり、最後の仕上げが必要なのは明白だ。 


「はぁぁぁぁ!」


 アルフレッドとカーサの切り刻むような連続攻撃が終わりつつある瞬間を見計らい、俺は『核』に根源的破壊を目指した攻撃を開始する。


 しかし、『核』は最後の抵抗を見せてきて、俺はその巨大なブラックホールじみた塊に飲み込まれそうになってしまう。


「ヒサタカのサポートを!」


 お姫様の声が合図になったのか、アルフレッドとカーサがもう一度後方支援をしてくれる。それによって戦況を持ち直し、一進一退のじりじりとした均衡状態に変わっていく。


 まるで鍔迫り合いだ。今の俺は弾力のある見えない壁を必死に剣で押しているみたいでとても苦しい。


「あ、あれ?」


 と、このタイミングであの時と同じようにユウコの声が聞こえてきた。この声は心の中にしみこんでいく感じで不思議な感覚。


(――私を倒さないで、お願い)

(――ダメージを喰らうのはイヤ)

(――私をメチャクチャにしないで)


「え? ユウコ?」


 それは間違いなくユウコの声だったので、俺は大いに混乱する。


 魔王の『核』とユウコの『器』は分離したはずじゃなかったのか。だとしたら、ユウコは救えないのか。ユウコを救えないのならば、俺のしていることに何の意味があるんだろうか。


 俺の心に迷いが生じたせいか、『核』は勢いを増していく。形勢逆転の気配がにわかに漂ってくる。


(――ヒサタカ。惑わされないで)

(――私を、私を信じて)


「ユウコ!」


 そうだ。こっちこそユウコだ。


 ユウコの声で限界突破したはずの力がもう一度みなぎってくる。


「はぁぁぁぁ!」


「――。――」「――。――」「――。――」「――。――」


 最後の力を振り絞って、剣に根源的破壊の動力を与える。


 すると事態は均衡状態から優勢へ。そして絶対的な勝利へ。


 その感触は正しく、『核』の塊には少しずつ亀裂が入っていく。やがてその亀裂は目には見えないほど細かくなり、しまいにはパリンと粉々に砕けてしまった。


「た、倒したのか?」


 俺が半信半疑で皆に問いかけると、アルフレッドもカーサもお姫様も一様にうなずいてくれた。


 実際に、あんなにも大きな存在感を放っていた『核』の塊はもうどこにも見当たらないのだから間違いない。でも、最後は意外とあっけなかった気がする。


「あ」


 このタイミングで、間違いなく『核』を倒したことが確信へと変わった。なぜなら俺に備わっていた勇者の『核』が喪失しているのに気づいたからだ。


「そうか。諸悪の根源である魔王の『核』を破壊したんだ」


 しみじみと困難なミッションが達成されたのを実感する。


 俺は大切な女の子を守るという勇者のすべきことをこなしたのだろうか。などと感慨に浸っていたところで肝心なことを思い出す。


「そうだ! ユウコ!」


 と、俺が叫んだ瞬間だった。


『核』を破壊したその場所で希望に満ちた新たな光が誕生した。その光は段々と輪郭を整えて大きくなっていき、そこからユウコの姿が現れてくる。


 地球とは少し違う重力に翻弄されているせいなのか、ゆっくりと地上に降りてくるユウコ。その姿は用意周到に準備が為されたフィナーレのようで、美しい宗教画みたいに幻想的な光景だった。


「ユウコ!」


 ユウコは魔王の『核』を所持する前の凛とした無表情さで俺を見つめている。


 いつものように流麗で真っ直ぐなセミロングの黒髪。極めて白い肌。ニーハイソックスもプラスして素晴らしいコントラストが映えるのも変わらない。


 これらは普段無表情だからこそ価値があるように思えてしまう。


「ヒサタカ」


「ユウコ」


「たくさん心配かけた」


「そんなことはいいんだよ。こうして俺たちは無事なんだから」


 結局、あの印象的で決定的な出来事が起こっていなければ、俺とユウコはどんどん日常に浸食していく『核』の存在に悩まされ続けていたのかもしれない。だから都合の良い考え方であるけど、結果オーライといえてしまうわけだ。


「ヒサタカ」


「なんだ?」


「私はこんなに嬉しいんだけど」


「ん?」


「どういう表情をすればいいか解らない」


 まんまどこかで聞いたことあるようなセリフだった。


「ユウコ」


「なに?」


「俺はさ、ユウコの無表情が大好きだぜ」


 その無表情さはどこにも存在しない大切な宝箱の中身のような気がするんだ。なぜだか解らないけど、ユウコが表情豊かにしているよりも嬉しいと思えてしまうんだよ。


「だからさ」


 けっして笑えばいいと思うとは言わない。


「そのままでいいと思うぞ」


「……」


「どうした?」


「ん。なんでもない」


「そうかい」


 なんでもないならそれでいい。なんでもないことの積み重ねで日々は成り立っている。


「やっぱり今までと変わらないのが好きだからさ」


「うん」


 俺がそう言うと、ユウコは表情を変えずに照れるという奇妙なことをした。


「ああ、そういえばそうだったな」


「え?」


「いや、なんでもないんだ」


 俺は単に思い返していただけだ。

 ユウコが照れる時はいつもこんな感じだったと。

 





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