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01.身悶える

 

 かつてアルスヴィドが「神々の息吹く国」と呼ばれた輝かしき時代は遠い過去と思われた。

 原初、神は天より見下ろせる荒野に地を作り、自らに似せた器を作り、数十年程の寿命を与えたという。

 神は彼らを「人」と呼び、人に知恵と力を授けた。


 以降、人は創造主への感謝を忘れぬよう神に祈りを捧げ、神は人から真摯な「祈り」という力の源を受け取る。

 神が天に還り数千年を経た今でも、その祈りは形を変えていない。


 加護と祈りにより理が成り立つ世界。その中心に位置するユヴェール大陸に於いて、その面積の大半を占める国家は存在している。

 強固にして強靭な絆で魔の手から護られていた国、アルスヴィド。

 「奇跡」がかの国を幾度と救った事実からも、如何に神に愛されているかという証に繋がる。


 ────天とは別の世界から、『魔王』と呼ばれる闇が降臨した日までは。

 魔王の出現から約10年間、世界は魔王の支配下となる。


 ──中略──


 アルスヴィド王国ヤーレム王歴18年、一人の娘が魔王の前に立った。

 髪は白金、瞳の色は緑柱石。現アルスヴィド国王ヤーレムの十三番目の娘。

 王が即位した年に生を受けた娘、名はスノウティナ。

 神々の奇跡と称される美貌と、柔和な笑顔が見る者を魅了する、美しい娘である。

 現在も城の謁見間に宮廷絵師によるスノウ王女の肖像画が優雅に微笑みかけている。

 今となっては、その絵の他に王女の容貌を知る術がない。

 

 魔王の前に立った王女は、その美貌と何者にも屈せぬ真心によって、終には魔王の心を動かしたという。

 そんなスノウティナ王女の勇気を、魔王は愛し、欲した。


 詳細は誰も知らぬ。

 何故ならば、10年間アルスヴィドを覆っていた暗雲が晴れた日、王女と魔王の姿も消えたのだから。


 救国の女神、スノウティナ。

 

 その名はアルスヴィド王国をはじめ世界中に永遠と語り継がれるであろう。



リム・マーティオス署

「新アルスヴィド伝記」より抜粋



 * * *




「なーにが『詳細は誰も知らぬ』よ。リムの奴、今度会ったら問い詰めてやるんだから」


 辞典と呼ぶには些か薄い書を乱暴に閉じそれを手に立ち上がると、娘は靴音を高く鳴らしながら広い部屋を横切った。

 部屋の壁一面に書棚がある。

 今朝届いたばかりのこの本を何処に仕舞おうか、暫し逡巡した。


「こんな本、雑誌の隣で充分よね」


 歴史書の棚になど入れてやるものか。

 憮然と呟く娘だったが、「新アルスヴィド伝記」の隣に「熟女VS眼鏡っ子④ ~オムライスに愛のケチャップ~」の背表紙が隣に並ぶのを見て、その表情を和らげた。


「ま、このレベルでしょ」


「何のレベルなの?」


「……げ」


 音もなく、気配もなく。

 割れた空間から青年が出現する。

 しかも、娘の真後ろに密着する形で。

 人として有り得ない形の出現方法に慣れているのか、娘は驚く様子がない。

 途端に顰められた娘の眉間を見れば、少なくとも男の行動を歓迎していないのだと誰でも気付く。


 気付くのだが、彼は取り立てて気にもしていないらしい。



「おはようございます! あああ……っ! 今日も美しい!」



 とてつもなく見目麗しい青年に包まれた娘は、言葉も発せないようだ。



「……」


「ああ、白磁も見劣る白く輝く肌!」


「……」


「光を凝縮してしまった罪な髪も! 優秀な妖魔から取り出した希少な魔石よりも深く煌く瞳も! なんと罪な美貌なんだ!」



 青年は娘の身体を背中からきつく抱きしめると、尚も震えた声で賛辞を述べる。

 毎朝嫌というほど聞きなれているのだ。

 しかもご丁寧に、毎朝違う比喩で賛辞を繰り返す青年。

 そして、一頻り喋った後に締めくくるのはいつもこの言葉。



「本当に……何と美しいんだ僕は!」


「やっぱりお前か」



 娘の強烈な蹴りが青年の鳩尾目掛けて、綺麗に収まる。



「……ぐ、っはぁ!!」


「あらおはよう変態。まだ生きているのね、……チッ」


「……お、おはようございます、スノウ」



 腹を押さえ床で悶絶している青年。

 浮かべるひくひく喜悦に歪んだ表情に、スノウと呼ばれた娘が舌打ちをひとつ聞こえる様に放った。

 ……ああ、今日も殺り損ねてしまった。



「どう? 悶えている僕も素敵でしょう?」


「今度こそ息の根を止めてやるわ」


「あ、待って!」



 近くの燭台を振りかざし優美に微笑むスノウはあくまでも本気だ。

 青年がスノウに見惚れたのは一瞬、咄嗟に「待った」をかける。



「ああ、愛するスノウの頼みなら叶えてあげたいんだ。……だけど、魔王の僕は殺しても死ぬ事が出来ないんだよ、何せ頑丈だから……っ!」


「大丈夫よ、死より恐ろしい思いなんて一杯あるわ」


「し、死より深い恐怖……!」



 その顔には恐怖で震えていた‥‥‥。



「是非!!」



 否、


 歓喜で震えていた。



「……っ、もうほんっと死んでくれないかなこのドM! 変態!」


「いいっ! 実にいい!!」


「どっか行けこのミケ! ミケ猫! ミケ豚!」


「そう! そうだよもっとぉぉ!!」



 がしがしと腹を踏みつける娘と、喜び悶える青年と。

 目立たぬ様部屋の隅に控える魔王の側近たる青年が無表情に立っている、この奇妙な空間。



 この二人があの「新・アルスヴィド伝記」の主役達であると知れば、人は絶望するだろう。

 人間の中では唯一人、事の顛末を見届けたリム・マーティオスが『詳細を知らない』と書に記したのも、民を守るため。


 民の『心』を守るためだ。


 真実は彼と、魔王の優秀なる側近のみが知る。








 * * *




『‥‥へぇ、スノウティナ王女か。月光姫と評されるのも頷けちゃうね。実に美しい』


『アンタが魔王ミケラヘイムね。一発ぶん殴らせろ』


『え‥‥?』


『国民の仇ぃっ!』



 一年前の事。

 間髪置かずに決まった右ストレート(眉間直撃)に魔王の肌ならぬ心はぶち抜かれ。

 平たく言えば、(人間とは思えない)腰の入ったパンチが魔王のハートを一発KO、一発フォーリンラブ。


 何とも簡単に、萌え……燃え盛る恋の業火に焼き尽くされた魔王は、王女の望みである「人間世界を人の手に返すこと」を叶えようと決意した。



『スノウが僕の家で一緒に暮らしてくれるなら、魔界に帰っちゃおっかなー(はぁと)』


『───分かりました。民の為に、王族の一員たる私がっ……! 三食昼寝つきジムとエステとカラオケとショッピングが出来てウォーターベッド常備の快適環境を提供するならまぁ考えてやってもいいわ』


『ええぇぇっ! スノウ様正気ですか!?』


『ああいいとも喜んで!』


『ほ、本気ですか魔王様!?』



 互いの側近が慌てるのを他所に、こうしてアルスヴィド王国スノウティナ王女は、暗黒の魔王ミケラヘイムの元へ嫁ぐのでした。






「ああ愛しき僕のスノウ!」


「いいから離れてよマジうざいっ!」


「照れてるスノウも美しいっ! 僕ほどではないけど……っ!」


「くたばれ」




めでたしめでたし?


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