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棋士たちは教室で戦うことにした  作者: 柚木 いと


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第4話 AIより強くなくていい

教室が始まって、三週目になった。


 出席リストの「第1週」「第2週」「第3週」の欄には、それぞれ丸やバツや三角が増えている。

 丸は出席。バツは欠席。三角は、保護者から「今日は用事でお休みします」と連絡があった子。


 体験会から続けて来ている四人のうち、一人は皆勤賞。

 一人は一回休み。

 一人は、三角が続いている。もう一人は、今日の欄が空白のままだ。


 ――棋戦の勝敗表より、こっちのほうがよっぽど落ち着かないな。


 そう思いながら、九路盤を机の上に並べていく。


 



 


「先生ー、これ見て」


 最初に教室に入ってきた男の子が、スマートフォンを掲げて見せてきた。

 保護者の許可を得て持ち歩いているらしい、小さめの機種だ。


 画面には、黒と白の丸が並んでいる。

 シンプルなデザインの囲碁アプリだった。


「これで、家でも打ってた」


「へえ」


 僕は、少し驚いたふりをする。


「強い?」


「強い。コンピュータ、ぜったい負けない」


 男の子は、不満そうでもあり、どこか誇らしそうでもあった。


「お父さんもやってみたけど、すぐ投げてた」


「それは……」


 どんな顔をすればいいのか分からず、曖昧に笑う。


「先生、コンピュータに勝てる?」


 きたな、と思った。


 避けて通れない質問だということは分かっていたが、

 こんなに早く正面から聞かれるとは思っていなかった。


 


「勝てないよ」


 僕は、できるだけあっさりと答えた。


「今のコンピュータは、人間よりずっと強い。

 プロでも、そう簡単には勝てない」


「ふーん……」


 男の子は、その答えをどう受け取ったのか、読めない表情をした。


「じゃあさ、なんで勉強するの?」


 やっぱり、そこに行きつく。


「コンピュータに勝てないのに、なんで囲碁やるの?」


 


 教室には、ほかの子どもたちも入り始めていた。

 彼らも、今の質問を聞いていたのか、こちらをちらちらと見ている。


 僕は、少しだけ息を吸ってから、九路盤の上を指さした。


「ここでは、“コンピュータと戦うため”には打ってないからだよ」


「?」


「先生たちがやってるのは、コンピュータに勝つ囲碁じゃなくて、

 “自分で考えられるようになる囲碁”なんだ」


 自分で言いながら、「うまく伝わるだろうか」と不安になる。

けれど、言わないわけにもいかなかった。


「コンピュータは、“この形ならここが一番いいよ”って、すぐ教えてくれる。

 でも、“なんでそこを打ちたいと思ったか”とか、“今どこが怖いか”とかは、教えてくれない」


 男の子は、じっと九路盤とスマートフォンの画面を見比べている。


「この教室でやるのは、“どうしてその一手を打ったか”を、自分で考えてみる練習なんだ。

 コンピュータに勝つためじゃなくて、“自分の手を、自分で読めるようにする”ため」


 どこまで噛み砕くべきか、頭の中で単語を選びながら話す。


「だから、ここでは先生がコンピュータより弱くても、あんまり困らない」


「ふーん……」


 男の子は、今度は少しだけ納得したような顔をした。


「じゃあさ、コンピュータは、答えだけ教えてくれる感じ?」


「そうだな。

 “テストの答え”は全部知ってるけど、“どこで間違えたか一緒に考えてくれる”わけじゃない、みたいな」


「へえ」


 完全に理解できたわけではないだろう。

 それでも、「変なことを言ってるわけではなさそうだ」とだけは受け取ってくれたようだった。


 



 


 その日の教室は、九路盤と十三路盤を両方使った。


 皆勤の男の子と、体験会からの女の子には、初めて十三路盤を出してみる。

 残りの二人には、もう少し九路盤で自信をつけてもらう。


「わー、ひろい」


 十三路盤を見た女の子が、目を丸くした。


「九路とくらべると、そう感じるよね。

 でも、やることは同じだよ。囲んだり、陣地を作ったり」


 僕は、彼女と十三路盤を挟んで向き合う。


「最初の一手、どこに打ちたい?」


「うーん……」


 彼女は、しばらく盤面を眺めてから、九路盤のときによく打っていた星のあたりを指さした。


「ここ」


「いいね。

 それは、“このへんを自分の場所にしたい”っていう気持ちがある手だ」


 そう言って、僕も向かい側の星に白石を置く。


「じゃあ、今日は“自分の場所を広げる”ってことを考えながら打ってみようか」


 


 一方、九路盤組のほうを見ると、例のスマートフォンを持っていた男の子が、早くも相手の石を三つほど取って得意げな顔をしていた。


「コンピュータより強い?」


 相手の子にそう聞かれて、彼は首をかしげる。


「コンピュータは、もっとずるい」


「ずるくないだろ」


 思わず口を挟むと、男の子は笑った。


「だって、まちがえないんだもん」


 それはたしかに、子どもらしい感想だった。


 



 


 休憩時間、子どもたちが水筒のお茶を飲んでいるあいだ、僕は窓際で外を眺めた。


 スマートフォンの囲碁アプリ。

 ネットの無料囲碁AI。

 プロの対局を、リアルタイムで解析する配信。


 ここ数年で、「盤の外側」の景色は目まぐるしく変わった。


 僕自身も、研究のときにはAIの検討図を使う。

 かつての“師匠の研究ノート”の代わりに、“評価値グラフ”が増えていった。


 そのいっぽうで、教室の九路盤の上には、まだそんなものはない。


 自分で見て、自分で迷い、自分で決める。

 間違えたら、一緒に「ああ」と言って笑って、もう一局やる。


 ――ここもいつか、AIが入り込んでくるのだろうか。


 そんなことを考えていたときだった。


 


「先生、これさ」


 さっきの男の子が、またスマートフォンを持って近づいてきた。


「この前、コンピュータに勝ったときのやつ、見せてあげる」


 画面には、九路盤の簡易対局モードが開かれていた。

 黒と白の石が入り乱れた終局図。

 「勝ちました」の文字。


「お、すごいじゃないか」


 素直にそう言う。


「このとき、コンピュータ、なんか変なとこ打ってきて」


「レベル、どのくらいにしてた?」


「いちばん下」


「ああ、“やさしい”設定か」


 画面の端には、「入門」「初級」「中級」といったボタンが並んでいる。

 たぶん、入門レベルのプログラムなのだろう。


「ねえ先生。

 これと教室って、どっちのほうがつよくなる?」


 その問いに、僕は少しだけ考えた。


 


「“石の動かし方だけ”覚えるなら、コンピュータといっぱい打つほうが早いかもしれない」


 それは嘘ではない。


「でも、“途中で投げ出さない”とか、“なんで負けたかを一緒に考える”のは、教室のほうが得意だ」


 男の子は、「ふーん」と言いながら、また画面を見つめる。


「コンピュータとだけ打ってるとね、負けたらすぐ消しちゃうことが多いんだ」


 それは、僕自身の経験でもあった。


「ここでは、負けたら一緒に盤をひっくり返して、“どこから苦しくなったかな”って話すだろ」


「うん」


「たぶん、その時間が、“強くなる”ってことの半分くらいなんじゃないかと思う」


 自分で言っておきながら、「半分」という数字に根拠があるわけではない。

 ただ、「勝った対局」よりも、「負けた対局の検討」のほうが身になることが多かったのは、プロの世界でも同じだった。


 


「じゃあさ」


 男の子が、ふと真面目な顔をした。


「コンピュータに勝てなくてもいいから、

 “コンピュータだけじゃ教えてくれないやつ”を、ここでやる感じ?」


 その言い方が、少しだけ可笑しくて、少しだけ刺さった。


「……そういう感じかもしれない」


僕は笑いながら認める。


「コンピュータには、“この一手がどれくらいいいか”は聞ける。

 でも、“その一手を打った自分のこと”までは教えてくれないからね」


 



 


 その日の終わり、十三路盤を片づけていると、教室のドアが再び開いた。


「おつかれさま」


 顔を出したのは、白石だった。

 仕事帰りらしく、肩に小さなトートバッグを提げている。


「ちょっとだけ覗きに」


「またか」


「まただよ」


 彼女は、空になった九路盤を一枚持ち上げ、光に透かすように眺めた。


「さっき、廊下で聞こえちゃったんだよね。

 “コンピュータより弱くてもいい”とか、“コンピュータだけじゃ教えてくれないやつ”とか」


「子ども相手だと、つい変な言い方になるな」


「変じゃなかったよ」


 白石は、盤をそっと机に戻す。


「プロの対局だと、どうしても“AIよりいい手を打てるか”って話になりがちだけどさ。

 教室だとむしろ、“AIにできないことを先生がやる”って整理のほうが、分かりやすいかも」


「AIにできないこと?」


「たとえば、“一緒に悔しがる”とかね」


 白石は、さらりと言った。


「子どもが取り損ねたときに、“あー”って同じ顔してあげるとか。

 勝ったときに、“やったな”って笑ってあげるとか。

 そういうの、AIにはまだ、ちょっと難しいでしょ」


「……たしかにな」


 九路盤の上で、さっきの男の子が悔しそうに唇を噛んでいた顔を思い出す。

 そして、そのあとすぐに次の一局を始めたときの、少しだけ誇らしげな顔も。


 ああいう表情は、評価値グラフのどこにも表示されない。


 


「プロの世界はプロの世界で、AIとどう付き合うか、まだ揺れてるけど」


 白石は、窓の外の夕方の空を見ながら言った。


「教室の世界では、“敵か味方か”ってより、

 “どこまで任せて、どこから先生が引き受けるか”を決める感じなんだろうね」


「任せるところと、引き受けるところ、か」


 その言葉が、妙にしっくりきた。


 AIに任せてもいいところ。

 自分たちが引き受けるべきところ。


 それを、盤の上と教室の中で、少しずつ探っていくことになるのだろう。


 



 


 その日のメモには、いつもの子どもたちの様子に加えて、ひとつだけ自分向けの一行を足しておいた。


 「“AIより強くなくていい場所”が、たしかにここにはある。」


 高原 祐一、三十七歳。

 AIの検討図に頼りながらも、九路盤の前では子どもの表情を読む棋士は――


 まだうまく言葉にできないまま、

 それでも、「教室」という盤面の中で、

 自分の役割の形を探り始めていた。

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