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 梨木に呼び出された場所は学校に三つある屋上の中でも一番人気の少ないところだった。放課後の屋上は人目がつきにくいという観点からしてみれば妙案で、用がなければいかないし、そもそもこの場所に用ができることなどめったにない。


 こんなこと考えてしまうと若干不安になるのだが、異世界の関係者である可能性の高い梨木に何をされるか解らない危険性が高まったといえる。


「さて、そろそろいくか」


「はいですっ」


「……」


 神様は返事をしてくれたが、ユウコにはぷいっと視線を逸らされてしまった。やはりユウコは機嫌が悪く、昼食でのやり取りもあってか梨木が関係してくるとずっとこの調子だ。


「梨木さん、指定時刻が遅かったですね」


「そうだな。どうしてだか」


 梨木がわりと遅めの放課後を指定してきたので、俺とユウコと神様は今まで図書館や部活動の見学をしたりして時間をつぶした。ちなみにユウコと神様が一緒なのはここ最近の平素と変わらない行動でもあるし、俺と梨木のことを影で見守ってくれるためでもあったりする。


「それにしても今日は暑いですね」


「たしかに暑いな」


 もちろん緊張で体が火照っているわけではない。


「あさってから夏休みだし、いい加減に夏本番なんだろうな」


 俺は額の汗をぬぐいつつ、廊下の窓から入ってくる斜光に目を細める。影が伸びているのは太陽の位置がだいぶ落ちてきているからだ。


「私、人間もすなるというアイスといふものが食べたかったり」


「いきなり古典かっ」


「では、普通にアイスが食べたいです」


「最初からそう言え。てか、オマエは食べることばかりだな」


「えへへ」


 いや、褒めてないぞ。


「アイス食べたいですね」


 三回目ですよ。


「私は叫んだ。アイ、スクリーム!」


「やけに発音がいいけど何が言いたいんだ?」


 たぶんダジャレなんだろうな。


「そういえば妹さんもアイスが大好きなんですよね」


「ああ、そうだった。でもアイツはなあ」


 夏になると妹は悩ましくない下着姿でアイスを食べる習性があるのだが、学習能力がないのか食べ過ぎては腹を壊すの繰り返しで一種の楠本家の風物詩となっていた。そして具合が悪くなった後は毎回同じようにアイスはもう食べないと宣言したりしているけど、その教訓は一日たりとも持たないのが通例だ。


「あ、着きました。ここですよね?」


「ああ、そうだ」


「……」


 そんなこんなで俺と神様が全く中身のないアイスの話をしているといつのまにか屋上に着いていた。


 俺は中の様子を窺って梨木がいることを確認してから入ろうと提案したのだが、神様に「まだ来ていませんですよ」と告げられたので何の心配もなくそのまま入っていく。


「ここは直射日光が当たって暑いですね」


「ホントだな」


 屋上はじりじりと照りつけてくる太陽の日差しを存分に受けていて、床がやけどしそうなくらいの温度にまで達していた。ここを裸足で歩くことは間違いなくできない状態だ。


「やっぱり少し早めに来ただけあって、梨木はまだ来ていないみたいだ」


「そうですね。用心して、少しだけ早く来たかいがありました」


 そこまで用心を重ねているわけではないが、神様とユウコに近くで見守っているにはこのように待ち伏せという手段を取るのが手っ取り早い。


「とりあえず二人は給水タンクの影にでも隠れてくれ」


 一見隠れるところが何もないがらんとした屋上だけど、幸いにして入り口の近くに給水タンクがある。


「わかりました」


「……」


 一応、ユウコもうなずいてくれた。


「さあ、稲葉さん。かくれんぼしましょう」


「かくれんぼ?」


「はい、かくれんぼです。私、飯倉さんから己の身を守るために上手く隠れる技術をたくさん見つけたんですよ」


 神様はたいそう自慢げに言っているが、その理由が何とも切ないぜ。てか、神様なのだから、ご自慢の瞬間移動をすればいいだけの話じゃないか。


「まあ、神様だしな。そこに気がつかないのもむべなるかな」


 こうして自分の武勇伝を嬉々として語る神様とその薫陶を聞き流す機嫌の悪いユウコの二人が、給水タンクの影に隠れて姿が見えなくなった。


 一人にされた俺は柵の近くまで行き、一面に広がった景色を見下ろす。こういうふうに俯瞰で景色を見ていると、自分がどこに立っているか解らなくなることがある。立ち位置が不明になってしまい、自分の居心地が悪くなっていく。


「あ、あの、楠本くん」


 耳元で声が聞こえたので、驚いて振り向く。


 どうやらいつのまにか梨木に接近されていたみたいだが、今のところ危険な兆候は何も感じない。神様の勘違いであってほしいと切に願う。


「楠本くんは高所恐怖症なの?」


「そんなことはないと思うんだけどさ。でも、わりと今の状況は居心地悪いぜ」


 軽い言葉が口をついて出た。


「それって、もしかして私と二人っきりでいるせいかな?」


「ああ、そうかもな」


「そっか」


 梨木が赤い顔して申し訳なさそうにしている。梨木の表情を見る限り、この状況はまるでこっちがいじめているみたいだ。


 俺はどう返そうか思案していると、梨木がまた口を開く。


「最近勇者になった楠本くんはさ、クラスのみならず学校中の女の子の垂涎の的なの」


「垂涎の的か」


「そうだよ」


「そうか。それはわかった。で、梨木は何が言いたいんだ?」


 少し残酷かもしれないが、本題に早く入ってほしいのでこう告げた。


 それはもちろん、この今の勇者の『核』に影響された状態で俺が女の子に告白されても仕方がないという理由から来ている。たとえそれがクラスのアイドル的な存在である梨木だとしても認識は変わらない。間違いなく本来の想いではないし、そもそもそんなことよりももっと大切なことがある。


 それは勇者よりも魔王のユウコの方がもっと苦しんでいる事実。日々、悪に心を蝕まれていてにっちもさっちもいかない状態なのに、俺の勇者のハーレム機能というだけで偽物の恋愛にかまけている暇など断じてない。


「梨木?」


 梨木がうつむいていたのでもう一度問いかける。前髪が顔に隠れていて、梨木の表情が全く解らない。


「あのね、楠本くん。私はずっと楠本くんの様子を注意深く見ていたの」


 梨木の口調がなんだか変わった気がする。何が変わったのかは解らないが、間違いなく威圧感が増している。


「で、わかったことがあるの」


「な、何がわかったんだ?」


「それはね、私がここで楠本くんのことを好きだと告白してもすべては徒労に終わるということ」


 俺は何も言えない。実際にその通りだからだ。


「つまり、私は正しい方法をしなくてはいけないの。正しい方法とはもちろん楠本くんと私とのことで」


 この考えの時点で、梨木はほかの女の子とは一味も二味も違っていた。


「たから、私は忠告するの。今の楠本くんはいびつで不可解で不条理で不幸で曖昧で正しくなくて間違っていて倫理にもとっていておかしなことなんだと」


 梨木の言葉は後にいくにしたがって、音量がどんどんと上がっていく。迫力が一気に増して怖いくらいだ。


 そしてさらに梨木は自分の身の上をぺらぺらと話しはじめた。ハイで饒舌に。とどまることを知らずに。


「私はね、神社の娘だけど、先祖が異世界から来た住人のおかげで普通の人には使えない力が使えるんだ」


 もし俺がささいな日常を送っていたとしたら、梨木のことはただの電波女だと思っただろうな。事情を知らずにそうであったら、どんな平和かと思うぜ。


「そしてそれは相手のおかしなところを治す力で、私たち一族の生業でもあるの」


 愉快に話す梨木が一歩ずつ迫ってくるけど、俺は金縛りにあったかのように動けない。助けの声も出せない。


「これが私の役割」


 役割。ロール。くしくも俺とユウコが神様のお達しによって下されたテーマと同じだった。


「じつはあの時だって、楠本くんからハイエナジーを感じていたのよ。あの社会の窓が開いていた時も」


 それは俺が大恥をかいた時だ。呑気な俺は梨木との未来日記を空想していたりした。


「てか、それはおかしくないか?」


 なんだよそれは。俺の股間はイレギュラーなわけ?


「でもね、今はもっと危ないの」


 梨木がすーっと見えない輪郭をなぞるように指を動かした。


 もう俺には何が何だかさっぱり解らなくなっている。


 神様とユウコはこちらのおかしな様子にさっぱり気がついていない。外から見た感じでは俺と梨木に違和感は何もないらしい。


 神様の相手の思考をトーレスするという無双技はブロックされているし、介入するにしても方法がない。こういうことならアイスの話なんかしないで合図でも作っておけば良かった。


「だから、私がね」


 梨木が蜃気楼にゆらめく。


「私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が――」


 突如としてゲシュタルトが崩壊。


 梨木は壊れたカセットテープのように同じ言葉を繰り返している。半自動的で機械みたいだ。


「私が異常を治してあげる」


 最後に力強く言いつつ、俺の唇をそっとなぞってきた。すーっと。まるで見えない線を引かれるように。


「……っ!」


 ぞくぞくと身の毛がよだち、ぞわわと鳥肌が立つ。さらには根源的恐怖を感じる。本能が危険を訴えている。


「ね、楠本くん」


 今こそ適宜なタイミングで、俺は勇者である爆発的な身体能力か簡易魔法か絶対的な勇気を発揮するべき時だった。でも、どういうわけだが体がいうことを聞かない。


 梨木は今までに見た誰よりも美しく恐ろしい恍惚の笑顔を浮かべているのだが、それはあまりにも蠱惑的で抗える状態ではなく、今の俺はまるでヘビに睨まれたカエルという表現がぴったりだった。


「相手の息を吸うとね、私はもっと征服できるの」


 そしていつの間にか、俺とゼロ距離まで接触して唇をふさいできた。

 離れた瞬間に、つーと唾液が糸を引く。


「何をたくらんでいる」


 かすれかすれで出せたのはそんな言葉。

 梨木に見えない力で拘束されていて、全く抵抗できない。


 勇者である俺がなすがままにされている。


「何って私が助けてあげるの。今の楠本くんのおかしな状態から」


「だったら、ユウコもおかしいだろ」


「何の話? そんなことよりも他の女の話はしないで!」


 梨木の態度がさらに豹変した。どうやら梨木は俺がおかしいことしか見えていないらしい。ここでも勇者の『核』のハーレム機能が影響していて、ユウコの様子がおかしいのは眼中にないのかもしれない。


「私が助けてあげるから」


「……んっ!」


 今度は口内まで蹂躙される。甘美な陶酔とはまるで反対の極地。


 とにかく、何がどうなってそうなるのか論理の転がり方が理解できない。今の梨木とは相互理解を果たすのは無理だと悟ってしまう。


 ただ、かろうじて神様とユウコの存在に思い至った俺はそっちに向けて視線を飛ばす。


「どこ見てるの? 二人っきりなのに。私、確認したよね。二人っきりって」


 あれはそういう意味だったのか。などと呑気に考えていても仕方がない。とにかくこの状況を打破しなくてはいけない。


 と、思い直したその時だ。


「い、稲葉さん、待ってくださいっ!」


 まずいな、と頭のどこかの冷静な部分で思う。ユウコの大きな誤解を与えてしまったと。


 神様の悲痛な声が聞こえる中、身動きの取れない俺はただ見ているだけだった。


 ユウコが涙を流しながら屋上のドアに向かって駆け出していくのを。さらには左腕に明らかな異常と思えるほどの魔力が集中しているのを。そしてユウコの姿が視認できなくなってしまったのを――。











 そしてその瞬間、世界が暗黒へと反転した。


 あんだけぎらぎらと輝いていた夏の太陽が途端になりを潜め、全体を照らしていた光がどんどんと収斂して弱まっていく。急速に広がりつつある漆黒の闇が辺りを支配して、一気に帳が落ちてしまった。


 それはまるで世界の終わりを感じさせるかのようで、圧倒的なまでの絶望が心の一番深いところに染み込まれていく。絶望とは誰にでもある大切なモノの喪失で、精神的支えがぐらついている状態に近いことだ。


「私、失敗したの?」


 梨木が肺腑をえぐられたかのような表情をしている。


「私のせい?」


「違う。そんな些末の問題じゃない。たまたま今回はオマエの役どころが悪かっただけさ。気にすんなよ」


 きっと梨木も魔王の『核』の絶望に身を染められたのだろう。さっきまでハイな感じがすっかりなくなっていて、ものすごく不安定な感じになっている。でも、かえってバランスが取れたのか、正気に戻ってくれて助かった。


「とにかく大丈夫だ。落ち着け」


「うん。わかった」


 梨木をなだめ終えたので、俺はこの場を立ち去ろうとする。


「く、楠本くん」


「何だ?」


「あなたにここにいてほしいの」


「……」


「ずうずうしいってわかっているけど、お願い」


 梨木は破壊力のある上目使いでこっちを見てきた。さすがはクラスのアイドル的存在であってその破壊力は凄まじかったが、今の俺には何の効果も与えない。


「すまんな。それはできないんだ」


「そっか」


「俺は自分の為すべきことを最優先にしなくてはいけないからオマエは置いていくよ」


 適宜なタイミングで為すべきことはできなかった。でも、まだ手遅れじゃない。ユウコを追いかけなくてはいけない。


「待って!」


 すっかりとへたり込んでしまった梨木がぼろぼろと涙を流しながらも俺の腕をつかんだ。


 俺は振り払うこともできずに梨木を見つめた。


「あのね、私の心になんだか得体の知れない絶望が流れ込んでくるの。取り払っても取り払っても信じられないくらいの絶望が襲い掛かってくるの。そう、それはまるで辺りを一気に浸食していくたちの悪い霧のように。とにかく、なぜだか知らないけど悲しくてたまらないの」


「それで俺にどうしてほしいんだ?」


「もうそばにいてとは言わない。だから一つだけ答えて」


「わかった」


「どうしてそんなに平常心を保てるの?」


「平常心?」


「そう。平常心」


 梨木が真剣に問いただしてくるので、俺も真剣に答える。


「そんなのはさ」


「うん」


「最初から決まっていることなんだ」


 そして、俺はできるだけ優しく言った。


「それは俺が勇者だからだよ」


 梨木一人でもあんなに動揺していたのに、何を言うかと自分でも思うが。


 結局、梨木にはその言葉を言い残して屋上を後にした。階段を急いで降りて、俺とユウコが日々学んでいる教室へ行く。途中の道往く生徒たちは誰もが絶望に身を染められていて、魂を奪われたみたいな表情をしている。さらには学校の中も漆黒の闇が入り込んでいて薄暗い。明かりというのが全く存在しないかのようだ。


「困ったな。どうしようか」


 ユウコはいまだに見つかっていない。でも、見つけなくてはいけない。

 俺はユウコを追わなくてはいけないし、この手で倒して滅ぼさなくてはいけない。

 

 そうでないと世界が魔王の『核』によって破滅してしまうのだと直感が告げている。


 だから――。


 勇者は魔王を倒す。

 魔王は勇者に倒される。


「あ、あれ? こんなことって」


 そこでとんでもない事実を発見してしまい、俺はその場にへたり込んだ。あまりの事実に打ちのめされて、がっくりとひざをつく。そしてそのまま動けなくなっていく。心が折れたのだと気がついたのは、自分の頬が濡れているのを確認した時だ。そう、俺は泣いていた。最初は声も上げずに涙を流していたのだが、やがて慟哭に変わっていった。


「俺がユウコを滅ぼすのかよ! 役割とか建前とかでもなく!」


 男の誰もがそうであるように大切な女の子を守りたいという確かな本音。世界を救うというのはほんのオマケであって、大切な女の子を守ることが第一優先なはずだった。


「なのに、俺がしなければならないことは大切な女の子を完膚なきまでに破壊することなのか?」


 それに元はと言えば、自分の認識の甘さから招いた失態である。


「そんなのウソだろ!」


 俺は声にならない声を上げて叫んだ。


「嘘だよな! 夢だと言ってくれよ! 楠本家特有のバクにでも喰われるべきなたちの悪い夢だよなっ!」


 必死になって叫んだが、そんなことをしても意味など全くなかった。

 それを知っていただけではなく、自意識のどこかで深く理解していた。


 そう、すでに勇者の『核』の意識が確実にさいなんでいて、俺にはどうしょうもできないのだ。きっとプログラムされているかのように魔王を滅ぼす行動を取っていく。


「……」


 もう言葉も出ない。

 その残酷な事実が重くのしかかる。

 圧倒的なまでの絶望へと昇華していく。


「――楠本さん! 楠本さん! 落ち着いてくださいっ!」


 と、ユウコを追いかけていたはずの神様がいつのまにか現れて、落胆に暮れている俺の頬をがっしりとつかんだ。


 そしてそれだけで俺の動揺の原因をすっかり理解したのだろう。


 神様は全てを包み込んでくれるような慈愛の表情でこう言った。


「楠本さん。いつもは無視しても構いませんが、こういう非常事態の時くらいは私を無視しないでください。そして私の話を聞いてほしかったり」


「か、神様っ」


 俺は神様が醸し出している安らぎの雰囲気に身を委ねる。


「もう、楠本さんまで絶望に身をやつさないでくださいね」


「ぜ、絶望?」


「そうですよ。これはまぎれもなく絶望です。おそらく先ほど、稲葉さんの感情を高ぶらせたことが契機となって、魔王の『核』に何らかの悪影響を及ぼしたのでしょう。『核』の効力が見事に爆発して、あの勇者にまで影響を与えるくらい大きなものだったりしていますので」


「そうか」


「はい。そうだったり。その証拠にこれを見てください」


「こ、これは」


 神様が手に持っていたのは、俺とユウコが異世界に召喚される前に互いの身に着けているものを渡しあうという名目で交換したミサンガだった。ただ、そのミサンガは焼けきれるように千切れていたのだが。


「そう、これはミサンガだったり。で、楠本さん。私が推測するにですね、勇者の元持ち物であるこのミサンガは、魔王の『核』を抑える最後の防波堤だったのではないかと思うのです」


「最後の防波堤?」


「はい。そうだとすれば、私の中で色々と整合性が取れます」


 そして、神様は真面目な顔をしてさらに続ける。


「前にユウコさんがいきなり大規模な魔術結界を張ったことがありましたよね」


「ああ、あったな」


 あの時は勇者でありながらも、魔王の魔術結界を制御するのに苦労した。異世界で魔王と倒すという本来の役割を遂行するよりもはるかに大変だったのを覚えている。


「じつはその時に、ユウコさんからミサンガを預かっていたんです。ちょっと試したいことがあるからこれを持ってて、と。あの時はこんなふうに言われて何の疑問も持たなかったのですが、今のこの状況を見るとそれしか考えられなかったりします」


 つまりその神様の推測が正しいとすると、あのミサンガは魔王の『核』を封じていた。しかし、そのミサンガでも魔王の『核』を制御できなかったことになるのか。


「はい。おそらくそうでしょう。それに今朝、左腕を抑えていたのもそのことに関係していると私は思ったり」


 神様の言葉を聞いて、俺は今朝のユウコの様子を思い出す。


 今朝、ユウコはこの手がヒサタカにくっつきたいと冗談みたいにちゃかして言っていた。きっとあれは魔王の『核』を暴発させないための本能的察知で、単純に安全を求めていた行為なのだろう。


「神様」


「なんですか?」


「やっぱりユウコは大変だったんだな」


「はい。私がもっと早く感づいていれば」


「いや、俺が梨木を楽観視していなかったら」


 後悔先に立たずである。後になって悔やんでも取り返しがつかない。覆水は盆に返らないし、こぼれたミルクは元に戻らない。


「とにかく、そんなことよりも今はユウコを探しに行かなくては」


「あ、あの、楠本さん」


 一刻も早く動き出そうとしたのに、神様がためらいがちに問いかけてくる。


「なんだ?」


「おそらく稲葉さんは、今現在この世界に存在していません。だから、探し回るのは無駄な労力だったり」


「待て、それはどういうことなんだ。全く要領がつかめないが」


 俺は嫌な予感が芽生えてきて、気がつけば神様にすがっていた。


「要領がつかめないですか」


 そう言った神様は少し黙り込んでから続ける。


「もう楠本さんは解っていると思いますが、この世界は多重世界なんですよ。そう、パラレルワールドではなくて多重世界。異なる世界で異なる世界の形態があって、だからこそ私たちもこうして存在していたりするのです。それで今、稲葉さんがいる場所は時空を超えた心象世界ともいうべき空間存在だったりします」


 やはり話の内容がいまいちつかめない。


「あのミサンガが焼き切れるほどの『核』のエネルギーが暴発する瞬間、魔王の『核』は稲葉さんという枠に収まった『器』に耐え切れなくなって分離してしまったのです。そして『核』自身が自律意識を誇大化させ実体化し暴れはじめ、心象世界と私が勝手に定義している心の内側の空間存在に稲葉さんを閉じ込めてしまいました。なので、このまま状態を放置しておくと、グレードの上がった自律意識を所持した『核』はいずれ心象世界の内部から膨張してこの世界に浸食してくるかもしれません。そうなってしまったら本当に破滅へと――」


「そんなことはどうでもいいんだよ! 神様!」


 要領を得ない神様の話にイライラする。


「それよりも大事なことあるんだ」


 やることは単純明快。


「俺はさ、ただユウコを救いたいだけだぜ」


 異世界では勇者と魔王という役割の名目でユウコを救えなかった。もし上手く立ち回っていれば救えたのかもしれないのにだ。でも、俺は単に決められたルートだけをなぞっていた。それが勇者と魔王の役割。そんなふうに思っていた。だから、こうしてツケが回ってきた。


「神様が言うように『核』が分離したならば、それを滅ぼす絶好のチャンスじゃないか。分離したってことはユウコに影響は及ばないってことだろ」


「はい。そうだったり。しかし、その代償として『核』の危険度はさらに増しています」


「そうだろうな。それが相手の常套手段ってところでそんなの解っているさ。でも、大切な女の子を守らなくてはいけないんだ。それこそが勇者だから」


 俺は異様な熱に浮かされながらも言葉を紡ぐ。


「なあ、神様。こんな話を知ってるか。ここの世界にはな、千切れたミサンガは願いが叶うという有名な言い伝えがあるんだよ。だからさ、今から俺は自分の力で願いを叶えにいこうと思う」


「そんな、でも」


「大丈夫だ。問題ない。それに神様も七夕祭りをした時に祈ってくれたじゃないか。それはもちろん心象世界とやらも対象になるんだろう?」


「確かに私は七夕祭りでどの世界も平和になりますように、と一生懸命に祈りました。しかし、どの世界と言っても私が勝手に定義した世界というくくりなのです」


「ああ、そういえばそうだったか。ということはきっと俺の都合の良い解釈なんだろう。だが、俺は気にしないぜ。それよりも神様が祈れば鬼に金棒だと思うんだ」


 ただ、それでも最終的には神様を頼るんじゃない。この自分の手でユウコと共に変わらない日々を過ごす安寧をつかみ取りに行くんだ。


「あ、そうか」


「どうしたのですか?」


「いいや、なんでもない」


 俺は勇者に似つかわしくない不敵な笑みを浮かべる。


 なぜなら、これから俺はどういう行動を取っていくべきなのかをすべて理解できてしまったからだ。


「なあ、神様。オマエに頼みたいことがある」


「はい。でも、今回の件で私にはできることよりもできないことの方が多かったり」


「何を言ってるんだよ、神様」


「え?」


 俺の自信満々な様子に、神様はやけに幼い動作で首をかしげる。


「オマエは大事なことを忘れている」


「く、楠本さん?」


「得意分野なんだろ。異世界転移をさせるのは」


 神様が目をしばたたかせて驚く。


「俺をユウコの心象世界とやらに転移させてくれればいいんだよ」


「しかし、それにはかなりの危険が伴っていたり」


「手ぐすね引いて待ちかえているより、その方が合理的さ」


「たしかにそうですけど」


「そう思うなら逆襲を始めようぜ」






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