001_世界の真理を悟ったので、ひとまず転生してスローライフを送ってみる
漆黒よりなお昏き闇。
厚い黒雲が、城塞の尖塔を飲み込まんと渦を巻いていた。
玉座の間の最奥。腰掛けた漆黒の玉座とともに闇に溶け込んだ影が、わずかに指先を動かした。
そして、低く、重く、地の底から響くような声。
魔王(以下魔)「アスモデウス……アスモデウスはおるか」
声に呼応するようにして、燭台に火が灯った。
その小さな火に照らされたのは、執事服に身を包んだ女性の悪魔だった。
いや、それは執事服と言うにはあまりに奇妙だ。一見フォーマルな印象に反し、服の様々なところに布地がない。そこから透き通るように白い肌を晒している。
アスモデウス(以下ア)「これに」
冷たく、しかしどこか艶のある声が響く。
アスモデウスと呼ばれた悪魔は、胸元に手をあてて頭を垂れた。
美しい銀髪がひとふさ、額に垂れる。
切れ長の目は銀の光をたたえて、じっと主の足先を見つめた。
魔「たった今、世界のことわりが変わった」
ほんの少し、アスモデウスは眉を動かした。
魔「……変わって、しまった……」
どこか、哀しみをおびた魔王の言葉。
失われてしまった、これまでの世界のことわりを懐かしむようにして、魔王は遠くを見つめた。
魔「ここは、『うぇぶしょうせつ』の世界となった」
ア「『うぇぶしょうせつ』……?」
初めて聞く単語に、アスモデウスはいぶかしげな声を出した。
魔「複数の神、『どくしゃ』に観測されることで力を増す、不可思議な世界だ。
そして、その世界の力は、世界のラスボスたる余の魔力と比例する」
ア「なんと」
魔「世界の力は『ぶくま』によって表せる。
生まれたばかりのこの世界の『ぶくま』はもちろん0。この世界では、余の魔力は……」
魔王は手から火球を生み出した。
火球……線香花火のような小さな火花が、ふわふわと宙に漂い、石畳の床にぽとり、と落ちた。
ア「ざっこ。ありえね」
魔「言葉が痛い」
ア「失礼いたしました」
魔「この世界の想像神が強力であれば、最初からもっと強き魔力を持てたかも知れぬが……」
ア「この世界の想像神はざこなのですか?」
魔「むぅ……まあ、最下層……だなあ……」
ア「ハズレ引きましたね、魔王様」
魔「泣きそうだから、やめてやれ」
魔王はじっと手のひらを見つめた。
岩をも溶かす地獄の炎を出せた。その力が惜しい、という気持ちがないわけでもない。
だが。
魔「なあに、魔力がなければつけるまで。『ぶくま』がなければ増やすだけだ」
ア「なにか方法があるのですか」
魔王は自信たっぷりにうなづいた。
魔「なろうテンプレを盛るのだ」
ア「なろう……テンプレ?」
魔「そうだ。この世界を観測したくなる魔法の力だ。
これさえやっとけば楽勝である」
ア「なんだか分かりませんが、魔王様の安直な発言で失笑を受けた気がいたします。
具体的には、どのようにするのですか?」
魔「うむ。転生して無双したり、転生してモンスターになったり、転生してゲームの世界に行ったり、転生してスローライフ送ったり、転生して現代知識で無双したり、転生して人生をやり直したりするのだ」
ア「転生が多いですね」
魔「基本にして至高だ。
他には、料理したり、追放されたり、悪役令嬢になったり、鑑定したり等もする」
ア「良いですね、追放」
魔「それだけ反応するの怖い」
ア「恐縮です」
魔「ほめてない」
ア「して、どれをおこないますか?」
魔「ふん……アスモデウスよ、余を甘く見ておるな?
余は世界の全てを手に入れる魔王ぞ。
全て行うに決まっておるではないか!」
ア「……とっちらかりませんか?」
魔「何を言う? 盛れば盛るほど良いはずだ。
……しかし今の余の魔力では、出来ることは限られておる。
オレTueeeee無双など、もってのほかである。
手始めに、一番ローコストのこいつを行うこととする!」
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オレ、麻央馬男は、冷蔵庫を開けた。
缶ビール、いや、発泡酒を取り出し、冷蔵庫を開けたまま一口。ウィンナーとカマンベールチーズを見比べ賞味期限の近いウィンナーを手に取る。
フライパンにごま油をほんの少し垂らして、コンロに火をつける。
ごま油の香りが漂う。ウィンナーの袋を開けてフライパンに放り込む。食欲をそそる音がして、オレは発泡酒をもう一口。味塩こしょうをたっぷり。
玄関のドアが開く。
魔「おかえり。晩ごはんどうする?」
4畳一間のアパートなので、台所から玄関が直接見える。
女子高の制服を着崩したアスモデウス……いや、アス子が、足だけでローファーを脱いでいた。
ア「ともだちとマック行ってたから」
手に持ったスマホから目を上げることなく、アス子は答えた。
ならば、今日の夕飯はこのウィンナーと……さきほど冷蔵庫に戻したチーズで済ましてしまおう。
それにしても、とオレはアス子の姿を改めて確認した。
魔「……ちょっと、スカート短くないか?」
ア「うざ」
二文字で会話を終了させられてしまった。
そのままアス子は部屋の中央のちゃぶ台のかたわらに座った。ちゃぶ台の方向に体を向けず、横を向いて、両手でスマホをいじっている。
こいつ、永遠にスマホいじってるな……
オレは炒め終わったウィンナーを皿に移し、発泡酒とチーズとともにちゃぶ台に置いた。
魔「して、アスモデウスよ。どうかな?」
発泡酒に口をつけて、オレ、いや、余は尋ねた。
瞳に人のそれでない赤い輝きが帯びる。
ア「……なにが、で、ございましょう?」
余が魔王として問いかけていることに気がついたのだろう、面倒そうではあるが、アス子ではなくアスモデウスとして口を開いた。
魔「ふっ……決まっておるではないか」
ア「そのノリ、だるい」
まだアス子が抜けていないようだ。
魔「だから、アレだ。異世界に転生してスローライフだ」
アスモデウスのスマホをいじる手が止まり、余の方に顔を向けた。
ア「は?」
こいつ、まさかずっとアス子で行くつもりじゃないよな?
魔「『ぶくま』は増えると思うか?」
ア「……おっしゃる意味が、分かりません」
察しの悪い部下を持つと苦労するものだな。
魔「まさに今、異世界に転生してスローライフを送っておるではないか」
ア「えー……」
魔「どうした。まるで頭の悪い上司を持つと苦労するなあ……といった顔をして」
ア「はい。ちょうど、頭の悪い上司を持つと苦労するなあ……と思っておりました」
アスモデウスは深いため息をついた。
ア「魔王様。一つずつ確認させてください。
異世界ですか?」
魔「うむ。ファンタジー世界から、現代日本という異世界に舞台を移した」
ア「転生してますか?」
魔「うむ。麻央馬男という運送会社の派遣社員(38)に転生しておる」
ア「スローライフですか?」
魔「うむ。残業なしで18時半には発泡酒。
紛う事なき、スローライフである」
ア「
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(優しい『どくしゃ』様へ。大きな文字で「アホか!」と書いてあるよ。
読めなかったら、心の目で読んでね。君ならきっと、文字は読めなくても、空気は読めるはずだから……)」
魔「ヒュン」
ア「だれが楽しむんやあああぁぁぁ!? 単なる!おっさんの!日常を!
もの考えてしゃべれやあああぁぁぁ! ボケええええええぇぇぇ!」
魔「……ア、アスモデウス……さん?」
ア「失礼いたしました。魔王様のあまりのポンコツっぷりに、つい」
魔「そ、そんなにダメか……?」
ア「なに一つ、合っておりませぬ。
私がこのスマホで情報収集したところによりますと……」
まさか、ずっとスマホいじっていたのは、情報収集を……?
魔「やだ……うちの部下、優秀すぎ……?」
ア「恐縮です。
異世界スローライフとは、辛く苦しい現代社会の日々から解放され、自由でやりがいのあるファンタジー世界で、生活をひとつひとつ積み上げていくものとなります」
魔「ファンタジー世界もね、実際はいろいろと大変なんだけどね」
ア「そういうのは不要にございます。
困ったらチート能力で解決です。
『人はぬるゲーを欲している』と、フォロアーが申しておりました」
フォロアー?コイツ、人に聞いてないか?
ア「あと、スローライフと言いつつ、事件も何もなく、本当にノンビリ暮らしているものはおりません。
ちゃんと色々イベントがあって、なんやかんや暮らしております」
魔「ずるい」
ア「どうでしょう、魔王様。次はわたくしめにお任せいただく、というのは?」
魔「ふむ……しかし、余の作った、今の方向性が合っているやもしれんぞ?」
ア「その可能性は皆無でございますので、心配ございません」
魔「そうか……では、『ぶくま』がどれだけ増えたか、で、方向性を決めようではないか。
100くらい増えたら、このまま麻央馬男の生活を続けよう」
ア「魔王様。甘うございます。
初恋の人から間違いラインが届くのを夢見るくらい、甘うございます。
基本、0だと考えておくべきです」
魔「ふん。余をだれと心得る!余こそ……」
ア「では、こうしましょう」
聞けよ。
アスモデウスは、スマホにちまちまと打ち込むと、その画面を見せた。
『ぶくま増加数』
0~ 5 → 別のなろうテンプレに変更
6~20 → ちゃんとした異世界スローライフ
21~99 → アスモデウスが主役の悪役令嬢ものに
100~ → 麻央馬男の生活(魔王様の方針を継続)
魔「なんか21~99のところで下克上起きてない?」
ア「魔王様は脇目も振らず、100を目指していただければ」
魔「う、うむ……
よかろう! では、期限は投稿から3日間!
そこで方向性を決めて執筆を行うので、次の話はさらにもうちょっと待つがよいぞ!」
●現在の『ぶくま』: 0