02.触ってみる
オーク材を使用したドアは、その大部分をユリの花をモチーフとした繊細な透かし彫り技法で作られている。
ユリの一部に、光を反射する角度によって色が変わるという珍しい──玉虫のような光沢のガラスが嵌め込まれている。これは魔界にしか存在しない最高級品だ。
最初に訪れる者は扉の前で溜息が出るという。
「この扉の中に住まう者は上級魔族に違いない」
「そう言えば脆弱な人間の娘が魔王様を誑かしたと噂があるが、もしやここに……?」
「まさかとんでもない、あれは人間どもの虚構に過ぎない」
「そうだ。あの魔王様ともあろうお方が……」
とか云々。
滅多に開かないそこを遠視や姿鏡で眺めながら、魔族の間で論議が重ねられているらしい。
そんなとある日の穏やかな昼時。
城の最上階に位置する部屋の外に、少ない訪問者である青年がドアを見上げた。
その漆黒が映える端麗な面持ちに微笑を浮かべながらドアをノックし‥‥‥ようとした手を下げて、ノブを回した。
* * *
神息の吹く国、アルスヴィド。
魔を狩る神族の守護を幾千年と受けし豊穣たる地であったかの国も、今や面影はない。
天とは別の世界、闇の国から圧倒たる魔力の持ち主が姿を見せたことによる。
絶対的な力と美を誇り、世の全ての知識と闇を持つ魔王と呼ばれし美しい存在は、アルスヴィドを護る神の息吹を忽ちの内に消滅せんとその力を奮い、人心に恐怖を植えつけた。
世界を闇に染め、染まりゆく時。───アルスヴィド王国ヤーレム王歴18年。
人間世界の王国から一人の娘が魔王の元に跪いた。
アルスヴィド国王ヤーレムの十三番目の娘。名はスノウティナ。
後に「救国の女神」と讃えられる娘は、脆弱な人間ながら神々の寵愛を一身に集めた光の如き容姿を誇っていた。
闇に潜む者達は語る。
脆弱な人の身であるものの、否脆弱だからこそ、娘は我が魔王の隣に相応しい美を持っていた。
我が王の趣味は極上だ。つまり、何処を取っても我が魔王は最高である!!
ソランジル署
「ミケラヘイム様万歳」より抜粋
* * *
「何が『我が王は最高』よ。ただの変態魔王じゃない」
「誰のこと?」
唐突に降ってきた声に勝手に反応する様に身体が出来上がっているらしい。
部屋の主スノウティナは振り向くことなく、近くの使っていない燭台をぶん投げた。
狙い違うことなく向かっていった。が、当の侵入者が避ける事など百も承知、最初から牽制目的なのだから。
「腕上げたね。危うく刺さる所だったよ」
「ほんっとうに残念ね、一度でいいから刺さってくれない?私の為に」
「君の愛がいつも突き刺さっているから余裕ないんだよ僕。……ごめんね」
のほほんと茶化した口調を披露した青年は、燭台をぶん投げた女の背後から肩を抱き、その手元を覗いた。
「ふうん。ソラの本なんて読んでたの?他の男が書いたものとか、ちょっと妬けるな」
「ご勝手に。くだらない本を手にしてしまっただけよ」
「くだらない?よく書けてるじゃないか」
「へぇ。あんたの世界じゃ、嘘を並べるのが『よく書けてる』のね?」
「スノウ?」
スノウ。
そう呼ばれた女の頬がひくりと動いたことから、恐らく彼女の血管は五本程ぶち切れたであろうと思われる。
その証拠に、凄まじいスピードでこちらに飛んでくる分厚い書物───「ミケラヘイム様万歳」を見つめながら、青年は軽く身を翻した。
本は通り過ぎ、背後でぼすりと壁にぶつかった音。
物騒な光景なんてはじめからなかったかのように笑顔を崩さずに。
「嘘なんか何処にもないでしょ」
「あんたの目は節穴ね」
ああ怒った顔も可愛いなぁ、と女に見惚れながら男は言った。
不安定でギリギリの均衡を保つことすら危うい彼女の心。
それが青年の馴染み深い魔力の暴走に似ていて心地好い。
男は眼差しにほんの僅か力を込める。
すると、壁にぶつかり無残な姿となった先程の本が、手元に移動した。
「ふむふむ」ともう一度目を通して青年は首を傾げる。
「節穴ってさ、木の幹に開いた穴だよね。僕のスペシャルウルトラキュートな瞳と節穴とやらの何処に共通点を見出したのか知らないけれど、スノウが望むなら、今すぐ世界中の節穴を集めてあげてもいいよ」
「望んでるわけないでしょうっ!」
「えー……僕が居ないときに代わりになるかなって。スノウが寂しくないでしょ」
心底アホだこいつ。
スノウティナは絶対零度の視線を投げた。眼差しで殺せるなら、今までに1000回は殺人を犯していると自負できる。
そう。こんな男を無視すべきなのは理解している。
……けれどその挙句とんでもないお土産、つまり「世界中の節穴」を持ち込みかねない危険を孕むのは御免だ。
部屋中に木材を積み上げるのは嫌に決まっている。
彼ならやりかねない。ミケラヘイムに不可能は殆どないのだ。
人々が最も恐れ、神々でさえ迂闊に近付かぬ脅威の存在───それが魔王。
それは知っている。けれどスノウからすれば、どう頑張って評価しても変態以上の存在に考えられなかった。
その反応こそが、魔王の琴線を震わせる材料となって居ることも、知らずに。
それも被虐心という名のスイッチをぐりぐりと押しまくっているとも。
「スノウの事だってちゃあんと真実を記述してるでしょ。だって本当に綺麗だもの。うん、僕の次にね!」
「消えろナルシスト」
ああ、と男は陶然とする。
この何処までも冷たい視線が新鮮で堪らない。
姫君らしからぬ罵声と、ドレスの裾から繰り出される蹴り。
その白く滑らかな肌と完璧な黄金ライン、蹴り上げた時に仄かに香る甘い花に似た香りも。
「んーっいいね! ツンデレ最高!」
己が身を抱き締めながら身を捩りだした青年を足蹴にしてやろうかと思ったが、止めた。
そんな事をしたってこの男を調子に乗せるだけだ。流石に学習している。
結局スノウティナが何を言ったところで、自我絶賛スイッチが入った青年には通じないのだ。
「はぁ……、──なっ!?」
スノウティナが溜息を吐いた瞬間、身を強く引かれる。
気を抜いた隙を狙ってミケラヘイムに拘束されたのだと知るのは直後のこと。
「ああ、いい匂い」
「はあ!? やっ、……はなしてっ!」
「やだよ! 離したら次はなかなか触らせてくれないでしょ!」
「当たり前だこのド変態!」
「んふふー、スノウって結構あるよね。柔らかくって気持ちいい」
「…………」
「むにむにしてる。いつ揉んでも最高だよ」
人間だろうが魔族だろうが男には決してない弾力をやわやわと揉むミケラヘイムの腕の中から、期待していた反応が返ってこない事に首を傾げた……その時。
「 ミ ケ ラ ヘ イ ム ?」
「……え?」
ざわり、空気が凍りついた。
「あ、はい‥‥‥えーと、冗談だよ! 冗談、あはは」
「‥‥‥」
冬でもないのに。
更に言えば此処は魔王の居城なので季節なんてないのだが、見えてしまうダイヤモンドダスト。
彼女から生まれるものは冷気であろうともこれ程に美しいのか。
と感動したのかは本人のみぞ知ることだ。
「ねえスノウティ、──」
「刺殺撲殺絞殺熱傷死圧死、どれがお好み?」
「……っ」
こちらを見上げ燦然と艶やかな華の如く微笑んだスノウティナは女神を思わせ、ミケラヘイムの意識を根こそぎ奪う。
こくり。と、反射的に唾を嚥下する音が束の間の静寂に響いた。
「今なら魔王だろうが殺れそうな気がするわ」
「殺れそう」を「ヤれそう」に都合よく脳内変換したミケラヘイムが苦悶の、‥‥‥否。
恍惚とした表情と共に口を開いた。
「もっと激しいのをお願いします」
この日の午後、魔王の城が震えたと公式歴史書に記された。
Happy end?