カースト下位の僕がカースト最上位の彼女と同じ大学を目指す話
高校三年の初夏。
教室に残っている生徒は、もうほとんどいなかった。
窓の外では運動部の掛け声が聞こえている。もう日が傾きかけているのに、校舎にはまだ熱がこもっていた。
僕は一人、教室の一番後ろの席で参考書を開いていた。3年生に上がってから授業後も教室に残り勉強することが習慣となっていた。
英単語を覚えて、数学の問題を解いて、間違えたところをノートに書き写す。
それを繰り返す。
別に勉強が好きなわけじゃない。なんなら、僕の成績はクラスでも下から数えたほうがはやい。
ただ、僕にはこれくらいしかできなかった。
部活には入っていない。運動は苦手だった。
体育の授業でもいつも足を引っ張った。クラスで目立つような性格でもない。文化祭でも体育祭でも、中心にいるのはいつも別の誰かで、僕はクラスの陰でただ時がすぎるのを待っていた。
だから、せめて勉強くらいは頑張りたかった。
そうでもしないと自分のことを許せなかった。特技も周りに誇れる実績も何もない。自分の存在を残したい本能が、僕を机に向かわせた。
自分にも、何か一つくらいできることがあると思いたかった。
その日も、時計の針が六時を回ったころだった。
「何してるの?」
声がして顔を上げる。
教室の入口に、彼女が立っていた。
美咲。
バレー部のエースでクラスの人気者。
成績は上位で、運動もできる。体育祭ではいつも活躍して、休み時間になれば彼女の周りには自然と人が集まる。
僕とは正反対の人間だった。
「・・・勉強」
「毎日残ってるよね」
「そうかな」
「そうだよ。私が帰るときも、だいたい自転車残ってるし」
美咲は笑った。
僕は少しだけ目を逸らした。
「美咲もこんな遅くまで部活。大変だね」
「もうすぐ最後の大会始まるからね」
「そっか。勉強と両立もできてて、尊敬するよ」
美咲はバレー部のエースとして毎日遅くまで部活を頑張っている。俺も同じ時間まで学校にいるから分かる。それに加え勉強もできる。テストも毎回上位に入っている。
「なんでそんなに色々できるんだ?」
「え」
つい声に出てしまった。
「バレーは私が好きだから頑張れてるだけだよ」
ボソッと美咲が答えた。
「・・・バレー"は"?」
好きなのはバレーだけだと強調しているような言い方が気になってしまった。
「いや、何でもない。遅くまで勉強お疲れ様!」
そう言って美咲は帰っていった。
両手に大量のノートと参考書を持って。
___
しばらく月日が経ち、本格的に夏が始まった。
各部活も最後の大会を終え、期末テストへシフトチェンジする生徒が増えてきた。
俺は変わらず授業後も教室で勉強をしていた。
「やぁ、やってるね」
美咲がやってきた。どうやらバレー部も負けてしまったらしい。惜しくも全国には届かなかったようだが、うちの高校では過去最高の成績だったらしい。さすがとしか言いようがない。
「あ、その参考書。悠真も東都大学を受けるの?」
やば。見られてしまった。俺なんかが目指していい大学じゃないのに。
「いや、その、ちょっと練習に…」
手で隠しながらしどろもどろに返した。
「誤魔化すことないよ。私もそこ志望だし」
「え。美咲も?」
正直意外だ。美咲はてっきりバレーもできる大学に進むのだと勝手に思っていた。それに、この大学は美咲でも合格するのは難しいと言わざるを得ない難易度だ。
「そ。お互い厳しい戦いだね」
可愛らしい笑顔で恐ろしいことを言う。全く笑える状況ではない。
「せっかくだし、一緒に勉強しよ」
「僕なんかと一緒にしても意味ないんじゃ」
「いーの。誰かと一緒の方がやる気でるし。同じ志望校ならなおさらね」
まぁ僕からしたら頭のいい人と勉強できるのはありがたい。
「ここはこうじゃない?」
「ありがとう」
僕が解けずに悩んでいると美咲は教えてくれた。
みんなが羨むようなラブラブ展開はなかったが、それでも、僕にとっては少し不思議な時間だった。
いつも一人だった勉強が、一人ではなくなった。
---
期末テストが終わり、夏休みが始まった。僕の結果はギリギリ下から数えたほうがはやいくらい。
まだまだ東都大学を目指していることすら恥ずかしいレベルだ。
美咲は学年3位。部活を終え、勉強に集中し始めたことで一段と成績を上げている。
夏休みも、変わらず僕は学校で勉強をしていた。家だと甘えてしまう。自分を変えるため、自分にムチうって勉強に励む。
「お疲れ。今日もやってるね」
「お疲れ様。今日も来たんだ」
美咲もわざわざ教室に来て一緒に勉強をしている。美咲なら家でも勉強できると思うのに。
帰り道、美咲に聞いてみた。
「なんでわざわざ学校に来てるの?」
「その言葉、一言一句そのまま返すよ」
「僕は家だと頑張れないだけだよ。無理やり頑張れるようにしてるだけ。美咲は違うでしょ?」
「うーん。まぁそーだね…」
「あ。いや。別に言いたくないなら全然言わなくていいから。」
「いや、別に言いたくないわけじゃ…」
その時、美咲の電話が鳴った。
「あ、ごめん・・もしもし…」
どうやらお母さんのようだ。あまり聞かないほうが良いとは思いつつ、少し片耳立ててしまった。
「ちゃんと勉強してたよ。学校の方が集中できるし、先生にもすぐに聞けるから。…大丈夫。次の模試では良い結果出すから」
「お母さん?」
つい聞いてしまった。
「うん。ちょっと私への期待が大きくてね。」
「この前の模試も良くなかったし、ちゃんと勉強してるのか不安みたい」
美咲にもそんなことを言ってくる人がいるのか。そりゃそうか。美咲を見ていたら期待もしたくなる。
でも、お母さんと電話している美咲は、少し元気がなさそうに見えた。
「じゃあ私帰るね。お母さんが心配するから」
「うん。お疲れ様」
…期待か。それを僕は知らない。期待してくれる人がいることは羨ましいことだと思うが、美咲は期待されていることが辛そうに見えたな。
___
夏休みに行われた模試の結果が帰ってきた。
僕はなんとB判定だった。
嬉しかった。期末テストの合間も志望校の参考書ばっか見てたのが功を奏したのかもしれない。
その日の帰り道、美咲が言った。
「A判定だった」
「すごいじゃん」
「……そうかな」
「すごいよ」
僕は素直にそう思った。
美咲は何でもできる。
僕が何ヶ月もかけてようやく届いたところに、彼女は当たり前のように立っている。
やっぱり、すごい。
そう思った。
同時に、少しだけ悔しかった。
「悠真は?」
「B」
「そっか」
美咲は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、あと少しだね」
「うん」
「一緒に頑張ろう」
その言葉が、なぜか嬉しかった。
---
夏が過ぎ、日が落ちるのが早くなることを実感し始めた頃。
放課後、僕は教室に忘れ物を取りに戻った。
廊下に出ると、美咲が階段の踊り場にいた。
誰かと電話をしている。
「うん。分かってる」
いつもの明るい声ではなかった。
「ちゃんとやってるから」
少し間が空く。
「第一志望は変えないよ」
そして電話を切った。
美咲はしばらくスマートフォンを見つめていた。
「……美咲?」
声をかけると、彼女は驚いて振り返った。
「え、悠真?」
「大丈夫?」
「うん。大丈夫」
そう言ったあと、美咲は笑った。
でも、その笑顔はいつものものとは違った。
「……ねえ」
「ん?」
「私、本当はあの大学に行きたいわけじゃないんだ」
僕は何も言えなかった。でも、うすうす感じてはいた。
「親が行ってほしいって言うから」
「あの大学じゃ美咲がやりたいことができないから?」
美咲が驚いた顔をした。
「何で分かったの?」
「いや、ただの勘」
前々から思ってた。美咲がなぜ東都大学を目指しているのか。
「美咲はバレー好きなのに、東都大学は別にバレー部に力を入れてるわけじゃない。それに、学部も美咲が好きそうなものじゃなかったし」
「悠真って以外と人のこと見てるんだね。」
以外なのか…。
「誰ともつるんでないし、あんま人のこと興味ないのかと」
「それは、僕と仲良くしてくれる人がいなかっただけだよ。」
「……いない」
「え?なんて?」
「なんでもない」
いつも通りの可愛らしい笑顔だ。
「それで、どうするの?志望校。」
「どうしようね。…お母さんの期待には応えたい。でも、バレーも続けたい」
続けて美咲が僕に聞いてきた。
「悠真は、何で東都大学に行きたいの?」
「…僕は、自分にも何かできると証明したいんだ。今の僕は何も誇れるものがない。東都大学に合格できれば、僕にも価値が生まれる気がしたんだ」
「・・・かっこいいね」
「はぁ!?」
急な言葉につい顔を赤らめてしまった。
「そんな良いものじゃないよ。結局、自分のためにやってるだけだから」
「美咲の方がかっこいいよ。誰かのために努力できる人は、かっこいい」
この言葉が美咲のためになる言葉ではないことは分かってる。でも、他にどんな言葉をかければいいのか分からなかった。
美咲のお母さんの気持ちはすごく分かる。美咲はすごいやつだ。東都大学もあっという間に合格圏内まで上がっていった。期待してしまうのも無理はない。
でも、美咲が本当にやりたいことを我慢してまでその期待に応える必要はないんじゃないか?
美咲は何でもできる。僕はそんな美咲が羨ましかった。でも、なんでもできるからこそ、色んな選択肢が生まれてしまう。誰かからの期待を嫌でも背負うことになる。
なんでもできる本人にしか分からない苦しみがあるのだろう。
「小さい頃から、何をやっても褒められた。だから、色んなことを頑張った。勉強も、スポーツも、たくさん頑張ればもっと褒めてもらえると思ってた」
「……うん」
「でも、今、お母さんが応援してるのは勉強を頑張っている私だった。」
美咲の顔にいつもの笑顔はなかった。
「バレーをしてる時は楽しかった。元々はお母さんの期待に応えるためだったけど、自分がやりたいことを全力で取り組めた。でも、今、バレーをしている私は応援されていない」
「どうしたらいいかわからない」
その言葉を聞いて、僕は初めて彼女を羨ましいと思えなくなった。
ずっと僕は、美咲には何でもあると思っていた。
才能があって、友達がいて、親にも期待されている。
僕が欲しかったものを、全部持っていると思っていた。
でも違った。
美咲は美咲で、僕には見えない場所で苦しんでいた。
「悠真は、すごいね」
「どこが?」
「自分で頑張る理由を、頑張れるものを決めてるところ」
僕は何も答えられなかった。
その日から、僕は少しだけ勉強ができなくなった。
正確には、勉強に集中できなくなった。
僕が必死になっている理由なんて、結局「自分には勉強しかないから」なのではないか。
親に期待されることもなく、自由に好きな大学を選べる自分は、美咲よりずっと恵まれているのではないか。
そう考えると、自分が頑張ってきたことまで、急にちっぽけに思えてきた。
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十二月。
僕は以前より長く机に向かうようになった。
けれど、問題は頭に入らなかった。
「最近、元気ないね」
美咲が言った。
「そうかな」
「そうだよ」
僕はしばらく黙っていた。
「美咲はさ」
「うん」
「……親に期待されてるのに、それでも頑張ってるじゃん」
「うん」
「僕なんかより、ずっとすごいと思う」
美咲は少し考えてから言った。
「じゃあ、悠真は何のために勉強してるの?」
僕は答えられくなっていた。
「分かんない」
「私も分からないよ」
「え?」
「私が頑張ってるのは、親に認めてもらいたいから。でも、それが本当に私のやりたいことかと言われると、違うと思う。」
美咲は窓の外を見た。
「だから、悠真が羨ましい」
「僕が?」
「うん」
「なんで?」
「自分で決めたから頑張ってるんでしょ?」
僕は少し考えてから、頷いた。
「……たぶん」
「それって、すごく自由だと思う」
その言葉を聞いて、僕は少し笑った。
「僕は、美咲の方が自由だと思ってた」
「私も、悠真の方が自由だと思ってた」
二人で顔を見合わせる。
そして、初めて同じことを思っていたのだと知った。
「私、ちゃんとお母さんと話してみる。今更かもしれないけどね」
「うん。その方がいいよ」
「…悠真はさ、自分のこと大分下に見てるようだけどさ」
「悠真のおかげで、私は変われた。話し合った結果がどうなるかは分からないけど、話し合うきっかけをくれたのは悠真だよ」
「それに、これだけ必死になって頑張れるのは悠真の魅力だよ。動機がなんであれ、こんなに頑張ってる事実は変わらない。私は、こんだけ頑張ってる悠真にすごく期待をしてる」
美咲はホントにすごいな。僕みたいなやつにも期待をしてくれる。おかげで、今まで感じたことない力が湧いてくる。
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受験前日。
教室には僕たちしかいなかった。
机の上には参考書とノート。
窓の外には、冬の夕焼けが広がっている。
「明日だね」
「うん」
「怖い?」
「ちょっと」
「私も」
美咲が笑った。
「ねえ、悠真」
「なに?」
「もし落ちても、自分で選んだって思えるかな」
「……分からない」
僕は少し考えてから言った。
「でも、少なくとも最後まで頑張ったってことは残るんじゃない?」
「そっか」
美咲は頷いた。
「じゃあ、頑張ってみる」
「うん」
「悠真もね」
「分かってる」
僕たちはそれぞれの参考書を閉じた。
明日になれば、今まで積み重ねてきたものを試す日が来る。
結果はまだ分からない。
合格するかもしれない。
落ちるかもしれない。
それでも、以前とは少しだけ違っていた。
僕はもう、「勉強しかできない自分」を証明するために机に向かっているわけではなかった。
努力してきた時間そのものが、自分のものだと思えるようになっていた。
そして美咲もまた、誰かの期待ではなく、自分自身の未来について考え始めていた。
「じゃあ、また春に」
美咲が言った。
「うん。また春に」
教室を出る。
廊下を歩きながら、僕はふと思った。
ずっと遠い存在だと思っていた彼女との距離は、いつの間にかこんなにも近くなっていた。
きっと僕たちは、互いに相手の人生を羨ましがっていた。
けれど、本当は相手の人生になりたかったわけじゃない。
ただ、自分の人生を少しだけ好きになりたかったのだ。
窓の外には、まだ冬の空が広がっている。
春は、もうすぐそこまで来ていた。




