アブが判定基準です
「グリ、グリ、大丈夫か?」
私はハッとして顔を上げる。
私の周囲にあった土壁は消えている。
何も無い目の前に存在するのはカイヴァーンだけ。
アブを抱いている私に触れているからか、カイヴァーンもオークだ。けれど、彼が私の腕や肩をポンポンと軽く叩くだけで、私の震えが収まっていく。
「こんなに震えて。お嬢様には怖かったな」
カイヴァーンが私を抱き締める。
無礼者と振り払いたくなるどころか、カイヴァーンの体が温かいと安心ばかり。
「ケガは、怪我はありませんでしたか?」
「ふっふ。元、近衛特殊地獄狼隊の俺が、怪我?」
「いいのですか? そんな秘密部隊の名前を公言して」
「元だからいいのさ。さあ、立てるかな」
カイヴァーンは私に手を添え、アブを抱いたままの私を立たせる。
それから彼はアブを受け取るどころか、今度は先程までの自分のようにして私の体にアブを紐で縛りつけてきた。
「軽量化魔法をアブに掛けてある。任せていいか?」
「かまいません。一々受け取る方がアブが大怪我しそう」
「君は優しいね。今日出会ったばかりのアブをこんなに大事にしてくれる」
「たぶん。以前の私じゃないからだわ。弾劾前の私はどこにでもいる気位が高いだけの考え無しの令嬢でしたもの。でも、昨日、あ、もう一昨日ね。学園の生徒全員が敵で、頼れる父もいない中で殺されまいと、たった一人で逃げ惑ったの。だから、この子を守らなきゃって考えられる私になったのよ。私と同じだもの」
「君はさ、君の魔法でアブの体にかかっている記憶を映像化できないかな」
「呪いを解くために?」
「ああ。呪いって情報がぎゅっとなった目に見えないものだろ? そう考えたら呪いも君が映像化できるのかなって、そう思った」
「面白いことを考えますわね。でも呪いを映像化できるかわかりませんが、私の魔法で壺や剣に付けてあった付与魔法が勝手に剥がれていたことがあります。だから呪いも剥げるかも、ですが、アブに魔法を掛けるのはやりたくないわ」
「危険があるのか?」
「危険しか無いですわ。私が記憶映像化の魔法を編み出したのは、商会を営む父の為です。せっかく手に入れた宝石や家具などが、呪いの品だった時は処分するしかないでしょう。だから、購入後に私の魔法でね、物の記録を読むようにしたの。そしてこの魔法は一度きり。なぜならば、記憶を映像化したそこで、物からその記憶自体が消えてまっさらなものになってしまうの。だから」
「確かに、記憶が見える代わりに記憶が消えるならば、人には使えないな」
「ええ、そう思って人に使った事は一度もないの。どうなるかわからない怖いものを、アブに使うなんて絶対にできません」
「わかった。アブの呪いについては別の方法を模索する」
「ええ。私だって考えます。私は優秀ですもの」
「本気で優秀だったらこんな所にいる気がしないけどな」
「私は自分の教養の高さは自負しておりますが、政治というものがちょっと」
「全然ダメな奴だな、それ。空気読めないってやつだった?」
「酷いわ。でもだから、ケインは私よりもニーラを選んだのかしら? 顔だけで大して頭も良くなくて煩いだけの子だったのに」
「あれ、君の婚約者を奪ったのは君の友達って言ってなかった? なかなかに毒舌でびっくりだよ」
「もう友達ではありませんから、良い所を探してあげる必要などございませんの。彼女が付き合うに値しない人間であるという事実だけを語るだけです」
「わお怖い。君が怖すぎて俺が腰を抜かす前に、行きましょうか。先へ」
カイヴァーンが私に手を差し出す。
私は彼からのエスコートの手を取った。
そして数歩歩いたところで、私は気がついた。
「敵襲ですけれど、どっち狙いでしたの?」
「あ、俺だと思ってたけど、君って可能性もあったのか。って、いち学生でしかないよね? 君は」
「でも、女子学生死亡事件の重要参考人は第三王子ですもの。被害者は平民奨学生の可愛らしい子。王子に始終ちょっかいを掛けられていて、何度か匿ってあげた事がありますのよ」
「――そう。君をあれが告発したのは自分の罪隠しこそメインか。もう。だからさ、情報は最初に全部吐こうね。襲撃者の死体は全部埋めちゃったよ。今さら死体から誰が派遣したのかの情報探るなんてできないよ。で、もう俺に隠し事は無いよね?」
「たぶん。ほら、嫌な事って忘れるに限るって言いますでしょう。それで記憶がボロボロだと思いますの。それに、初対面の方に事情を全部丸ごと話すなんて、そんな警戒心の無い事はしない常識ぐらいあります」
「警戒心、あった? 初対面の男が用意したベッドがある部屋に、何の警戒も無く入った君に、警戒心、あったの?」
「ありました。でも、アブを可愛がるあなたを警戒するはずないでしょう。この可愛いアブが信頼しているあなたですよ」
「アブ基準か。いいけどね、俺もそうだ。アブが君を気に入った」
「うふ。アブに気に入られて光栄ですわ」




